庭の広い、蔵のある日本家屋に桜子は来ていた。教えられた住所はここであっているはずだが、不安になって車を降り、表札を確認しに行く。「安倍」と表札が出ていた。
インターホンを鳴らそうとすると、待っていたかのように玄関が開く。
暗い顔の清隆がそこにいた。
「いらっしゃい」
「どうも。なんかテンション低くないですか」
「掃除して疲れた」
「私が来るからですか?」
「まあ、そう」
「そこまで気を遣わなくてもいいのに」
「そうはいかないだろ。一応客人だし、仕事の客も来ることだし。車、庭の中に適当に停めて」
今日は「後ろの真実」の定休日だ。幽霊たちは三々五々、好きなように過ごしてもらっている。浅田は「後ろの真実」を出て、現代の情報を収集するのに忙しいし、般若と巾木は親子のように遊んでいる。鈴木はふらふらと散歩に出ているようだ。疲れを知らない幽霊の体なので、どこまでも歩けるらしい。
一方で、そんな休みの日に桜子がどうして清隆の家に来たのかというと、「除霊の依頼が来た」と清隆から言われたからだった。
浅田のときも巾木のときも、依頼主が遠方に住んでいたため電話や手紙で動くことになったが、近場に住んでいる場合は家に招いて直接会うことにしているのだという。
「黙って除霊の仕事を請けたら、桜子さん怒る?」
「当然です。私を除け者にしたら、耳引き千切りますよ」
という平和的な会話を経て、まんまと心霊マニアが清隆の仕事を見物できるようになったのだった。
「でも、真面目な話、俺一人で行くことはあり得るからね。今回は依頼主の都合が良かったから桜子さんも来られたけど、「後ろの真実」を桜子さんに任せて俺一人で除霊に出かけることはあるから、そこは理解してね」
「わかっていますよ。そこまで子どもじゃありません。これでも会社員で、私は清隆さんに雇われている身ですから」
そんなことも口に出さなければならないほど信頼がなかったのかと残念になった。「後ろの真実」に入社して約一か月。それなりに信頼関係を築いてきたつもりだったが、心から信頼されるにはまだ全然足りないようだった。
車を停め直して、改めて清隆の家に入る。
「とりあえず、ここが応接間」
清隆は一室に桜子を招き入れた。応接間と呼ぶに相応しく、ローテーブルやソファなどがシンプルに置かれている洋間だった。
「すごい。こんな部屋を持てるなんて、豪邸ですね」
「住んでいる人間が俺一人だからな。部屋は余っているんだよ。桜子さんの実家も田舎ならでかかっただろ」
「まあ、大きいは大きかったですけど、その分住んでいる人数も多かったですね」
「人数が少なければ、ウチみたいに使えたよ。この家も「後ろの真実」が入っている元学校も、安倍家、祖母が所有していた物件なんだ。死んでから宙ぶらりんになっていたところを、俺が相続した。でかすぎて掃除が大変だよ」
「ご実家ってお金持ちなんですか」
「どうだろう。陰陽師として優秀だから、それなりに引く手数多ではある。それに代々占術が使えるし、政界との繋がりもあるな」
「名家じゃないですか」
「内側にいる人間にはよくわからないもんでね」
聞き方によっては嫌みに聞こえるような内容を、清隆は淡々と話す。なんとなくだが、家族や実家というものにコンプレックスを持っているのは知っている。自身のことを落ちこぼれだと言うし。妹が家督を継いだあたりにその原因がありそうだが、それもまだ聞けていない。
聞いたら教えてくれるのかな。自分から話し出すまで聞かない方がいいのかな。
普段なら、すっぱりと聞いてしまう。そういう友人たちに囲まれてきたし、それで不都合が起きることもなかった。ただ、清隆はズカズカと踏み込まれることを苦手としているような気がする。
ふ、と笑みが浮かんだ。
自分が慎重になっていることが可笑しかった。普段なら、気が合わない人と一緒にいることはないから、やりたいようにやる、というスタンスなのに、清隆相手だと、そういうわけにもいかない。自分がこんなことに気を遣う人間だとは、正直知らなかった。
「来たね」
外から車の音がした。桜子が来た時、インターホンもなく玄関が開けられたのは、外の音が聞こえたからだったのか、と変なところで納得する。
二人で外に出迎えると、ベンツが庭に入ってくるところだった。
「ワアオ、お金持ち」
冷やかすように言うと、清隆が表情を曇らせた。
「頼むから客の前でそんなこと言わないでくれよ」
「当たり前じゃないですか」
「桜子さんはその辺、器用だからな」
「普通だと思いますよ。清隆さんが不器用なだけで」
「これから初対面の人と話すのに、自信無くなること言わないでくれない?」
「これくらいで自信を無くさないでくださいよ」
「俺の会話スキルの低さは知っているだろ」
「知っています。知っていて言っています」
「厳しいなあ」
本気で暗くなりそうなので背中を叩く。
「ただの軽口じゃないですか。自信持ってくださいよ、陰陽師」
「俺は落ちこぼれだから」
病んだ笑顔を一瞬見せて、清隆は車に向かって歩き出す。
「いらっしゃいませ。安倍霊障相談サービスでございます」
田辺と名乗った初老の男性は、真っ白でたっぷりと生えた髪を後ろに撫でつけ、仕立てのいいスーツでやってきた。お金持ちだという予想は当たっていたらしい。
「おう、電話した田辺や。お宅が霊媒師さんやな」
「え、ええ。陰陽師の安倍清隆です」
「頼むで。自腹切っとるんや」
「と、とりあえず中へどうぞ」
清隆は田辺のパワーに早速押されていた。その様子を見ていた桜子は、自腹を切っているとは、どういう意味だろうと考える。当たり前ではないか。
応接間に通し、清隆がお茶を出して、田辺がそれを一気に飲み干したところで清隆が話し始める。
「お電話でも伺いましたが、不動産屋、というよりも大家さんなのですね。地主さんですか」
「まあな。代々土地持ちなもんで。これでもGHQのせいで無くなったんやけども、それでも暮らしていくには困らんくらいの土地はある」
「ご依頼の件も、物件絡みですか」
「そうや。察しがええのう」
「ど、どうも」
「お宅らにはありきたりな話かもしれんが、住人が長続きせん物件があるんや。数か月で出て行ってしまう。もう一年ちょいくらいか、まともに住み着いたモンがおらんねん」
桜子は目が輝くのをなんとか堪えた。それはもしかして、事故物件というやつではないのか。心霊スポットは数多く訪れたが、現役の、それも現在進行形で被害が出ている事故物件は初めてだ。
行きたい。何がいるのだろう。
「とにかく一度来てくれ。儂には霊感なんて欠片もないから、どないすりゃええかわからんねん。ここからそう遠くない。車で三十分くらいや」
「それでは、今日これから伺うことにしましょう。その前にいくつか質問させてください」
「なんや。儂は一刻も早く対処してもらいたいんやがな」
言いながら、田辺は早速貧乏ゆすりを始める。かなりせっかちな性格のようだ。
「一年ちょっと前から住人が居つかなくなったと仰いましたね。その頃、何かありましたか」
田辺の表情が曇った。
「その部屋で子どもが死んだんや」
「子どもですか。死因は」
「餓死や」
「餓死? この時代に?」
「母親と暮らしとったんやが、その母親が帰って来んかった。見つかったときには真っ暗な部屋で、暖房も電気も点けんとやつれ果てとったんやと」
「酷い」
思わず桜子が声を出してしまい、清隆と田辺の視線を集めた。
「ああ、惨い話や。儂は断片的な話しか聞いとらんけど、部屋の中は綺麗なもんやったらしい。布団も畳まれ、ゴミは散らからず、母親の帰りを行儀よく待っとったそうや。よう躾けられた子どもやったんやな」
「なのに、母親は帰って来なかった」
「どんな事情があったのか、それとも事情なんてなかったのか、そこまでは知らん。警察に訊いたんやけど、個人情報だのなんだの言われてな。こっちは大家やっちゅうのに」
腕を組み、背を反り、田辺は遺憾の意を体で表す。桜子は、私たちにそれを示されても困るが気持ちはわかる、と思った。大事な物件を事故物件にされてしまっては、商売に傷がつく。
「儂が知っているのはこれだけや。さ、もう聞かれても答えることは無いで。ささっと行こうや」
その後も清隆は子どもの性別や年齢などを質問したが、田辺はわからん、とにかく来てくれの一点張りでまともに質問に答えなくなった。清隆も無理に質問することはできず、ひとまず伺うことに話をまとめられてしまう。事前調査を行うタイプである清隆にとっては少々不本意だろうと思ったが、その辺りが接客の腕の見せ所でもある。
一行は、田辺の車に先導されて桜子の車で清隆と桜子が移動することになった。
「清隆さん、もっと聞きたいことがあったんじゃないですか」
道中、二人だけになれたので聞いてみる。
「まあね。でも、なんだか話したくなさそうだったし」
「接客は言いなりとは違うんですよ」
「至言だね。将来の目標にするよ」
「今日からの目標にしましょうよ」
「嫌だ。あの人、押しが強くて苦手なタイプなんだもん」
「清隆さんは誰でも苦手でしょ」
「桜子さんのことも苦手になりそうだ」
「それはちょっとショックなのでやめてください」
こんなに優しくしているのに、面倒くさい上司なのだった。