目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第21話

「あれは去年の冬、一月やった。儂のところに連絡が来たんや。住人が死亡しとるってな」

 田辺の自宅はアパートのすぐ近くで、大きな玄関を持つ豪邸だった。書斎で昔の資料を漁る傍らで、田辺は話し出した。

「その後の手続きやら清掃やらは、管理会社が上手いことやってくれたんやが、問題はその後やった。誰が入居しても、一か月や二か月で出て行ってしまう。あの事件以降急にそんな風になったから、問題は明らかやった。けど、管理会社にそう訴えても、偶然だ、と言って聞かん。お祓いしろと何度も言ったんやけどな。幽霊だの呪いだのといった非科学的なもんのためにお金を払えんちゅうわけや。大企業の理屈やな。地鎮祭はやっても、幽霊物件のお祓いはできんちゅう、何とも釈然とせん対応やった。それで、個人的に動くことにしたっちゅうわけや。お、あったで」

 田辺が引っ張り出したものは、202号室の契約書だった。

「あんな事件があったからな。目立つところに取っておいたんや」

 契約書を覗き込むと、江藤菜摘と書いてある。携帯電話番号も併記されていた。

「この菜摘っちゅう女が、死んだ子どもの母親や。早速かけてみるか」

 田辺がダイヤルしたが、すぐに首を振った。

「駄目やな。番号が使われとらん言われたわ。そもそも、片付けに来たのも別の人やったんちゃうかな。たしか、死んだ子どもの母親の、そのまた母親やった気がするわ。思い出した。片付けに来たとき、挨拶に来たんや」

「死んだ子どもの祖母ですか。その方の連絡先はわかりますか」

「待っとれ。保証人の欄に……」

 田辺が契約書をめくる。

「あった。江藤春子。続柄は母親。当たりやな」

 そこで、はて、と田辺が手を止めた。

「そういえば、儂は何の用で電話掛けたことにすればええんやろ」

「話を聞きたい、という用なんですけど」

 桜子が割って入る。

「でもそれ、向こうにメリット無いですよね。話してくれますかね」

「まあ、ええわ。あんたらで上手いこと話してくれ」

 田辺が電話番号を入力したスマートフォンを清隆に差し出す。清隆は受け取ったものの、どうしたらいいかわからないという顔をしている。

 さっきまでいい調子だったのに、と桜子は半分呆れながらスマートフォンを奪い取った。

「貸してください。私が話します」

 助手として、「後ろの真実」演出担当として、働かないと。このリサーチはきっと、あの子を消滅させずにキャストにするためのものだから。


 江藤春子と会う約束は取り付けられた。日を改め、清隆たちから伺うことにする。指定された場所は隣の県で、車で三時間ほどかかる距離だった。ただし、肝心の江藤菜摘は会わせられないと断られた。

 清隆たちは指定されたファミレスで江藤春子を待った。桜子の手には日本のウィスキー、『余市』が握られている。田辺は仕事があるということで、同席できなかった。

「貴重かもしれないものが部屋から見つかったから手渡したいとは、いい言い訳を思いついたね」

 清隆は『余市』を半笑いで見る。その辺の酒屋で買った普通の一本だ。

「お酒って、ものによっては数万円するものがありますからね。勝手に捨てるわけにいかないでしょ」

「桜子さんのそういうとこ、狡いけど凄い」

「やるでしょ」

「尊敬はしない。本当に見つかったわけでもないし」

 江藤春子が店員に連れられてやってきた。二人は立ち上がり、挨拶する。江藤春子はベージュのカーディガンに紺のロングスカートを身に着け、簡単に外出する格好を着て来た、という印象を桜子は受けた。

 桜子は切り出す。

「娘さんは来られなかったんですね」

「電話でも言いましたが、娘は体調を崩しておりまして」

「実は、あの部屋で何があったのか、なぜ菜摘さんのお子さんが亡くなったのか、伺いたいと思ってお呼びしたんです」

 春子は一度目を閉じ、溜息を吐いた。

「そんな気はしておりました。貴重なものが見つかったというのも、きっと方便なのでしょう。何を聞きたいのですか」

「お怒りにならないのですね」

「私が防波堤になることこそ、あの子のためにできることだと思っていますから。あのとき、何もできなかった私にできるのは、それくらいです」

「何もできなかった、とは」

「何も気づかなかった、と言ってもよいです。菜摘があんなことになっていながら、私はのうのうと暮らしていたのですから」

「何が」

 あったのか、と聞こうとしたとき、清隆が手を上げて制した。

「あの、やはり、娘さんから聞かせてもらうことはできないでしょうか。その……一緒に来ているのでしょう?」

 春子の表情が一変した。動揺が視線の動きに出る。嘘がつけない人だ。

「何を仰るのですか。菜摘は体調を崩して、家で寝ています」

「では、一緒に車に乗って来た方はどなたですか」

 清隆が何をしたのか、直感的にわかった。サカグラシを使って駐車場に張り込ませていたのだろう。菜摘本人が来る可能性も大いにあると踏んでいたというわけだ。

 だったら、その流れに乗っておこう。

 桜子は助勢するつもりで言う。

「間違っていたらすいません。今も、この会話を聞いていらっしゃるのではないですか。私たちは陰陽師です。実は、あの部屋に菜摘さんのお子さんと思われる幽霊が今も留まっており、彼を救いたいと思っています。力を貸していただけませんか」

 清隆が机の下で親指を立てている。以心伝心、やりたいことは間違っていなかったようだ。

 春子が俯き黙ると、カーディガンのポケットからスマートフォンを取り出す。

「どうする」

 そっと語り掛ける。やはり通話状態にしていた。

「行く」

 短い返事の直後、菜摘が席にやってきた。白のブラウスに黒のワンピースというシンプルな出で立ちで、つかつかとやってきて、ドカリと座った。怒っているように見える。顔は春子とよく似ていたが、髪が派手めの茶髪だった。

「あんたたち、陰陽師って言った?」

 清隆を横目で見ると、明らかに気圧されていた。顔が青い。代わりに桜子が返事をする。

「言いました」

「私の子どもがあの部屋に留まっているって?」

「はい。この目で見ました。小さい男の子ですよね」

「そんなの、調べればすぐにわかる」

「あなたがここについて来ていたことは調べようがないでしょう。信じていただけませんか」

 ぐ、と菜摘が言葉に詰まる。

「例えばあんた達がジャーナリストだったり、ただの野次馬だったりしたら、ただじゃおかない」

「ご安心を。我々は本物です。まあ、私は助手なので、正確には本物はこっちの男だけですが」

 清隆が慌てたように名刺を差し出す。

 菜摘はじっと名刺を見た後、ドリンクバーを注文して、コーヒーを取ってきた。母親とよく似た溜息を吐き、桜子に問う。

「まず、あんたたちはどこまで知っているの」

「事件があったのは去年の一月。アパートに子どもが取り残されて亡くなった。子どもは母親と暮らしていて、母親が帰って来なくて餓死した。そんな概要だけです」

「それだけ?」

「はい。それだけです。生憎、我々はインターネットに疎くて、過去の情報を探すのは上手くないんです」

 ふうん、と菜摘は睨むように桜子を見る。桜子はそういった視線で怯むタイプではないので、威圧の効果は無かったが。

「私にしてみれば大変な騒ぎだったけど、外から見たらそんなもんなのかもね。世の中では子どもを殺した禄でもない母親だと罵倒されているけど、私はね、被害者なの」


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?