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第14話

「いったあ」

 桜子は背中と臀部のあまりの痛みに呻き、もんどりうった。息が詰まり、苦しい。それよりも体の後ろ全体に響いた衝撃の残滓が緩和してほしい。いや、やっぱり苦しい。

 矛盾しているようなループしているような思考がやっとまとまってきたとき、ようやく目を開けられた。

 暗い。真っ暗な闇ではなく、光量が制限された薄暗さだ。そして、壁がすぐそこにある。

「あの」

 背後から声をかけられ、弾かれたように振り向くと、男の子が二人いた。

「下の人、苦しいと思います」

「はい?」

 下を見ると、仰向けになった清隆が桜子の下敷きになっていた。その手が桜子の臀部にしっかりと当たっている。

「ぎゃああ、エッチ!」

 跳ねるように立ち上がり、清隆の腹を蹴り飛ばす。横向きに一回転した清隆は、全く反応を示さなかった。

 そこでようやく、清隆がひと言も発さないことに違和感を持った。

「清隆さん。清隆さん?」

 清隆を揺すっても、頬を叩いても起きない。口に耳を近づけると、呼吸はしていた。

「え、やばいどうしよう」

 わからないことが多すぎて状況が把握できない。パニックになるな、パニックになるな、と言い聞かせて深呼吸する。心霊スポットに行くと、正体不明の声がしたり、他の心霊スポットマニアと鉢合わせたりすることがある。どちらも、別の意味で恐怖だ。助けを呼べない孤立した場所で、襲われたらひとたまりもない。

 そんなとき、最もやってはならないのが、冷静さを失うこと。無闇矢鱈に行動して状況を悪化させてはならない。異常事態こそ、冷静に。それができなければ心霊スポット巡りを趣味にはできない。

 状況、清隆は意識不明。兄弟がいる。ここはどこかわからない。さっき見た女は何か。

 目を閉じ、思考を整理する。清隆を助けるためには助けを求める必要がある。では、ここは? さっき味わった落ちる感覚。でも、足場はしっかりした地面だった。だめだ、情報が足りない。

 ひとまず、わかることからはっきりさせよう。

 目を開けた。

「君たちは、稲垣直樹君と圭吾君だよね」

「はい」

 男の子の、体が大きい方が答える。こちらが兄の直樹君とみていいだろう。

「私たちは君たちを探しに来たんだけど」

 ミイラ取りがミイラに、という言葉が頭をよぎった。

「ここは、どこかな」

「わかりません」

 実に素直な答えが返ってきた。うん、そうだよね。

「でも」

 と直樹君は続ける。

「井戸の中、だと思います」

「井戸?」

 そう言われて見回すと、石組の丸い空間であることがわかった。足元には湿った土。井戸にしては広すぎるが、たしかに井戸らしさがある。

 す、と視線を上に向けた。直樹君が、あ、と声を出した。

 さっきの女と目が合った。

 いいいいいい、と桜子の喉の奥から音が漏れる。

 女は井戸の縁から上半身を乗り出すようにしてこちらを見下ろしていた。逆光で暗いのに、目だけが爛々と輝いて見える。目は全開で、瞬き一つせず、体は微動だにしない。

「見ない方がいいです」

「先に言ってよ」

「見ていると気持ちが悪くなるので、今からでも目は合わせない方がいいです」

「そうだね」

 気持ち悪くなる云々はわからなかったが、ずっと眺めていたいものでもないので目線を引き剥がした。

 でも、おかげでだいたいの状況はわかった。これは神隠し。清隆のレクチャーをあてにすれば、私たちはあの女の腹に呑まれてしまった。そしてここは井戸の底。霧崎城の井戸を見つけてすぐに呑まれたことが無関係だとは思えない。いつだったか清隆が言っていた、幽霊や怪異に出会う条件のようなものを、井戸を見つけたときに満たしてしまったのだろう。

 状況がわかれば、次は清隆だ。

 清隆を起こそうと再度揺すってみるが、起きる気配はない。頭を打って脳内で出血している場合、一刻の猶予もない。ただの脳震盪ならよいのだが。

「おい、桜子」

 清隆の下から這い出て来たのは、サカグラシだった。

「サカグラシさん!」

「私まで呑まれてしまった。問答無用だったな」

 どうやらこの領域にいる間は幽霊や妖怪が見えるようになるらしい。百人力の味方を得た気持ちになる。

「サカグラシさん、清隆さんが」

「大丈夫。気絶しているだけだ。私は医者じゃないが、契約主の体のことはだいたいわかる」

「良かった」

「お前の蹴りの方が危険だったかもしれん」

「そんな強く蹴ったつもりはないんですがね」

 誤魔化すように笑いながら、心の中で合掌する。

 申し訳ない。私のクッションになったから気絶したのに。

「それより、ガキ共に私のことを説明してやれ。恐怖の二倍重ねで失神しそうになっているぞ」

「あ、そうですね。ええと、直樹君、圭吾君、この猫さんは味方だよ」

 それから、自己紹介をはじめ、清隆が陰陽師であること。祖父母の依頼で探しに来たことなどを説明した。話しているうちに気持ちが落ち着いてくる。上から視線はバシバシ感じるし、時折視線を合わせてしまって慌てて避ける、ということをしたが、今すぐどうこうされることはなさそうだった。

 一通り説明と各自の紹介が終わり、これからの話をする。

「サカグラシさん、あれの目的は何でしょうか」

「目的?」

「私たちを閉じ込めてどうしたいのでしょうか」

「閉じ込めておいて出すつもりがないのなら、殺すつもりなんだろう」

「やっぱりですか。直樹君、君たちが閉じ込められてどれくらい経った?」

「だいたい丸一日って感じです」

 直樹君はまだサカグラシという喋る猫が気になるようで、目線はサカグラシに合わせたまま私に答える。圭吾君は一言も喋らない。

「中の時間がゆっくり流れているってこともなさそうだね」

 となると、あと数十時間で飢え死にしてしまう。それまでに脱出の道筋をつけないといけない。

「サカグラシさん、私たちを出すことってできますか」

「無理だな。これは結界の一種なんだが、解こうと思ったらあの女を倒すか、説得するか、結界に干渉するかしないといけない。そして、こんな強力な悪霊を倒そうと思ったら、清隆の助けが不可欠だ。結界への干渉も、こんな井戸に閉じ込められていたらできないな」

「説得は?」

「やってみろよ」

 桜子は覚悟を決めて女と目線を合わせる。さっきから全く動かずこちらを見ている。この世のモノではないと示されている気がして、不気味さがだんだん増してきた。

「あの、お名前は」

 井戸の入口まで届くように声を張り上げたが、女は口を開かない。

「どうして私たちを閉じ込めるんですか」

 垂れ下がった髪が顔に陰を作っている。その後ろの空は明るいのに、女の顔は暗い。

「どうしたら出してくれますか」

 女は反応しない。

「駄目だ、こりゃ。相手が会話に応じないと説得なんて無理」

 諦めて目線を逸らす。痛いほどの視線が刺さってくるが、やはり目を合わせているのは辛い。短時間なのにひどく疲れた。

「こっちは説得材料を何も持っていないからな。清隆が事前準備で調査をする理由がわかっただろう」

「よくわかりました。せめて名前や、悪霊になった背景でもわからないと興味も惹けない」

こっちを見ているけれど、言葉は全く届いていなかった。闇に向かって声を出している気分になる。

「え。ということは、打つ手なし?」

「そういうことになるな」

 桜子は嘆息し、石壁にもたれて項垂れた。体力の消耗を少しでも抑えようと、目を閉じ、呼吸を整える。

 運転と登山の疲れが寄ってくる気配があった。


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