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第7話

 拙者は、浅田修平だ。なぜそんな大切なことを忘れていたのか。忘れたことすら忘れていた。あれが幾年前の戦だったのか、それすらももうわからぬ。ただ、長い月日が経ったことだけはわかっている。

 拙者はずっと青山を彷徨っていたような気がする。ここに流れ着いたのは、偶然だったのか必然だったのか、少なくとも意思をもって向かったわけではなく、無意識に辿り着いた。

 拙者は、そう、薩昌成様の家臣、浅田修平だ。あの戦でも前線に投じられた。戦果を挙げようと意気揚々としていた、わけではない。拙者はただただ怖かった。指揮官として兵を動かしながらも、自分が死にませんように、敵と切り結ぶようなことはありませんようにと、祈っていた。とんだ臆病者だ。

 後世にどのように語り継がれているのかわからないが、池田や中村は勇猛な武士だった。私などではなく、彼らが前線に立つべきだったのだ。いや、彼らはもっと重要な箇所に配置されていたのだから、やはり薩様は適切な配置をされたのだ。最も失っていい駒、それが拙者だった。

 帝の軍が攻勢に出たとき、真っ先に被害を被ったのが拙者の隊であった。悪天候で疲弊し、補給もままならぬ我らの軍に、敵兵は襲い掛かった。そして、あっさりと我らは死んだ。

 娘の言う通りだ。拙者は薩様がどうなったのか、それがわからず、死んでも死にきれなかったのだ。もっと役に立っておけば勝てたのか知りたいこと、そもそもあの戦の行く末を見届けられなかったこと、そして、自分が臆病者だったせいで死んでいった仲間たちのこと。諦めきれないことが多すぎて、拙者は、こんな化け物になってしまったのだ。


 鎧武者、浅田修平は、太刀を取り落として泣いていた。清隆が、警戒を解いた足取りで近づき、しゃがみ込んだ。

「たしかにあなたは悪霊になっていた。でも、化け物ではない。人間の成れの果ての、一つの姿にすぎない。あなたは誰も殺しちゃいないんだ。そんなに卑下することはないよ」

「そうか、拙者はこのような姿になっても、誰も殺さなかったか」

「ああ」

 桜子も二人に近づいた。清隆は止めなかった。

「それが、悪霊になった本当の理由?」

 浅田は、沈んだ目で桜子を捉え、力なく笑った。

「そうかもしれぬ。拙者は戦になっても、結局誰も手にかけることができなかった。拙者の指揮で死んでいった仲間たちは大勢いたというのに、情けないことだ。仲間たちには言えなかったが、怖かったのよ。戦を通じて、人殺しの目になっていく彼らを見ると、もう二度と戻れない道を進んでいる気がして、怖かった。一度殺してしまうと、もうそれまでの自分には戻れない、そんな気がした。だが、その道を進まねばならないとも思っていた。武士ならば、それを誉とするべきだということもわかっていたのだ。だが、できなかった」

「自分を見失わなかったんだな。そして、殺すことよりも殺されることを選んだ」

「そんな大層なものではない。ただ、選べなかっただけだ。悩んでいるうちに殺されてしまった。殺さないことを決断していたのなら、化けて出ることもなかっただろう。拙者が優柔不断だっただけだ」

 浅田は天井を見上げた。

「時代は変わったのだな。あれから長い時が過ぎ、国はどうなった」

「蝦夷地から琉球まで統一されたよ。後の時代の武士たちによって、平和な国になった」

「そうか。我らの戦いは、意味があったのか?」

「あったよ。結果的には幕府が倒される流れの一つだった」

「そうか。北条様は倒れたか。敗者としてでも、時代に関われたことを喜ぶべきなのだろうな」

 さて、と言って浅田は立ち上がる。

「情けない姿を見せてしまったし、世話をかけてしまったな。そろそろ拙者は行くとしよう」

「そうか」

 清隆は満足そうな顔で腰を伸ばした。終わった、とその態度が語っていた。

 そこに割り込む声がひとつ。

「ちょっと待って」

 桜子だった。

「何をいい感じに終わらせようとしているの。めでたしめでたしじゃないでしょう」

「桜子さん、彼は悪意があってやったわけじゃない。償うこともできないんだから……」

「そういうことを言っているんじゃなくて」

 桜子は小走りで二人に駆け寄り、浅田に言う。

「浅田さん、あなた、もう一度働く気はない? 私たちの元で」

「桜子さん、何を」

「清隆さん、言葉が通じる幽霊は稀だって言っていましたよね。そして「後ろの真実」にはキャストが足りないんですよ。言っている意味、わかります?」

 清隆は、は、と声を出した。

「除霊したての霊をキャストとして連れ帰ろうって言っている?」

「そうですよ。だって条件にぴったりじゃないですか。それに本物の鎧武者、再現度は百パーセントですよ。浅田さんがキャストに加われば大幅強化です。仮にもう一度悪霊になっても、清隆さんがいればすぐに収められますし」

「いや、拙者はもう悪霊にはならないというか……」

「ほら、浅田さんもこう言っています」

「いや、浅田さんは何も言っていないだろう。悪霊にはならないと言っただけだ」

「重要なことです。お化け屋敷は無害でないといけませんから」

「話がずれている気がする」

「何がいけないんですか」

 桜子が語気を強めると、清隆は腕を組んで唸った。

「そう言われると、何も悪い事はない、のか。無害になったし、あの世へ行くか「後ろの真実」へ行くかの違いだし」

「名案でしょ」

「さては最初からそのつもりだったな」

「依頼が来たときから考えていましたけど何か」

「何か、じゃないんだよ、業突く張りめ」

商人あきんどと言ってください。だってそうでしょ。うちには幽霊が足りない。除霊の依頼は来る。清隆さんは幽霊を消滅させる以外の道が欲しい。ほら、完璧じゃないですか」

 胸を張る桜子に、清隆は頭を掻いたきり、何も言い返せなかった。ただ一つ、

「浅田さんがいいと言うなら」

 という言葉だけ残し、清隆は二歩引いた。

「ということで、浅田さん、我らが社長の許可も取ったことですし、私たちのお化け屋敷に来ませんか」

 握手を求めるように手を出すと、浅田はじっと桜子を見た。

「君は、桜子、という名前なのか」

「あ、申し遅れました。鬼頭桜子です。あっちは安倍清隆」

「桜子さん、拙者を止めてくれた恩義に応えたい気持ちはあるが、その前に聞きたいことがある」

「何でもどうぞ」

「どうして、君は人殺しの目をしている」

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