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第31話

 桜子が清隆にことの経緯を話す間、清隆と桜子は鈴木の落下を三回目撃した。

「なるほど。話はわかった。一人でここまで辿り着くなんて、桜子さんはやっぱり凄いね。俺じゃあ、多分できない」

「でも、鈴木さんに声が届かなくて」

「うん、そうだろうね。今の鈴木さんは死ぬ直前の行動をループすることだけしか考えられない状態だ。時間が経てば落ち着いて、状態も変わるかもしれないけど、そんなに待っているわけにもいかない」

「清隆さんはどうしてここに?」

「除霊の依頼を請けたんだ。最近、飛び降りる霊が出て困っているって」

 階段から人が上がってくる。鈴木がまた来たかと思ったが、現れたのは老齢の男性だった。

「陰陽師さん、そちらの方は?」

「じょ、助手です。あの、別件で動いていたのですが、ええと、どうやら同じ霊を追っていたらしく、合流しました」

「鬼頭桜子です。管理人さんですか」

「そう、この団地の管理人さん」

 桜子と管理人は会釈を交わした。

「どうにかなりそうですか」

「ええ、はい。まあ、その、正体はわかりました。厄介な相手ではありません」

 清隆がガチガチに緊張して言う。そういえばそういう人だったな、と思い出す。「後ろの真実」にいるときは流暢に喋るので忘れがちだが、初対面が非常に苦手な人間なのだ。

「どうするんですか」

 桜子が訊くと、途端に流暢さを取り戻す。

「どうにでもなるよ。いつも通り殴り倒して、ループを止めさせたっていいし」

「や、野蛮……」

「じゃあ、桜子さんがなんとかしてみる?」

「私が?」

「野蛮だと言うなら、桜子さんが野蛮じゃない方法を見せてよ」

 清隆は珍しく悪戯っぽい顔をする。

「え、それは無茶振りというやつでは」

「発想次第ではあるけど、なんとかなるんじゃないかな」

「なんとかって……」

 桜子はぼやきながら鈴木の落下地点を見下ろす。

 清隆は気づいて言っていたのだろうか。それとも助手の成長に期待したのだろうか。桜子には思いつきだが、一つだけアイデアがあった。


 桜子は鈴木の落下地点に先回りした。そして、寝転がる。

 自殺現場に寝転がるなんて、趣味が悪いと思われても仕方ないよなあ、と顔が赤くなりそうな気配を押し殺す。

 そばには清隆が立っていて、その様子を眺めていた。

「このアイデア、上手くいくと思いますか」

「さあ、悪くはないと思うけど。それより、周囲の目線が辛い。俺が辱めにあっている気分だ」

「私の方が恥ずかしいですって」

「桜子さんは我慢しなよ。自分で言い出したんだから」

「そう言われても、恥ずかしいものは恥ずかしいんですよ」

「あんたら、仲ええねえ」

 最後は管理人さんも入ってきた。

「来た」

 清隆が目線を上げたまま呟く。桜子の視界にも、鈴木が身を乗り出して現れた。

 一瞬だけ、ためらうような間を空けて、落ちてくる。

 桜子は必死で目を開き、鈴木の顔に焦点を合わせた。落下してくる鈴木の驚愕の表情まで見届けた。

 来い。

 ドスンという衝撃が腹筋を貫き、桜子の体が跳ねた。

 しばらくそのままじっとしている。倒れているはずの鈴木の姿は見えなかった。代わりに、清隆の横に立ち、見下ろしている鈴木がいた。

「桜子さん?」

 鈴木が半笑いで口を開く。

「どうも」

 間抜けな体勢でお久しぶりです。


「まさか、自分に憑かせるというかたちであの場所から引き剥がすとは、考えましたね」

「後ろの真実」に返ってきた鈴木は、上機嫌だった。飛び降りループにいたときの記憶はほとんどないらしいのだが、やはりと言うべきか、楽ではなかったようだ。

「それしか思いつかなかっただけ。結局私に憑いた鈴木さんを引き剥がすには清隆さんの手を煩わせてしまったし、完璧な回答じゃありませんでした」

「それでも、及第点くらいは貰えたんじゃないですか」

 モニタールームで桜子と鈴木は向かい合って座っていた。

 鈴木を土地から桜子自身に移し替えることで、浦永団地から「後ろの真実」に連れ帰ることができた。その後、清隆の手によって桜子から鈴木を引き剥がし、元の状態に戻った。

「私が悪霊になっていたら、落下地点にいた桜子さんはどうなっていたんでしょうね」

「大怪我していたかもしれませんね」

「そのリスクは考えなかったんですか」

 桜子はふん、と鼻息を荒くする。

「考えましたよ、もちろん」

「じゃあ、リスクとリターンを天秤にかけて、実行することを選んだわけですか」

「というより、鈴木さんは悪霊にならないと思いました」

 鈴木は腕を組んで考え込む。

「そうですか?」

 桜子は話を変える。

「どうしてあそこに縛られちゃったんですか」

「散歩しに行ったんですよ。それで、死んだ場所までいけるなあ、と思って足を伸ばしてみたら、うっかり縛られちゃったんですね。死に場所ってものを甘く見ていました。それほど未練がある場所だと思っていなかったので、油断しました」

「どうやってあそこに決めたんですか」

「住んでいたアパートが近いんですよ。通勤途中に毎日見ていて、ちょうどいいな、と常々思っていたんです」

「常々、死ぬことを考えていたんですね」

 鈴木がへらりと笑う。

「そういうわけでもありませんけどね。たまに、です」

「本当に?」

 鈴木の笑い顔は消えない。貼り付いたその顔の奥にあるものに、桜子は手を伸ばす。

「私は今回、鈴木さんのスマートフォンを見ました」

「え、恥ずかしい」

「他にも、瀬倉さんや鳴海さんとお話しました」

「ああ、お元気でしたか」

「鳴海さんは元気でした。瀬倉さんは鈴木さんのことで訴訟を起こす手伝いをしています」

「私のことで?」

「歩さんが訴訟を起こし、瀬倉さんが内通者になっている形ですね」

「そうですか。歩が」

「瀬倉さんと一緒に、鈴木さんの死の責任はネクスクラフトにあると、訴えています」

「瀬倉さんも。なるほど。お元気でしたか」

「元気なわけないでしょう」

 桜子の声が僅かに荒ぶる。

 元気か、だって?

「鈴木さんが死んで、その精算をしている人たちが、元気なわけがないでしょう」

 鈴木は笑みを引っ込め、代わりに目を丸くして桜子を見ていた。

「悲しいんですよ。立ち直っているところなんですよ。鈴木さんという身近な人物がいなくなって、それでもなんとか正義を貫こうとしているんです。空元気に決まっているじゃないですか」

 鈴木は力なく微笑んだ。

「ごめん。そういうつもりじゃなかったんです」

「ずっと考えていました。どうしてあなたは自殺したのかって。あんなに悲しむ人たちが周りにいるのに、どうして踏みとどまらなかったのかって」

「仕事が辛かったからです。今思えば、馬鹿なことをしました」

「違う。違います」

「違う、とは?」

 桜子は鈴木の目を見る。鈴木の飄々とした態度に風穴を空けるために。

 ずっと違和感があった。鳴海も言っていたように、「死にたい」と相談され、悲しむ人がいると説いたにも拘わらず、自分が死を選んだこと。

 そこに、合理的でなくても、理由があったならば。いや、理由がなくてはならない。命を捨てるに値する理由か事情が、必ずあったはずなのだ。

「鈴木さんは知っていたんです。鳴海さんに説くくらいですから、自分が死ねば、誰が哀しみ、どのように行動するかを知っていた」

 鈴木の顔は空洞のように空っぽだ。上っ面の反応じゃない、真の感情に届くことを祈って、言葉を紡ぐ。

「普通は辻褄が合いません。でも、見方を変えれば理由はつけられることに気付きました。信じられないような理由ですが」

「聞かせてもらえますか」

 鈴木は木目のように真顔で促す。

 この無表情こそが、きっと、鈴木の本心であり、隠しているもの。

「人が自殺するという出来事がどのように周囲に影響を及ぼし、悲しませ、環境を変えるか、鳴海さんに見せつけたかったんじゃないですか。大ごとになり、訴訟に発展し、沢山の人を巻き込む騒動になるその様を。

 鈴木さん、あなたは鳴海さんを死なせないために、自分が先に死んだんです。自殺は良くないことだと鳴海さんに見せつけるために、あえて自分が自殺してみせた。とんだ自己犠牲ですよ」


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