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第26話

 まず行った場所は、清隆が鈴木を拾ったという道だった。鈴木の過去について、唯一確実にわかっていること。

 清隆から貰った水を一口飲んで道路を見渡す。この水の効果は、口にしてからだいたい三十分程度。その間、この世ならざるものを見ることができる。

 平日の昼間、左右一車線の道路についた歩道。電柱の傍に佇む男の子や、通りがかる人の背中に浮かぶ首だけの男性が見える。

 いない。いろいろいるけど、鈴木さんはいない。

 幽霊を見ても気分は悪くならないが、見えていることを向こうに認識されると追いかけられることがあるという。それは面倒なので、見るけれど無視するという矛盾した行為を行わないといけない。あと単純に怖い。

 ま、いきなりここにいる、なんてことはないよね。

 念のため寄ってみただけだ。知りたいことは、鈴木の行動範囲。死して幽霊になって、それから動き回ったとしても、県境を越えるほど動き回ることはないと仮定する。

 道の端に寄ってスマートフォンを抜く。ふと、妙な気配を感じて顔を上げると、ボロボロの髪の女性がのっそりと前を通るところだった。何の気なしに目で追うと、背中が見え、慌ててスマートフォンに目を落とす。

 背中にナイフが刺さっていた。死者だ。見えていることを気づかれてはいけない。

 早鐘を打つ心臓を抑え込んで、次なる目的地を検索する。

 株式会社ネクスクラフト。鈴木が生前勤めていた会社の、支社。


 ネクスクラフトは従業員数八○○人を越える中規模のソフトウェア開発会社だ。本社は東京にあるが、第一支社がこの辺りにある。鈴木が生前勤めており、死んでから清隆と出会ったのであれば、勤めていたのは第一支社で間違いない。調べてみると、第一支社には五十人ほどが働いており、八階建てビルの一フロアがオフィスとなっているようだった。

 鈴木の生前を知っている人を探そうと思うと、ネクスクラフトの社員に当たってみるしかない。清隆の話によると、鈴木を拾ったのは半年前。まだ知り合いが在籍していて然るべき時期だ。聞いて回れば出会える。

 問題は、どうやって聞いて回るか。気は乗らないし手間もかかるが、仕方ない。

 桜子は覚悟を決めた。

 オフィスが入ったビルのエントランスに立ち、人が帰ってくるのを待つ。そして、全員に声を掛ける。「ネクスクラフトの社員さんですか」と声を掛け、Noなら謝る。Yesなら「鈴木健太を知っていますか」と聞く。無視されることはなかったが、空振りが続くと精神的に疲れる。露骨に迷惑そうに手を振って去っていく人もいた。

 昼休みを挟んだ三時間ほど続け、何人かネクスクラフトの社員らしき人にも会えたのだが、鈴木の名前を出すと全員が「急いでいるので」と言って去っていった。

 エントランスに設置されている椅子に座り込み、疲れた足をさすりながら考える。

 ここまで明確に拒絶される理由とは何だろう。話くらい聞いてくれてもいいじゃないか。それとも、後ろ暗いものがあるのか。

 そこまで考えて、鈴木の死因を考えたことがないことに思い至った。なんとなく交通事故死か何かだと思っていたけれど、それなら「鈴木さんは交通事故で亡くなられましたよ」と言ってくれればいい。それくらいは人情の範囲だろう。

 では、その範囲外のことが起きていたとしたら。

「きな臭くなってきたね」

 誰も見ていないエントランスで呟く。何か裏がありそうだ。しかも、あまり良くないものが。

 会社、死んだ人間、口を噤みたくなる理由。

 ここまで揃えば、なんとなく想像はつく。

 一人の女性がエレベータから降りてきた。日が暮れてからは別だが、今の時間、これから出て行く人には声を掛けない。時間が迫った用があるはずだから。

 だから、見送るはずだったのだが、女性と目が合った。会釈したものか考え、特にリアクションしないことにした。すると、その女性は眉間に皺を寄せて考える素振りを見せた後、こちらに近づいてきた。

「あなた、あゆみちゃんの知り合い?」

 え、と声が出てしまった。誰だろう。

「いえ、違いますけど」

「違うの?」

「ええ、はい」

「鈴木さんの知り合いなんじゃないの?」

「それは、はい」

「鈴木さんを知っていて、歩ちゃんを知らない人が、ここに何の用?」

 この女性が言っていることは全く理解できないが、推測できることは多い。桜子の行動が社内に伝わり、何かを言いたいこの人が下りてきた。そして、鈴木と歩という女性らしき人は、非常に親しい関係であるとわかる。片方だけと知り合いだというのは違和感があるほどに。

「その前に質問です。あなたは鈴木さんとどういう関係ですか」

「元同僚」

「それだけですか」

「何が言いたいの」

 女性の顔にわずかな険が走る。

「友人とは言えない仲だったのですか、という意味です」

 本当は、恋人ですか、と聞きたかったのだが、さすがに踏み込み過ぎだと思って控えめに聞く。

「そういう意味では、友人と言ってもいい、かな」

「なるほど。質問にお答えします。私は、鈴木健太の生前の、できれば死の直前の様子を知るためにここに来ました」

「亡くなっていることは知っているのね」

「はい、知っています」

 どこまで手札を明らかにしたものか、迷う。まだ、この人が敵対しないとは限らない。

 女性は何かを考え、スマートフォンを抜いた。

「とりあえず、連絡先を交換しましょう。私も仕事に戻らないといけないし、あなたの話も聞きたいし」

「はい、よろしくお願いします。あ、鬼頭桜子と申します」

「私は瀬倉楓。じゃあ、今夜連絡します」


 その日の夜、瀬倉の仕事が早く終わったということで、桜子はネクスクラフトの近くのレストランに呼び出された。

 席について、注文を終えた早々、瀬倉が切り出す。

「それで、あなたは鈴木さんとどういう関係?」

「お化け屋敷仲間です」

「ふざけている?」

「いえ、非常に真面目です」

 申し訳ない。真面目に嘘をついている。

「私はお化け屋敷巡りが趣味なんですが、その過程で知り合ったのが鈴木さんだったんですよ」

「お化け屋敷巡り?」

 瀬倉は声を高くした。

「そんな趣味、聞いたことないけど」

「訊かせてもらいますけど、あなたは鈴木さんの恋人ですか?」

「いえ。違う」

 違うのか。残念。

「それなら、知らないことがあっても不思議ではないのではないですか」

 瀬倉が言い淀む。言い方が狡いよなあ、と思いながら、桜子は余裕の表情をつくって清隆からもらった水を飲んだ。

 視界が変わり、薄っすらと暗くなる。瀬倉に憑いているかもしれないと思ったが、そういうわけではなさそうだった。瀬倉は何も憑いていない綺麗な状態だ。

「最近、鈴木さんが亡くなっていたことを知りまして。勤め先だけ聞いていたので、何があったのか知りたくて来たんです」

 瀬倉が暗く目を落とす。二、三度呼吸し、思い切るように言った。

「鈴木さんは自殺したの」

「そうなんですか」

「驚かないんだ」

「そうじゃないかと思っていました。会社に行ったときの、皆さんの反応から」

 会社に行ったとき、尋ねた人の何かを隠したそうな反応を見れば、だいたいわかる。何通りか思いついていたが、その中でも最も可能性が高そうな説だった。

「なぜ自殺したのか、わかりますか」

「正確にはわからない。遺書があったわけじゃないし。でも、想像できることはある」

「想像で構いません」

「多分、過重労働でうつ状態だったんじゃないか、と思う」

 うつ病。よく聞く病名ではあるが、死後の鈴木の様子を思うと、しっくり来ない。自殺で死んだのなら健康だったはずはないが、だからといってうつ病だったと決めつけることもできない。

「どこからが想像ですか。例えば、うつ病だという診断が出ていたんですか」

「診断は、出ていない。鈴木さんは病院にかかっていなかった」

 ならば、うつ病と断ずるのは尚早だ。素人が診断することはできない。

「過重労働、という点はどうですか」

「それは事実。残業時間は、そうね、月に百時間を超えて、その半分はサービス残業にさせられていたから」

「それは……」

 頬がひくつく。桜子が勤めていた会社では、残業時間は月四十時間に届くかどうか、という程度だった。ましてやサービス残業をさせられたことは一度もない。

「私も鈴木さんも営業部なんだけど、開発部はもっと酷いよ。終電で帰れなくて泊まりこんでいる人もいるくらい」

「今どき、珍しいくらいのブラック企業ぶりですね」

「この業界では、そんなに珍しくもないけどね」

 そうなのか。幸いなことに「後ろの真実」は完全定時退社だ。暇とも言える。

 ともあれ、鈴木の労働環境が劣悪だったことは間違いがない。そこに自殺の原因を求めるのはあながち間違いではないだろう。

 ただ、目先の問題は、鈴木が現在どこにいるかだ。自殺の原因ではない。

「自殺という点はたしかなんですか」

「警察がそう判断したってことは、事件性は無いってことだと思うけど」

「警察と話したんですか」

「いえ、風の噂で聞こえてきただけ」

 それは、微妙なところだ。誰かに殺された可能性だってあるのではないか。

 仮に殺人なら、犯人に憑いている可能性は高い。自殺か他殺か、その見極めは慎重にしなければならない。

「歩ちゃんに会うべきだと思うの」

 オフィスビルのエントランスでも言っていた名前だ。誰だろう。

「鈴木さんの妹さんなんだけどね。今、ネクスクラフトを訴えようとしている」


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