「ここは合戦場跡ということもあって、いわゆる心霊スポットなんです」
青山少年自然の家の所長だという初老の男性が応対し、清隆と桜子は応接室に通された。そして開口一番、ここが心霊スポットだと明かされた。桜子は条件反射的に胸が弾んで目を輝かせてしまう。
「以前から、落ち武者や幽霊の目撃譚は後を絶ちませんでした。年に一回くらいですかね。夜中、鎧を着た人間が歩いていただとか、廊下に女の幽霊がいただとか。まあ、子どもの言うことですし、それくらいの曰くがある方が、ここに泊まるイベント感が増していいかな、などと考えていました」
所長は、ざらりと短い髪が生えた頭を撫でる。言いにくいことが来る、と桜子にもわかった。
「ただ、偶然なのか何なのか、今年に入ってから異常なんです。毎月、いや、もっと多い頻度で鎧武者の幽霊が目撃され、目撃した子どもも大人も、体調を崩してしまうんです。彼らが言うには、襲われた、と」
「襲われた……」
桜子は思わず復唱してしまった。所長と目が合い、頷かれる。
清隆が手を挙げた。
「体調を崩した人がそう言ったんですね」
「ええ」
「元々体調を崩していたからそういう幻覚を見た、ということは考えられませんか。つまり、襲われたと認識する前から体調が悪かったということはないか、という意味ですが」
「ないですね。ほぼ全員、健康に不安はない状態だったと言っています。唯一、一人の女の子に生理が来ていたようですが、その程度です」
「なるほど。朗報です」
「朗報?」
「体調を崩していないと出遭えない怪異、という可能性もありますから。俺たち二人はどちらも健康なので、そういう条件の場合、空振りに終わるところでした」
桜子は、ほう、と小さく驚く。怪異に遭う条件なんてものがあるのか。今まで散々心霊スポットに行ってきたが、一度も幽霊と会えなかったのは、その条件を満たしていなかったからなのかもしれない。
「体調は関係ないと思います。なぜなら、私も健康なときに鎧武者に遭ったのです」
「本当ですか」
桜子は思わず大きな声を出して身を乗り出してしまった。清隆に目線でたしなめられ、居心地悪く元の位置に戻る。所長はその様子を見て、怪しく笑った。
「ええ、ここの体育館で。隅に誰かいるような気がしてよく見ると、鎧を着た男でした」
「襲われましたか?」
清隆は淡々と聞き、所長は頷く。
「折れた槍を持ち、太刀を帯びていました。武者は槍を投げ捨て、太刀を抜き、迫ってきました。幸い、体育館を出て逃げると追ってきませんでした。その後もう一度体育館を覗くと、誰もいませんでした。唯一の出入り口には私がいたにも拘わらずです」
いや、体育館なら直接外に出られるドアが付いているだろう、と桜子はよぎったが、言わずにおいた。状況的に、鎧を着た生きた人間である可能性を考慮する必要もないだろう。これで実は全て生きた人間の仕業でした、とはさすがに都合が良すぎる。所長だけではなく、利用客の中にも何人も鎧武者を見た人間はいるのだから。
「どんな鎧でしたか」
清隆は聞いた後、慌てて手を振った。
「あまりちゃんとは見られなかったかもしれませんが」
所長は清隆が慌てる様子に、唇を緩める。清隆の過剰に気を遣う態度は、聞く人によっては滑稽で、緊張や不安を和らげる効果があるのかもしれない。
「立派な鎧でしたよ。真田家のような真紅の鎧というわけではありませんでしたが、全身揃っていました。私は自分の目で見るまで落ち武者を想像していたのですが、あれはそういうものではなかった。言ってしまえば落ちる前に死んだ武者なのでしょう。槍が折れてこそいましたが、汚れていた印象はありません。兜があって、大袖や籠手、脛当がきっちり身に着けられていました」
「なるほど。大変参考になります」
その後も二、三質問し、館内を案内してもらうために三人は立ち上がった。
話に出て来た体育館、宿泊棟、事務室、風呂に食堂、巡っている間、桜子は特に嫌な感覚もなく一周した。少し古いけれど、手入れされた施設という感じがするだけの建物だった。
宿泊棟の一室を荷物置き場としてあてがわれ、一旦そこで夜を待つことになった。一応宿泊もできる準備はしているが、「後ろの真実」の営業もあるのであまり長居はできない。
桜子は清隆に話しかける。
「どうするんですか、これから」
「どうもこうも、いるよ」
「え、いました?」
清隆は押し入れから布団を出し、敷き始める。
「目が合わなかった、とでも言うかな。確実にこの建物の中にいるけど、姿を現さなかった。まあ、こんな真昼間から活発な霊の方が珍しいってものだ。力が強まるのもたいてい夜だし」
清隆は敷いた布団に潜り込んだ。
「寝ておいた方が良い。本番は夜だから。帰りも深夜になると思うし。じゃあ、お休み」
「え、ちょっと」
もっと聞きたいことがあるのに、と続けようとしたが、清隆は目を閉じてしまった。
体を揺すられて、桜子は目を覚ました。清隆を見習って布団で寝ていたら、思ったより深く寝入ってしまったらしい。目がぼんやりする。
「行くぞ、時間だ」
スマートフォンを見ると、午後六時になっていた。外を見ると薄暗くなっている。
「
「よく知っているな。さすがマニア」
「常識ですよ」
「まあ、厳密にはもう少し後の時間帯を指すんだけど、行き遭うにはちょうどいい時間帯だ」
布団から這い出て、事務室に向かう。所長は、事務員の女性と何事か話しながら作業をしていた。
清隆は所長を呼び出し、これから除霊を行う旨と、コップを二つ借りたい旨を告げる。
「コップなんて、何に使うんですか」
清隆は背負っていたリュックから水のペットボトルを取り出した。僅かに注ぎ、手をかざす。
清隆は、サカグラシ、と声を出した。「後ろの真実」から出た今、桜子の目にサカグラシは映らない。所長には意味がわからないだろうが、清隆がサカグラシを通じて何かの術を使っていることは桜子にも推測できた。
清隆はすぐに手を離す。
「これを飲んでください。桜子さんも」
桜子は素直に受け取ったが、所長は訝し気に訊く。
「何ですか、これは」
「霊が見えるようになります」
「え、本当ですか」
驚く所長に、清隆はぎこちない笑みを向けた。
「毒ではありませんからご安心ください。実際はただの水です。ただし、俺の式神の力が入っています。一緒に鎧武者を退治しに行きましょう」
「これって、「後ろの真実」にかけている術と同じものですか」
「そのポータブル版ってところかな。今回のレベルの霊なら、この術がなくても見えるだろうけど、一応ね」
期待を込めて煽ると、視界が薄暗くなる錯覚を覚えた。きょろきょろと見渡すと、足元にサカグラシがいた。
「あ、サカグラシさん、いたんですね」
「私はずっといたぞ。お前に見えていなかっただけだ」
桜子の横で、所長がわっと驚いていた。突然喋る猫が見えるようになったら、普通は驚くだろう。
その様子を見て、清隆は満足そうに頷いた。
「それじゃあ、行きましょうか」
清隆はまっすぐ指をさす。
「鎧武者は体育館にいます」