「ここで働いていたんですよ」
鈴木が指さしたテレビ画面には、ネクスクラフトという会社のCMが流れていた。
「新卒からだから、六年になりますか。よく働いたものです」
桜子は咄嗟に返事ができなかった。休憩室と名付けられた元空き教室に持ち込んだテレビで、般若と鈴木、桜子はバラエティー番組を流していた。その幕間のCMで発された鈴木の言葉。
「そうなんですね」
なんとか、その一言を捻り出す。
なんとなく、生前の話はタブーというか、訊いてはいけないものなのだと思っていた。鎧武者の幽霊である浅田や、夫に殺された過去をもつ
それを、何気なく本人から口にした。
「何の会社なんですか」
何の気なく聞こえるように、動揺を悟られないように、意図してゆっくりとした口調で聞く。白鳥が水面下で足を忙しなく動かしているアレに似ている、と他人事のように思った。
「ソフトウェア開発の会社です。会計システムとか、webサービスの開発を主にやっていました」
「ソフトウェアエンジニアだったんですか」
「いえ、私は営業をしていました。プログラミングが全くわからないわけではありませんが、どうにも性に合わず、営業に転向したんです」
「合っていると思います。鈴木さんってエンジニアっぽくないですから」
「何人も、そう言ってきた人がいましたね。だから思い切って営業へ移ってみたのですが、悪い選択ではなかったと思います」
言い方に引っ掛かるものを感じた。
「良い選択でも、なかった?」
「まあ、いい上司ではなかったですね」
そう言う鈴木の目はいつも通りで、憎しみも哀しみも、浮かんではいなかった。
鈴木が怒るところを見たことがない。悲しむところも、全力で喜ぶところも、腹の底から笑うところも、見たことがない。桜子は「後ろの真実」に来る前、経理として数年働いていたことがある。会社員の男性は、なんだか感情が抜け落ちたみたいに、一様な穏やかさで仕事をする面がある。そうでない人ももちろんいたけれど、半分くらいは、おそらく意図して淡々と仕事をしていた。
鈴木は、それがそのまま死んだ後も持ち込まれているようだ。スーツ姿がそれを余計に印象づけている気がして、別の服を着せてみたくなった。アロハシャツとか、どうだろう。少しは気が楽になるのではないだろうか。
「その上司のせいで死んだんですか」
ですかあ、と語尾を少し伸ばして、大した話じゃありませんよ、と暗に示すように言ってみる。
鈴木の反応もまた、軽いものだった
「いえ」
笑ったようにさえ、聞こえた。
「私のせいですよ」
手掛かりは、これで全部。
鈴木がいなくなって丸一日が経過した。昨日は「後ろの真実」の定休日で、桜子と清隆は不在だった。キャストの幽霊たちも、休日は三々五々、別々に行動している。浅田は現代の情報収集のため街へ繰り出し、巾木と般若は校庭で遊んだり、近所へ散歩に出たりしていたらしい。一方で鈴木は、いつも遠くへ歩いて行っては、ふらりと帰ってくるのだそうだ。
それが、昨日は帰って来なかった。
幽霊なのだから、夜が怖いということもない。営業日の朝までに帰って来ていれば問題ないだろう、と幽霊一同考えていたらしい。それが、朝になっても戻って来なかった。
「どうしたものかな」
清隆は受付の椅子に座ったまま、困ったように溜息を吐いた。
桜子は立ったまま、うろうろと「後ろの真実」のエントランスを歩き回る。苛つきが隠せていないな、と思い、足を止めた。
「探せないんですか」
「どうかな。サカグラシ」
清隆の式神である、猫又のサカグラシが桜子の足元をするりと抜けていった。
「呼んだか」
「俺と鈴木さんの間に糸は通っているか」
糸。それは清隆の生家である安倍家の陰陽術的な概念だ。縁と言い換えることもできるそれは、力の繋がりのようなものである、と桜子は認識している。術を介して繋がったり、関係性によって結ばれたりする。
「通っていない」
「本当に? 一応上司と従業員なんだけど」
「ここに長くいるからな。仮初めだが糸は通っていた。それはたしかだ。だけど、今は通っていない」
「ってことは、絶たれた?」
「そのようだな」
「なるほど」
話についていけず、桜子は割り込む。
「ちょっと、どういうことですか」
「どうもこうも、糸が辿れないって話だよ。何らかの理由で糸が切られている」
「何らかって、何ですか」
「さあ。糸が切れる理由なんて無数にあるさ。それこそ、俺みたいな陰陽師なら糸を切る術だって持っている」
「陰陽師に拉致されたっていうんですか。何のために」
「ちょっと待って。それは早計だよ。陰陽師が拉致するなんて。除霊されたのならわかるけど」
「除霊されちゃったんですか」
「それも可能性は低い。一介の浮遊霊なんて、除霊対象じゃない。いちいち除霊していたら限りがないからね。放っておかれるのが常だ」
「じゃあ、なんなんですか」
口調が強くなってしまった。
「桜子さん、落ち着いて」
桜子はふうふうと息をしながら、清隆を睨むように見つめる。清隆は目を逸らした。
「とりあえず、今日もお客さんは何組かいらっしゃる予定だから、配置を変えよう。一階に浅田さんを持ってきて、二階は少し寂しいけど、巾木さんだけでやってもらう。暫定、それでいくしかない。桜子さん、いい?」
桜子が指揮を執るべきことを清隆がやっていく。自分が演出として何も提案していないことに、桜子はやっと気づいた。
「はい。それでいいと思います」
目を伏して同意する。恥ずかしかった。自分は何のためにここにいるのか。こんなときこそ、皆を引っ張らないといけないのに。
「予約の時間までまだある。各自、新しい配置に慣れておいて。練習もしよう。二十分後に通してみるよ。じゃあ、一旦解散」
清隆が手を打ち、浅田と巾木、般若が動き出す。目を伏したままの桜子を心配そうに見ている視線を感じながら、桜子は唇を噛んだ。
全員が移動すると、清隆と桜子、サカグラシだけがエントランスに残っていた。
「清隆さん」
「桜子さん」
タイミングが被ってしまった。ふっと笑い、どうぞどうぞと譲り合う。また笑ってしまった。
「じゃあ、俺から」
清隆が譲り合いに負けた。
「鈴木さんを探そう」
「はい」
「今回、陰陽師としての術はほとんど役に立たない。少なくとも、どこにいるのかくらいは当たりをつけないとどうしようもない」
「そうですね」
清隆が立ち上がり、手招きしながら歩き出した。
「桜子さんは、心当たりがある?」
「心当たりと呼べるかわかりませんが、生前働いていた会社なら知っています」
「すごいね。俺も知らないことを。多分、鈴木さんはここよりも縁がある何かに引っ張られたんだ」
「引っ張られた?」
清隆と桜子は事務スペースに来た。清隆は水のペットボトルを取り出す。
「糸を断ち切る最も簡単で、偶発的な方法だ。強い感情か、強い繋がりがある何かに出会って、そっちに糸が通ってしまった。簡単に言うと、人に憑いたか、土地に憑いたか、物に憑いた。だから帰って来られない」
「その何かがわかれば、連れ戻せますか?」
「連れ戻せる。人に憑いた霊を引き剥がすのと同じだ。俺が触れて、無理やり剥がす。でも、肝心の何かがわからない。霊が見えるかどうかなんて関係なく、そもそも見つけられない」
清隆は水に手をかざす。何度も見た、幽霊や妖を視認できるようになる水をつくる手順だ。
「生前の鈴木さんを知らないといけない。鈴木さんが心を縛られている何かを見つけるんだ。そこにきっといる」
水を手渡される。
「オーナーとして、社長として、指示します。桜子さんは、鈴木さんを見つけてください」
力強く、頷いてみせた。
ほんの少し、清隆が笑う。とても、不格好に。