話が終わり、桜子は唸った。
「どういうご依頼になるか、確認してもよいでしょうか」
「どういう、とは?」
「いや、ええと、清隆さんも、私が頓珍漢なことを言っていたら止めてくださいね。その、私たちに求められていることは、風鳴峠で増えている事故を減らすことでしょうか。それとも、車の幽霊を消すことでしょうか。または、声だけで現れる季里さんを出てこなくすることでしょうか」
一連の出来事のように語られたが、そうとは限らない。季里の事故が起こる前から風鳴峠での事故は多かったし、フィアットが季里の亡霊だとも限らない。誰かがフィアットを回収し、修理して走らせている可能性もある。そもそも、福原が見たフィアットが事故に遭った車だという確証もない。そして、風鳴峠に誘ったという声だけの季里。彼女を成仏させることが目的なのか、出てこないようにするのが目的なのかによっても対応は変わってくる。
清隆がおずおずと口を開く。
「俺たちは、交通事故に関しては素人です。事故が起こりやすくなった要因があったとしても、それを取り除けるかどうかはわかりません。そして、季里さんですが、あなたに憑りついてはいない」
桜子も頷く。「後ろの真実」にいれば、憑りついている霊も清隆の術によって可視化される。季里は見えない。
「福原さんに何も憑いていないわけではありません。ですが、それは本体ではない。おそらく季里さんの一部。まさに、声だけが憑いているんです」
声や音だけの心霊現象は非常にメジャーだ。動画配信者が心霊スポットに行ってみた様子を配信する際、謎の音声や足音が入り込むことはよくある。
「手だけ、足だけ、声だけ。幽霊の一部だけが現れる現象は珍しいものではありませんし、気のせいだとも思いません。季里さんだと直感的に思ったのであれば、そうなのでしょう。彼女を現れなくすることが目的なら、それはそれで請けられます。ただ、フィアットの正体が知りたい、という願いであれば、対象を霊から車に変えなければならないかもしれません。何と言いますか、優先順位が欲しいですね」
福原は、「そうですね」と言いながら鼻を触った。
「一番の目的は、季里を成仏させることです。二番目の目的は、フィアットの幽霊が出なくなること。三番目に、風鳴峠で事故が増えたのは霊的な理由なのか知り、そうであればその要因を除外することです。私の中では全て繋がっているつもりでいましたが、たしかに別々の要因である可能性も大いにありましたね。さすが専門家です」
いや、それほどでも、と桜子は照れながら平静を装う。
清隆はまだ慣れないようで、福原と目を合わせない。代わりなのか桜子を見ている。
「とりあえず、風鳴峠に話は集中しています。早速今晩、行ってみましょう」
こっちを見て言われても。客は向こうだぞ。
今日の風鳴峠は、その名に似合わず静かだった。桜子は山頂付近の展望台に車を停め、トランクを開ける清隆を見遣る。
「今日のリュック、いつもより大きくないですか」
「要りそうなものが多かったんだよ」
なんのこっちゃ、と思っていると、近づいてくるヘッドライトが見えた。隣に停まり、福原が出てくる。
「こんばんは」
「どうも、こんばんは」
挨拶を交わしていると、清隆が遠くを見ながら福原に近寄っていく。
「桜子さんの車に移ってください。とりあえず、麓まで走ってみましょう」
「何か感じますか」
「こういう道は、たいてい何かいるものです」
何かとは何だろう、と問い質したい気持ちを抑え、福原と清隆を迎える。今日の私はドライバーだ。清隆は何かの能力を使うとき、だいたいお酒を飲むため、車の運転は任されることが多い。
「じゃあ、桜子さん、ゆっくりお願い」
「了解です」
ちなみに私の車はホンダのアクアだ。珍しくも速くもない車種。ありふれているけれど、車内が広くて私はことのほか気に入っている。スタンダードなものは、選ばれるだけの理由がある。
スルスルとアクセルを踏み込み、リクエスト通りのんびりと下っていく。途中で幽霊フィアットが現れてくれるといいのだけれど、代わりに暴走族に囲まれでもしたらどうするのだろう。
「車の幽霊ってよく出るんですか」
助手席に座った福原と、後部座席に座った清隆が話し始める。
「俺は見たことありませんね。ただ、首無しライダーの都市伝説は有名です」
「あ、それ、聞いたことあります」
桜子のリアクションに、清隆は手で促す。
「大事故で死んで首を失ったバイカーが、幽霊になって現れて追いかけてくるって話じゃなかったですっけ」
「だいたいそんな感じだね。車ではなくバイクだけど、乗り物ごと怪異化して現れるという点では、今回のケースと似ている」
ただ、と清隆は言いかけ、止めた。
「なんです?」
「いや、なんというか、少し引っ掛かっていることがあって。今回の話、どこか人為的な臭いを感じるんだよな」
「人為的ってどこにですか」
「どことは、はっきり言えないんだけど、何か変な気がしている。例えば、事故車が警察の捜索で見つからなかったって話」
「誰かが持ち去った、と?」
「何のために持ち去ったんだろうなあ」
二人で唸るが、答えは出ない。福原はその件については考え尽くした後なのか、無表情に前を向いていた。
夜の峠道は車一台通らず、静かなものだった。ハイビームのライトに照らされた道とガードレールが現れては消えていく。中腹に、自動販売機と駐車スペースがあったので一旦車を停めた。カーブが多い峠道の運転は肩が凝る。
「出ませんね、幽霊フィアット」
車から降りて体を伸ばす。清隆はまた遠くを見つめた後、リュックを漁り始めた。
「何かが起きそうな予感はあるんだ。というか、福原さんはここに誘われたわけだから、何も起きない方がおかしい」
「誘われて行ってみたら、幽霊フィアットがいたって話じゃありませんでした?」
清隆は車に手をついてアキレス腱を伸ばしている福原の方を向いた。
「その後、声だけの霊は現れましたか?」
「はい。現れました。その後も毎日」
「やっぱり。声だけの霊はまだ何か訴えている。この場所で、伝えたいことがあるんだ。なら、焦らなくても何かは起こる。大事なことは、準備しておくことだよ」
清隆は金属の円筒状のものを取り出した。
「何です、それ」
「シェイカー」
「カクテルでも作るんですか」
「そう。ジンとレモン果汁とマラスキーノとバイオレットリキュール」
「そんなに持ち込んでいたら荷物が多くなるわけですね」
「それぞれの量は少しだけどね。今回は準備しておいた方がいいかと思って」
「何を作るんですか。聞いたことない材料でしたけど」
「二人とも」
福原が鋭い声を出した。
「エンジン音です」
言われて耳を澄ます。虫の声だけが聞こえていた景色に、たしかに低い音が混じっていた。
「近づいてきていません?」
「来ていますね」
やがてライトの灯りが見え始め、轟音と共に二台の車の光が迫ってきた。
「来た」
清隆の小さな声がなぜかよく聞こえた。
「フィアットだ。もう一台はオーラ」
なぜわかるのかと思ったが、たしか清隆は猫又の式神、サカグラシの身体能力を借りることができたのだった。猫の視力は夜目が効く。そのせいで見えるのだろう。
オーラのすぐ後にフィアットがつけ、桜子たちの目の前で追い抜いた。それを見届け、清隆は作っていた酒をシェイカーから直接一気に飲む。
「サカグラシ、アビエーションだ。日本語に訳すと航空機」
「航空機? 航空機って、まさか」
清隆は飲んだ酒につけられた名前にちなんだ能力を使える。航空機という単語によって想像力が膨らんだ桜子に、清隆は気障な仕草で指を振った。
「そう、アビエーションを飲んだ俺は、飛ぶ!」
清隆がふわりと浮いた。サカグラシが浮くのは何度も見たことがあるが、清隆が浮くその景色は現実感を欠いていた。
「おお! 凄い!」
「ここで待っていてくれ」
言い残すと、清隆は上空高くに飛び上がり、二台の車を追っていった。残された桜子と福原は、呆然とそれを見送ることしかできなかった。