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第8話

 私、鬼頭桜子は烏丸を殺した。

 恋人であった烏丸を振ったのが約半年前。理由はなんてことのないことだった。烏丸に恋愛感情を持てなくなった、興味がなくなった、そういうこと。

 烏丸が私を好きでいることに疑いはなかったし、愛されている実感はあった。でも、一つだけ、私の趣味についてだけは認めてくれなかった。

 幽霊なんていない。妖怪なんていない。都市伝説なんてただの作り話。それが烏丸のスタンスだった。そういう人がいてもいいと思う。科学的、論理的、何と言ってもいいけれど、つまりは目に見えないものは存在しないという性質の人たち。烏丸はそれだった。

 付き合う前からわからなかったのか、と言われれば、わからなかった。烏丸は私の趣味を知っていたはずだけれど、自分が彼氏になったらやめさせられるとでも思っていたのかもしれない。

 生憎と、私はそんなに他人に左右される人間ではない。ましてや恋人に合わせて染められはしない。

 烏丸がついて来ようが来まいが、私は心霊スポットに行ったし、都市伝説を集めては舞台となったであろう場所に出向いてはしゃいだ。そういう界隈にいると、趣味が似通うインターネット上の知り合いもできるもので、私は烏丸よりも楽しく彼らとやり取りした。

 そんなことをしていると、烏丸と一緒にいる意味がわからなくなった。

 別れた理由なんて、ただ、それだけ。

 別れ話をしても烏丸はなかなか認めなかったが、結局は折れさせた。私は一度決めたことを譲ったことがない。烏丸と別れると決めたので、絶対に別れると告げた。烏丸は散々ごねて、認めないと言って、それでも私の部屋から荷物を引き揚げさせることができた。恋愛は双方向の意思が一致していて成り立つものだから、私という片方にその意思が無ければ成立しない。そんなことを言った気がする。論理派の烏丸には効いたと思う。

 ただ、予想外だったのは、そのまま烏丸がストーカー化してしまったことだった。無言電話、差出人不明の白紙の手紙、駅から家まで誰かがついて歩く気配。引っ越しを検討したけど、今の家は気に入っていて、烏丸のために逃げるのは癪だった。だいたい、職場を知られているのだから、本気で尾行すればどこに住んでもいずれはバレる。

 実害が無い以上、警察も動いてくれないだろう、どうしようか、と考えているうちに、その日が来てしまった。

 その日は大雨で、傘を吹き飛ばされそうになりながら家路を歩いていた。そんな天候の中、行く手に、傘も差さず立っている人影が現れた。

 烏丸だった。

 血走った目で、記憶にあるよりずいぶん痩せて、私が買ってあげた赤いリュックタイプの鞄を背負っていた。

「大雨だから、心配で」

 と烏丸は言い。近寄ろうとする。私は恐怖を感じて振り向き、逃げた。

「待ってくれよ、話をしようよ」

 雨音に混じって聞こえてくる声は悲鳴のようで、誰かが聞きつけてくれないかと期待したが、大雨の中、誰も外を歩いていない。

 傘を閉じて、濡れないことよりもスピードを重視した。だが、烏丸は男だ。いずれ追いつかれてしまう。

 どうにか、しないと。

 適当に曲がると、増水した川沿いの道に出た。普段は穏やかな河原だが、今は濁った水が波打って流れている。

 頭に閃くものがあると同時に、背中を突き飛ばされた。濡れたアスファルトの上に倒れ込む。

「桜子が悪いんだ。話をしようと言っても、全然聞く耳持ってくれないから。だから、こうするしかないじゃないか。こうするしかないじゃないか!」

「ヒステリー起こすな、男のくせに」

 烏丸は叫びながら、両手を桜子の首に伸ばす。払いのけようとしたが、覆いかぶさられた体勢がまずく、地面に追い込まれ、掴まれる。

「大丈夫。首を絞めてもすぐには死なない。気絶してもらうだけだから」

 ゴリ、と首に指が食い込む感触に、桜子は決意を固めた。

 私は、一度決めたことはやり遂げる。

 必死に足を動かし、烏丸の股間を蹴り上げる。烏丸の顔が歪み、手が緩んだ。その隙に呼吸し、二発、三発と股間を蹴り上げる。

 烏丸はよろめき、距離を取ろうとした。だが、私は追撃した。持っていた傘を烏丸の目に向けて突き出す。ぶちゅり、という嫌な感触を無視して、大きく傘を振りかぶった。脳天に振り下ろすと、傘が曲がった。武器を失った私は、無我夢中で突き飛ばし、そばに落ちていた河原の石で殴り、烏丸を河に落とした。最後には、烏丸の顔はぐちゃぐちゃになっていたと思う。よく見ていない。

 ただ、気持ちが落ち着いたときには周りには何もなく、烏丸も、傘も、石も、全てが河の中だった。

烏丸は幽霊になって戻ってくるのだけれど、それはまた別の話。


「ということがあったの」

 浅田を「後ろの真実」へ連れ帰り、烏丸がうずくまった階段で桜子、清隆、浅田は話していた。

「ストーカー、とやらはよくわからぬが、付き纏われ、殺されかけたということだな」

「そういうこと」

「ならば我が身を守るため、手にかけたのは正当な反撃に思える。むざむざ殺されることを良しとはしまい」

「だから、人殺しの目をしているって言われたときはびっくりした。その通りなんだもん。よくわかったね」

「戦場で、皆の顔つきが変わっていくのを見ていたのでな。しかし、そうか、この男がな」

 後ろで様子を見ていた清隆が言う。

「本来、こういう霊の方が多いんだ。浅田さんみたいに話せる人の方が珍しい。除霊するときも、鎮めたからといって言葉が通じるとは限らない。今回は桜子さんの機転でなんとかなったよ。あれが無ければ消滅させるところだった」

「怖い事を言いますな、清隆殿。ところで桜子殿、どうして拙者が浅田修平だとわかったのだ」

 桜子は、話を振られ、照れるように髪をいじる。

「いや、それは大したことじゃなくて。清隆さんの言葉が届かなかったことで、薩昌成さんではないな、と思ったの。でも、鎧は立派だったし、落ち武者みたいな乱れ方もしていなかった。となれば、前線で指揮をとっていた人かなって。事前に調べた中で一番該当しそうだったのが浅田修平さんだったってわけ」

「へえ、適当に言ったのかと思った」

 清隆の言葉に、桜子はへらりと笑う。

「間違っていたら名前がわかる限り全員試すつもりでした」

「なるほど」

 清隆はにやりと笑い、浅田はうんうん、と頷いた。

「思慮深い方々に助けていただき、まこと、拙者は運が良かった」

「今度は浅田さんが私たちの助けになる番だよ」


 口コミサイトで平均評価、星0.5のお化け屋敷がある。

 それは高速道路のインターチェンジを降りて十分弱車で走ると、集落からぽつりと離れたところにある。かつて中学校の校舎だったその建物に、今は「お化け屋敷 後ろの真実」という屋号が掲げられている。

 桜子は入口ドアからお化け屋敷に入る。やがてスーツ姿の男が現れ、「こんにちは」と挨拶し、そのまま壁の中へと消えていく。桜子は壁を調べるが、種も仕掛けもない。二階に向かって進むと、階段の男に行き遭う。何の反応もしないその男に、人形なのか本物の人間なのか、一種の不気味さを覚えながら通り過ぎる。

 二階に上がると、何かが部屋の一つへ、廊下を横切るように移動した。思わず目で追い、足で追い、部屋を覗き込む。椅子に隠れた小さなキャストは、転がるように桜子の前に飛び出てくる。子どもか、と油断したところ、般若面に驚く。その子供も一階の男と同じく、壁に吸い込まれるように消えていった。

 桜子は気のせいなのか、肌寒さを覚える。普通のお化け屋敷とは演出が違う。人が出たり消えたり、しかもそれらが立体感を持って迫ってくるのだから、おかしい。映像技術だとしたらお金がかかりすぎている。

 まさか、本当に幽霊なんじゃ。入口で言われた、決して振り返ってはいけません、という言葉が何を意味するのか、俄然興味が湧いてくる。振り向いたら、そこに幽霊がいるのではないか。

 ガチャン、という音が響く。ガチャン、ガチャンと固いものがぶつかり合う音がして、部屋から鎧武者が現れた。

 鎧武者は右手を突き出し、中腰で叫ぶ。

「あいや、そこの者、ちと待たれい!」

「なんで歌舞伎風なの! いい感じだったのに。ああ、もう、どうしてウチに来るのは皆演技が下手なの」

 桜子の演技指導は、今日も続く。

 サカグラシが尻尾を揺らしながら、ケケケと笑って通り過ぎた。

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