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第9話

「そこの者、待つがよい。我こそは薩昌成様が家臣、浅田修平。我が姿を見たものは生きて返さぬ」

 鎧武者の霊、浅田が太刀を抜いた。

「待った待った。なんで時代劇調⁉」

 すかさず桜子から指摘が入る。今日はTシャツにジーンズという動きやすい格好で、ボブカットを後ろで括って短いポニーテールにしている。

「時代劇?」

「ああ、浅田さんにとっては自分の時代の喋り方なのね。でもそういうことじゃなくて、お化け屋敷だって言ってんのにチャンバラしようとしてどうすんの」

「拙者、武士であるがゆえ」

「武士なら落ち武者に扮して怖がらせるとか、やりようはあるでしょ」

「落ち武者が怖いとは、斬りかかられる怖さではないのか」

「落ち武者の幽霊の話をしているの」

「落ち武者の幽霊? 桜子殿は変わったことを考える」

「いや、普通なんだって、この時代じゃ」

「拙者は落ち武者ではないが?」

「知っとるわ。お化け屋敷ってのは、そういう怖いものを客に見せて喜ばせるものだって何回言ったらわかるの」

「何度聞いても不思議なのだが、怖いもので喜ぶとは、この時代の人間はけったいなものよ」

 お化け屋敷「後ろの真実」では、桜子と浅田の稽古が連日行われていた。だがいかんせん常識の違いと浅田の演技下手が祟って上手くいっていないのが実情だった。まだ客の前には出せていない。

 清隆は離れたところに椅子を持ってきて座り、眺めるでもなくぼんやりと佇んでいた。桜子が来てから急に賑やかになった「後ろの真実」に、般若も鈴木も喜んでいる。清隆一人で回していたときより、明らかに楽しそうだ。

 そういうものと諦めているが、清隆は周囲を盛り上げる才能を持っていると思っていない。どこまで行っても陰の性格で、桜子のように強く、陽の性格をしている人間に、尊敬ともつかない憧れを抱いてしまう。それはときに劣等感にもなるが、ここは清隆の術ありきで成り立っているお化け屋敷だ。そのことが清隆から自尊心を失わせることなく、冷静に観察できる目を持たせていた。

「清隆さん」

 鈴木が音もなく背後に回っていた。

「浅田さんは大丈夫でしょうか」

 鈴木の声は心配しているというより、面白がっているように聞こえる。鈴木だって日々空き時間があれば桜子の指導を受けてしごかれているはずだが、桜子を見る目に怒りや怯えはない。清隆は、自分なら怖くて避けてしまうかもしれないな、と思いながらその視線の温かさを測った。

「大丈夫でしょ。最初はカルチャーギャップがあるかもしれないけど、それを乗り越えれば迫力満点の落ち武者完成だ。いいキャストになるよ」

 鈴木は稽古を受けている浅田を指さす。

「落ち武者に見えますか」

「言われてみると、たしかに見えないな。あの鎧って着崩せると思う?」

「多少はできると思いますよ。全く違う服装になることは難しいでしょうが、紐を緩めるとか、一部取り外すとか、そのくらいならできると思います」

「鈴木さんもそのスーツ脱げるの?」

「私は脱げません。ネクタイを外すくらいならできますが、この姿のままですね。死んだ時の服装ですから、そのイメージが固まってしまっているんでしょう。逆に般若ちゃんなんかは、自分が死んだ時のイメージは薄いはずですから、違う服装に化けられるかもしれませんね」

「あの子、そんなにいろんな服を着たことあるんだろうか」

「わかりませんね。あの子の過去は全くわかりませんし」

 清隆は、ふう、と息をついて、この場にいない、今頃は一階でサカグラシと遊んでいるのだろう般若に思いを馳せる。あの子は顔もわからなければ過去もわからない。本人が全く覚えていないのだからどうしようもない。探偵を雇って過去を調べることも考えたが、せめていつどこで死んだのかくらいはわからないと辿りようがない。清隆は早々に諦めていた。

 過去を知ったからって、何かいいことがあるわけでもないしな。

 ただ、と清隆は沈思する。幸せな人生ではない面があったことだけは確かだ。何もなければ霊としてこの世に留まりはしない。霊とは未練だ。この世に糸を繋いでしまった者、何かから糸を繋がれてしまった者がそれに縛られ霊となる。般若という子どもが何に執着し、未練を遺しているのか清隆にはわからない。今はそれでいい気がしていた。この「後ろの真実」があって、居場所がある限りは。

「鈴木さんなら、自分の過去って知りたいと思う?」

「どうでしょうか。自分が死んだ理由なんて、忘れられるものなら忘れたいです。でも、生きていれば楽しい事や幸福だったことの記憶もあるはずで、それら全てが失われてしまうのは、正直、寂しいですね」

「いいところだけ取るってわけには、いかないよな」

「いかないでしょうね」

 そのまま、何という会話もなく二人で浅田の練習を眺めた。鈴木と話すと、時折こういう時間が生まれる。無理に会話しなくてもよくて、かといって気まずくもない、ただ一緒の空気を共有するだけの時間。鈴木が霊だからなのか、時間的な焦りというものが鈴木からは感じられない。存在感の希薄さがちょうどいいのかも、などと清隆は考えてみるが、答えは出なかった。

 浅田が太刀を振り上げた。

「その首頂戴する」

「もっと恨めしそうに」

 桜子はどこから持って来たのか、団扇を持ったまま腕組みし、指示を出す。浅田は困ったように考え、トーンを落とす。太刀もだらりと下げた。

「その首、頂戴いたす」

「うん、良くなったよ。そうそう、そういう覇気の無い感じを出すんだ」

「拙者、武士がゆえ、こういうものはどうにも肌に合わぬ」

「別に普段からそうしていろって言っているわけじゃないよ。お客さんが来たときにだけ、そういう演技を全力でしろって言っているだけじゃん」

「覇気の無い演技を全力で?」

「そう。やっつけの演技なんて相手にはすぐバレるからね。本気で挑まないとだめだよ。そうだな、折角幽霊で相手に触れないんだから、実際に斬りかかるところまでやろうか」

「民を斬れと申されるか」

「いや、あんたは幽霊だから斬れないでしょ。悪霊だったときなら被害が出るかもしれないけど、今のあんたはただの透りぬけるだけの幽霊だし」

「だが、何の罪もない民を斬るのはあまりにも……」

「じゃあ、突進して透りぬけてそのまま壁に消えていくっていうのは? その場合、折れた槍はそのまま持っていた方が、雰囲気が出ていいかもね。よし、早速やってみよう。私を客だと思って突っ込んできて」

「主に体当たりするとは、いかがなものか……」

「そういうのいいから。私はあんたの主だけど、そんなことを考えるくらいなら、どれだけお客さんを怖がらせられるかを考えてくれたほうが私は嬉しいよ」

 浅田は、ぐぬ、と唸り、渋々頷く。

「桜子殿がそう仰るなら」

 桜子はパンパンと手を叩く。

「よし、じゃあやってみよう。何事も実験と検証だからね」

 活き活きしているなあ、と清隆は桜子を見て思う。

 怖い話やお化け屋敷が好きだとは聞いていたが、この様子を見ると本当に好きなのだろう。お化け屋敷の運営に携われて楽しくて仕方ないといった様子だ。成り行きと思いつきでお化け屋敷をやっている自分とは、モチベーションの深さが違う。

「きいええええええ!」

 浅田が絶叫しながら桜子に突進していった。

「なんで叫ぶの⁉」

 壁に消えていった浅田の方を向いて桜子も叫んだ。

 壁からのっそりと出てきた浅田は武士らしくなく少し縮こまっていた。

「いやこれは、剣術で相手に向かう時は、こうだから……」

 桜子がもどかしそうに団扇を振った。

「なるほどね。いや、叫ぶこと自体は悪くないというか、かなり怖い演出になりえるんだけど、びっくり箱的な恐怖になってしまうというか。ううん、やっぱり全体的なイメージを構築しないと実感を持って考えられないよね」

 桜子が団扇を清隆に向ける。

「清隆さん」

 突然呼ばれ、清隆はビクリと肩を震わせた。

「はい、何でしょう」

「ホラー映画鑑賞会をしましょう。ホラーとは何か、皆、もっと知る必要があります」

 本物の霊たちがホラー映画を観るという構図は面白そうだったので、即座に親指を立てる。

「いいね、皆の勉強になりそうだ」

「清隆さんも観るんですよ」

「え、俺も?」

「当たり前じゃないですか。一蓮托生ですよ」

「まあ、ね」

「あれ、もしかしてホラー苦手ですか」

「そんなわけあるか。作り物のホラーなんて全然怖くないって」

 こちとら何年リアルなホラーを相手にしているのかという話だ。

「ねえ、鈴木さん。我々がホラー映画を観ても勉強にこそなりはすれ、怖がるなんてあり得ないですよね」

 横に立っていた鈴木に声を掛けると、びくりと肩を震わせた。

「そうですよ。我々自体がホラーなんですから。ま、まあ、演出に驚かされることはありますけどね。突然特殊メイクをした役者が画面に出てきてびっくりすることはありますよ。生理的にそれは仕方のないことと言いますか、生物として当然の反応ですから」

「鈴木殿、ほらーえいがとは何であろうか」

「え、ああ、お化け屋敷的な劇というか、映像ですかね。観客を怖がらせることを目的とした能や狂言みたいなものだと言えば、いいのかな。それを録画して、見るんですよ。まあね、所詮は作り物の映像ですから、我々のような本物には敵わないわけで、非常にチープな、もう全然怖くない楽勝なものですよ。いや、これ、見る必要あるのかな。今さら我々に必要なものとも思えないくらいですね」

 ははは、と鈴木の乾いた笑い声が空しく響く。

 桜子は笑みを浮かべた。少し下品な、悪戯を思いついた小学生のような表情になる。

「怖くないんですね。じゃあ、絶対見せますからね。善は急げ。今からやりましょう」

「今から?」

「三階の事務スペースにテレビありましたよね。それで映しましょう。私、DVD借りてきます」

 言うが早いか、桜子は飛び出して行った。浅田はやれやれと休憩する。清隆は苦笑しながらそれを見ていた。

「鈴木さんは大丈夫?」

「何がですか。大丈夫に決まっているじゃないですか」

「ならいいんだけど。桜子さんも人が悪いな。欠席してもいいんだよ?」

「欠席する理由が見当たりませんね」

 鈴木の元からやや青白い顔がより一層白く見えた。幽霊でも青ざめるのかな、と清隆は興味深くそれを見る。

「話を戻しますけど、清隆さんは般若ちゃんの過去を見ることはできないんですか」

「過去を見る?」

「占い師って、あなたのこれまでの人生はこうだった、ああだったって当てるじゃないですか。清隆さんも同じようなことができないのかなって」

「ああ、なるほどね」

 古傷と呼ぶのもおこがましい、自己嫌悪の痛みが胸をゆっくりと流れていった。熱いものを飲み込んだときのように、痛みに耐える。何度も味わい知っている。しばらくするとこの痛みは治まる。

「昔ならともかく、今はね。妹ならできるかもな」

 鈴木は、不自然に空いた間に気付いているのかいないのか、変わらぬ調子で続ける。

「妹さん?」

「妹は占術の達人なんだよ。俺には信じられないくらい深く、遠くまで見通せる。過去が見えているのか未来が見えているのか、もう俺には想像もできないくらいにだ」

「そんなにですか。清隆さんも相当に腕の立つ陰陽師だと思っていますが」

「まあ、未来を占うことはできないでもない。ただ、あまり精度はよくないし、先入観に囚われて判断を誤る可能性を考えると、肝心なときほど使いたくないな」

「先入観とは?」

「例えば、この先の未来を占って、パンにまつわるいいことがあるからパンを買うべし、という結果が出たとする。そうすると、普段は行かないようなパン屋が急に目について、買わなきゃならないような気になってくる。本当は全然違う意味合いだったのに、そうやって誤解して進んでしまうってことがあり得る、というかほとんどなわけだ。そうなると、占いなんてしてもしなくても変わらないというか、いいことがあるはずだと油断する分、性質たちが悪いかもしれない」

「そういうものですか」

「俺レベルの占いだと、ね。やってみようか」

「すぐできるんですか」

「三階にちょうど酒がある」

 鈴木と清隆は三階へ続く階段を上り、事務スペースに来た。鍵を開け、かつて教室だった一室に入る。テレビや机、冷蔵庫といった家具家電が広い空間に並んでいた。

「サカグラシ」

 清隆が呼ぶと、床を透りぬけてサカグラシが現れる。

「呼んだか」

「占いをやる。力貸せ」

「あの当たらない占いか」

 サカグラシの言い方が的確で、清隆は自嘲した笑いを吹き出した。鈴木はそれを複雑な顔で見ている。

 清隆は冷蔵庫から一本の酒を取り出した。

「新祭の「未来」って酒だ。じゃあ、やるぞサカグラシ」

 お猪口に「未来」を注ぎ、手をかざす。清隆はサカグラシと繋がっている糸を意識した。サカグラシの力が流れ込んでくる。

「サカグラシと俺は、酒が冠している名前にちなんだ能力を使うことができてね。式神と言霊の合わせ技なんだけど」

 サカグラシから流れて来た力を酒に注ぐ。

「こうしてサカグラシの力を使うことで、未来を占う酒に早変わりってわけだ。あとはこれを飲めばいい。占いたい相手の血を混ぜると、その人の未来を垣間見ることもできる」

 清隆は「未来」を一気に飲んだ。途端にいくつかのイメージが流れていき、清隆は顔をしかめた。

「どうでした」

 鈴木が訊くと、清隆とサカグラシは顔を見合わせ、微妙な顔になる。

「厄介ごとの匂いがしたな」

 サカグラシは一つ欠伸をした。


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