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第6話

 三人で体育館に移動すると、隅に鎧武者がいた。桜子たちに背中を向けて、ごく当たり前にそこにいた。

「所長さんが行き遭ったときも、こんな感じだったんじゃないですか」

「ええ、あのときの再現のようです。でも、どうして」

「なぜ体育館なのかという意味なら、戦いやすいからですよ。廊下や部屋の中は太刀を振り回すには狭すぎます。戦で死んだからか武人だからか、自分の得物を使いやすい場所に留まっているのでしょう。なぜこの施設に来たのかという意味なら、人の気配に誘われてきた、というところですかね。悪霊はその動機が何であれ人に執着します。この山の近くで大勢が集まるこの建物に来たのは、そういう理由です」

 桜子が目を凝らすと、所長の言にあった通り、落ち武者という印象は抱かなかった。これから戦に赴くかのような、きっちりと身に着けられた鎧だ。手には折れた槍がぶらぶらとその穂先を揺らし、腰には太刀がある。弓矢は見えなかった。弓兵ではないらしい。

 こころなしか、冷気を感じる。

「清隆さん、あの武者の周り、暗くなっていませんか」

「目の錯覚というか気のせいだけど、その感覚は間違っていない。あれは悪霊になってしまっている。行き遭った人が体調を崩すのももっともだ。あれに襲われたら酷く消耗するだろうな」

「どうやって除霊するんですか」

「俺は陰陽師だ。もちろん、式神を使う」

 サカグラシ、と清隆が呼ぶと、サカグラシはひょい、と清隆の肩に飛び乗った、ジャンプしたというより、浮いて乗った。

「安倍家相伝の術の一つは、式神の力を術師自身が行使できるというものだ。簡単に言うと、サカグラシの身体能力を俺が使えるようになる。あと、霊に触れられるようになる」

 清隆は無造作に見える足取りで鎧武者に近づく。

「これだけの人数で見ているんだ。誰かは目が合う。合わない方がおかしい。そこで見ていろよ」

 清隆は武者まで五メートルの距離で止まった。おい、と声を掛ける。所長と話すときとは全く違う、堂々とした声だった。

「そこの武士、話はできるか」

 武者は錆びついた機械のようなガタついた動きで振り返った。その顔を見たとき、桜子はひっと声を上げてしまった。真っ黒な靄のようなもので覆われていて、顔が見えない。顔は見えないのに、見られていることははっきりわかった。視線が痛いほど刺さってくる。

「顔が無いか。これは、話はできないタイプかな。自我を失いかけている。首が無いよりはマシだけど」

 武者は槍を投げ捨てた。所長から聞いた通りのことが起きていく。

 武者は太刀を抜き、清隆に斬りかかった。ガチャついた音が鳴る。清隆は右腕を差し出すように掲げた。

 ちょ、と桜子が声を出した瞬間、太刀と腕が接触した。鈍い衝突音が響き、太刀が止まる。

清隆の腕は無事だった。それどころか、刀をぴたりと受け止めている。

「こんなもんだよな、霊がイメージで作った刀なんてさ」

 清隆は左足を上げ、踏み抜くように蹴飛ばした。足が食い込み、武者が吹き飛ぶ。

「鎧も大して固くない。鎧も太刀も取っ払ってみれば、ただの人間の霊だ」

 桜子は唖然としながらそれを見ていた。まるで何事も無かったかのように刃を受け止め、鎧武者を蹴った。

 これが、あの情けなくて初対面で飛び上がって緊張していた清隆?

 清隆はさて、と言いながらしゃがみこんだ。倒れている鎧武者を見下ろす。

「お前は薩昌成か?」

 その言葉はてきめんだった。鎧武者はガタガタと震えながら立ち上がり、清隆はしゃがんだままそれを見上げる。

「当たりか」

 唐突に鎧武者は太刀を振り下ろした。しかし、その剣が向かう先に、清隆の姿は無い。清隆は鎧武者の背後に回り込み、回し蹴りで後ろから鎧武者の側頭部を蹴り飛ばした。鎧武者はまたも体育館の床に転がる。

 桜子は呆然とその様子を見ていた。

 機動力が違う。猫のようにしなやかに、俊敏に、清隆は動いている。おそらく、それこそがサカグラシを使役している効果。

 加えて、鎌倉時代と今では体格が違う。今では標準的な体格の日本人男性でも、鎌倉時代に行けば大男になれる。清隆は決して大柄な方ではないが、鎧武者と比べたら大きい。力でも速さでも圧倒している。

 想像していた除霊とは、ちょっと違うけれど。

 桜子はがっかりした気持ちを半分持ちながら、それでも興奮して目の前の光景を見ていた。幽霊と戦う陰陽師の図は、許されるなら録画してSNSにアップしたい。清隆に堅く禁じられているのでやらないが。

 鎧武者が闇雲に振り回す太刀を避け、殴る蹴るで応戦する流れがしばらく続いたように桜子には感じられた。実際は一分にも満たない短い時間だったはずだが、その間、清隆は危うげなく攻撃を避けていく。

「もういいだろ」

 何度目か、鎧武者が床に転がったところで清隆は言う。

「これだけ動けば、恨みつらみも発散できただろ。こっちの話を聞いてくれないか、薩昌成」

 あの鎧武者は薩昌成、青山の戦いで死んだ、幕府軍の大将。そう言われてみれば、立派な具足、汚れの無い姿、そして化けて出る動機、どれもしっくりくる。

「あなたが戦で死んで、悔しい思いをしたことは知っている。大勢の家臣が死んで、悲しかったことだろう。あなたの戦いの勇壮さも、敗北した悲劇も、語り継がれている。何も残らなかったわけじゃないんだ」

 鎧武者はぼんやりと清隆を見ているように、桜子には見えた。清隆の言葉が聞こえている。さっきまでは条件反射のように人に襲い掛かる悪霊だったモノが、清隆によって弱らされて、少し冷静になった。

 どうなる。

「少なくとも、ここにあなたの敵はいない。いるのは無辜の民だけだ。ここで剣を振るっても家臣は帰って来ないし、敗けた戦に勝てるわけでもない。そろそろやめにしよう。薩昌成ともあろう者が、民を傷つける存在であってはならない、違うか?」

 おお、と鎧武者が呻いた。泣いている。おおお、おおお、と低く咆哮しながら涙を流していた。黒い靄のようなもので覆われた顔のうち、涙が流れたあとだけが拭われたように素肌を見せている。

「薩昌成、悔しかったな。辛かったな。もういいんだ。楽になっていい。戦には勝つ者がいて、敗ける者がいる。青山では、それがあなただったというだけなんだ」

 鎧武者は泣きながら立ち上がり、清隆に向かって足を進めた。

 そして太刀を横薙ぎに一閃した。

 清隆は跳ねるように飛び退き、それを躱す。大きく間合いを取って首を傾げた。

「あれ、なんで言葉が届かなかったんだ」

「清隆さん、大丈夫ですか」

 桜子の声に、清隆は鎧武者から目を離さず答える。

「これで鎮まってくれればよかったんだけど、何か足りないらしい。このままじゃ、消滅させるしかない」

 鎧武者の暴れ方は先ほどよりも激しくなった。清隆に攻撃が当たる気配は無いが、鎮められもしない。

 桜子は大きく息を吸った。これを言えば、標的が自分になるかもしれない。でも、清隆にはどうしてか、この発想がないように思える。

「あなたは、浅田修平じゃないですか」

 鎧武者がこっちを見た。

「主がどうなったのか、それがわからず、それを知りたくて化けて出たんじゃないの。教えてあげる。薩昌成は死んだよ、あなたと同じ戦場で」

 しばらく、鎧武者は動かなかった。いつの間にか、涙が止まっているように見えた。

「浅田修平。あなたの戦は終わったよ」

 桜子の言葉に、鎧武者が膝をついた。清隆が驚きの表情でそれを見ている。

「拙者は」

 顔を覆っていた靄が晴れ、鎧武者は語り出す。

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