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第27話

 沢渡歩、旧姓鈴木歩。鈴木健太の妹。

 桜子は一目見て、兄妹なのに似ていないと思った。

「沢渡歩です」

「鬼頭桜子です」

「まずは、兄に顔を見せてやってください。話はそれからにしましょう」

 ハキハキした喋り方。目の奥に火が点いているかのような強い視線。のんびりと話す鈴木とは、タイプが違う。

 桜子は仏壇へと案内された。鈴木の遺影が飾ってある。本当にここで生きていたんだ、と思う反面、遺影を偽物臭く感じてしまう自分がいた。桜子にとって鈴木健太という人物は、「後ろの真実」のキャストとしてであって、あくまで死後の存在だ。理屈ではわかっているのだが、どうしても哀しみを感じることができない。

 感じているとしたら、心配、だろう。あとはキャストが足りなくなっていることへの焦り。

 線香を上げて、祈る。瀬倉から歩を紹介され、歩からは線香を上げに、実家に来るよう勧められた。生家は鈴木がいる可能性が高い場所の一つだったので、喜んでその提案に乗った。今は清隆からもらった水を飲んでいる。

 なかなかに歴史のある家のようだった。先祖だろう、さっきから廊下を歩いていたり、階段を上り下りする人だったり、何人か見える。桜子も連日幽霊を見ていると雰囲気で生者か死者かわかるようになってきた。

 慣れてきても、怖いものは怖いけれど。

 適当に祈って、神妙な顔つきで歩に向き直る。歩がお茶を淹れて持って来るところだった。

「お化け屋敷巡り仲間だと、瀬倉さんから伺いました」

「はい。まあ、最近はそんなに頻繁に会っていたわけではありませんが。お仕事が忙しかったようなので」

「そうですね。兄がいたネクスクラフトは、クソ企業です」

 吐き捨てるように言う。隠しきれない怒気が溢れている。何人か、先祖の霊らしき人達が心配そうに集まってくる。数えてみると、三人。その中に鈴木健太はいない。

 こういうの、先祖の守護があるっていうのかな。

「瀬倉さんから聞いていると思いますが、私はネクスクラフトに訴訟を起こします。今、その準備をしているところです」

 桜子は驚いていた。普通、生前の兄の話を聞かせてくれとか、どんな関係だったのかとか、聞きたがるものだと思って話を準備してきていたのに、いきなり訴訟の話が出てくるとは。

 思い出は充分に持っているということだろうか。とにかく、話は早い。

「訴訟ということは、相手に非があると証明できる材料が揃っているということですか」

「ネクスクラフトの労働環境を訴えればいける、と弁護士さんには言われました。あとは、証拠があれば」

「証拠、とは?」

「大したものじゃなくていいんです。勤務の記録とか、労働時間超過の間接的証拠とか、そういうものがあれば」

「あったんですか」

「ありました」

 即答が返ってくる。

「へえ」

「兄は、スマートフォンに終業時刻を記録していました。ざっと一年分」

 桜子は、ピクリと眉を動かしてしまった。

「見てもいいですか」

「すいません、ここには持ってきていませんので、お見せできません。裁判の証拠にもなりますので、迂闊に見せるのはちょっと……」

 桜子はまだ熱いお茶を取り、一口だけ含む。間を取りたかった。

「なんというか、几帳面ですね。以前からそういうことを記録するタイプだったんですか」

 歩は姿勢よく背筋を伸ばしたまま、視線を彷徨わせる。

「前から几帳面ではありましたね。例えば母親が薬を飲み忘れたことに、なぜか兄が気づいて飲ませる、ということはしょっちゅうあった気がします。気が回る人だったんですよ」

 歩がほんの少し笑う。つられて桜子も笑みが浮かんだ。

「兄は、そういう、コツコツと継続することは得意でした。だから勉強も得意でしたね。日々の予習復習を欠かしたことがないって感じで」

「それは凄いですね」

「それに比べて私は瞬発型と言いますか、思い立ったら行動するんですが、何か月も継続するのはどうにも苦手なんです」

「わかります」

「ですから、兄が会社を訴えるつもりがあったり、いつか辞める時に有利になるように準備していたり、という狙いがあったのなら、勤務時間の記録は違和感ありません」

「鈴木さんは、ネクスクラフトを訴えるつもりだった、ということですか?」

 思わず口を挟んでしまった。

 歩は冷静に、だが力強く答える。

「その可能性もあったと思います」

 言い方から、歩自身はそう考えているのだという意思は伝わってきた。たしかに、いつか会社を労基にでも訴えるのであれば、自分の記録は真っ先に取るべきものだろう。

 労基に訴えればどうなるか。調査のメスが入れば、過重労働の軽減や、サービス残業代の支払いが命じられるかもしれない。上長や経営陣の入れ替えが行われる可能性もある。

 もっと大きな影響を与える手も、あるかもしれない。

 いわば会社の弱みを握っている状態だ。それを材料に会社と交渉したとしたら。今はSNSを通じて全世界に発信できる。ネクスクラフトのブラック企業ぶりを発信したならば、その影響は未知数。今後の契約に支障を来たすことは言うまでもない。

「鬼頭さん?」

「すいません、確認なのですが、鈴木さんは自殺で間違いないのでしょうか。瀬倉さんはそう仰っていましたが、それも風の噂だということだったので」

「自殺です。正確には、警察が自殺だと断定しました。ある団地の階段から飛び降りて、即死だったそうです。飛び降りたと思われる場所には、社員証などが入った鞄がありました。財布はポケットに入っていましたが、スマートフォンは鞄の中にありました。お陰で助かりました」

「なるほど。警察がそう言ったのなら、自殺なのでしょうね」

「兄が自殺したことが、信じられませんか」

「そんなに病んだ人には見えなかったので」

「それは同感です。でも、無理をしていたのだと思います。私たちに心配をかけまいと」

 歩の拳が強く握られる。桜子の脳内に疑念が深まる。

 本当にただの自殺なのか。

 それともこれは、私がそうであって欲しくないと思うエゴなのか。

「他に何かありませんでしたか。通信記録とか、パソコンの中に何かもっと詳細なネクスクラフトを訴えられる材料が入っていたりはしませんでしたか」

「パソコンはロックがかかっていてわかりませんでした。今も解除できずに放置しています。パスワードは、もしかしておわかりですか?」

 首を横に振るしかない。

「通信記録は、寂しいものでした。そちらはお持ちしています」

 歩がプリントアウトした紙のファイルを取り出した。

「ここ一年の通話履歴です」

 ネクスクラフトの名前がずらずらと並んでいる。時刻を見ると、深夜にかかっているものも多かった。

「カレンダーと突き合わせると、ほとんどが土日の電話です。平日に少ないのは、出社していたからでしょうね」

 思わず顔が曇ってしまう。こんな勤務を続けていたら、鈴木だけでなく誰かが病んでしまいそうだ。鈴木の自殺は氷山の一角なんじゃないのか。

「メッセージアプリの方はどうですか」

 歩が紙をめくる。そこにはメッセージアプリのスクリーンショットがあった。

 歩、母、瀬倉、鳴海。直近一年間で四名とやり取りしている。

「少ないですね」

「仕事が忙しくて、学生時代からの友人とは疎遠になっていたようです」

 逆に言うと、そんなに忙しい中でも瀬倉とは友人関係を築いていた、ということになる。

「この、鳴海という方は?」

「元ネクスクラフトの社員です。メッセージを見ると、食事に行ったようですね」

「元、ということは、もう辞められたんですか」

「はい。兄が死んでしばらくして退職されました。この方にもお話を伺いましたが、兄に相談に乗って貰っていたようです」

「相談?」

「仕事が辛くて、死んでしまいたい、と」

 死の影がちらつく会社だ。ともすれば、「後ろの真実」以上に。

 思いついたが、笑えないジョークだった。


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