桜子は大きなため息を吐いて、よろけるように三歩下がった。
「私も入社した以上、このお化け屋敷を盛り上げようと思っています。だからそんな、迷惑そうにしないでくださいよ」
清隆は慌ててフォローを入れる。
「め、迷惑そうになんてしていない。頼りにしているよ。俺はどうしても、霊を怖がる人の気持ちがわからないから」
「陰陽師だから?」
清隆は自嘲した満面の笑みを浮かべる。この男は自分を下げる方向には自信満々だよなあ、と桜子は冷めた目で見た。
「そう。俺は由緒正しい陰陽師一家の落ちこぼれ。昔から修行と除霊で霊を退治してきたから、今さら怖がれない。お化け屋敷に来る人たちが何を求め、どんなもので怖がるのか、それは怖い話マニアの桜子さんの方がずっとよくわかっているはずだ」
桜子の目が光る。受付テーブルに手をついて身を乗り出す。さっきまでの苛つきが嘘のように、嬉々として訊く。
「それ。それそれ。ずっと聞きたかったんですけど、除霊って何をするんですか」
桜子は清隆が言った通り、怖い話や不思議な話に目がない。趣味はお化け屋敷や心霊スポット巡りと都市伝説の蒐集。アマチュアが書いた無料のホラー小説を読んで夜更かしするくらいのオカルトマニアだ。
清隆が陰陽師、しかもイカサマではなく本物の能力者であると知ったときから、ずっと気になっていた。
勢い込んだ桜子に対し、同じだけ身を引いて清隆は答える。
「霊を跡形も無く消滅させる。もう一度、今度こそ殺すんだ。サカグラシと、陰陽師の術を使ってね」
清隆が、サカグラシ、と呼ぶと、どこからともなく尾が二つに分かれた真っ白の猫が現れた。重さなどないかのような動きで、受付テーブルに飛び乗る。
「ちゃんと紹介したことなかったかな。俺の式神、サカグラシだ」
サカグラシが口を開く。
「よう、女。鬼頭桜子って言ったか。鬼の頭とは大した名前じゃねえか」
「猫が喋った」
「正確には猫又の妖怪、だと俺は考えている」
「はっきりしない言い方ですね」
「こいつが自分で猫又だと申告しないから」
「私は私だ。区分が必要なのはいつも他者だからな」
煙に巻くような言い方にも、桜子は表情を明るくする。
「凄い。妖怪と話せるなんて、夢みたい。ねえ、サカグラシ」
「さんを付けろ」
不機嫌そうにサカグラシは言うが、桜子は全く怯まず笑みを深めた。
「サカグラシさん、あなたはどうして清隆さんの式神をやっているんですか。落ちこぼれって言っていますよ」
「こいつは酒に強い」
「はい?」
「私は酒の妖怪だからな。いくら飲んでも酔わない清隆が合っているんだ」
「お酒の妖怪?」
「水より酒が好きなんだよ、私は」
「だから俺は毎日酒をねだられる」
「ふうん」
桜子は受付テーブルの上で毛繕いを始めたサカグラシを眺めた。尾が二つに割れていること以外、ごく普通の猫に見える。喋るけど。
たしかに神や妖怪の類はお酒が好きなものだけれど、お酒の妖怪とは聞いたことがない。肝臓が心配になる気もしたが、桜子が気にすることではないだろうと思っておく。
それよりも重要なことがある。
「あのう、清隆さん。烏丸を除霊してくださいません?」
階段の男こと、烏丸。彼は桜子の元彼氏であり、ストーカーだ。死んでまで付きまとわれるとは思わなかった。
「ううん、人に迷惑をかけていない霊を除霊するのは、ちょっとポリシーに反するんだよなあ。今は大事なキャストの一員でもあるし」
ケタケタと笑い声がして桜子が振り返ると、般若面の子どもが出口ドアを透りぬけて来た。
「断られてやんの」
「般若ちゃん、君も後で演技指導ね」
桜子は般若と呼ばれた女の子に人差し指を向けた。
「何で? 怖くなかった?」
「私も一度体験しているから言うけど、怖くなかった」
「ええ、そう? だって私、幽霊だよ? お化けだよ?」
桜子はどう言ったものか悩みながら、しゃがみ込んで般若に目線を合わせる。
「わかっているよ。でも、来てくださった方々はそうは思ってくれないでしょ。せめて、幽霊みたいだと思ってもらわないことには、ただの演技下手な人間が立っているだけのお化け屋敷なんだよ」
般若と呼ばれた子は、首を傾げてしまった。般若面を被っているので表情はわからないが、上手く伝わっていないことはわかる。
「ええと」清隆がおずおずと切り出した。
「とりあえず、鈴木さんと般若ちゃんは桜子さんから演技指導を受けてください。場合によっては構成や配置も変えてもらって構いません。目標は、口コミ評価を平均三に上げることです。そして、採算黒字化、お客さんの数も三倍を目指します。各自、思いついたアイデアがあれば遠慮なく俺に言ってください」
「考えたんですよ」
桜子は受付の椅子に倒れ込むように座った。さっきまで鈴木と般若の演技指導をしていたが、どうにも上手くいかなくて切り上げて来たのだ。
清隆は、何を、と続きを促す代わりに、読んでいた文庫本から目線を上げる。
「これだけ大きな舞台装置がある中で、幽霊が三人は少なすぎるなって。本当なら各教室に一人ずつ配置するってこともできるわけじゃないですか」
清隆は文庫本を閉じ、上を向いた。
「まあ、理論的には。キャストがいないって問題を無視すれば」
桜子は、わかっているよ、と言いたげに横目で睨む。
「烏丸は別として、鈴木さんと般若ちゃんはどうやってここのキャストになったんですか」
「どうやって、と言われても」
清隆は苦笑する。
「拾った、と言うのが正しいかな」
「何ですか、それ」
「浮遊霊だったのさ、二人とも。行き場が無さそうだったし、俺もキャストを探していたから誘ったら、来た」
「捨て犬みたいですね」
「実際、近いよ。突発的に憑りついちゃうタイプは大抵、捨て犬を拾ったようなものだ。違うのは拾う側の意思なんて気にされないってことだけ」
桜子は自分の身に起きたことを思い出し、唸る。
「たしかに、烏丸もそうでした」
「桜子さんと烏丸の場合は、もっと事情が深いけれどね」
桜子は照れるように笑った。
「えへへ」
「照れるような事情ではない」
「てへ」
「二十歳越えた女性がするべき笑い方じゃないね」
桜子は舌打ちを一つした。清隆の顔色が瞬間的に変わる。
「すいません」
「……冗談じゃないですか。そんなに怖がらなくても……」
「いや、桜子さんは怖いから」
「ああん?」
「ほら。どう言えば良かったんだよ」
桜子は溜息を吐いて首を振る。清隆は冗談が通じないというか、私のことを過剰に怖がり過ぎだ。舌打ちも怒ったふりも、ただのジョークなのに。
話を戻す。
「何の話でしたっけ。そうそう、浮遊霊だった二人を拾って来たって話でした。それなら、キャストをやってくれる幽霊を沢山スカウトしてくればいいんじゃないですか」
「そう簡単じゃないんだよ。まず言葉が通じなければならない。桜子さんはここの三人しか幽霊を知らないからわからないかもしれないけれど、大抵の幽霊は烏丸みたいに言葉が通じない。念だけが残ってこびりついて、意識があるのかないのか不明瞭な奴らが大半なんだ。鈴木さんや般若ちゃんみたいに冷静で安定しているのは稀なんだよ」
「ほうほう」
いつの間にか、桜子は体を向けて清隆の話を聞いていた。至近距離で見られていることに気づき、清隆は居心地悪そうに目線を逸らす。
「桜子さんてさ、こういう話好きだよね。さっきもサカグラシと話せて喜んでいたし」
「好きですね。大好きと言ってもいいです」
「物好きだな」
「陰陽師が言いますか」
「俺はほら、家業だから。そういう一族の生まれで、必然的にその道に進んだってだけだよ」
「でも、その気になれば別の道に進むこともできたんじゃないですか」
「そう言う意味では、お化け屋敷やっているのは、自分で決めたことと言えるかもしれない。普通の陰陽師はこんなことしないから」
「わざわざ幽霊が見えるようになる術を建物にかけて」
「そう。安倍家相伝の術で。効果は確実にあるんだけど、それが全然効果的じゃないなんて、誤算だった」
桜子は演技指導で乱れた髪を直しながら、誰も来ない玄関を見る。
このお化け屋敷は清隆が言う通り、陰陽師の術で幽霊や妖怪といったモノたちが霊感の無い人間の目にも見えるようにされている特殊な空間だ。
清隆が言うには、霊感が無くても見えるときは見えるし、感じるときは感じるらしいのだが、ここは強制的にはっきりくっきり見えるようにさせられている。それが裏目に出て、幽霊が幽霊だとわかってもらえないのが現状だ。それはいい。演技と演出でどうにでもなる。
桜子は無理やり入社した今でも、後悔していなかった。本物の幽霊がキャストを務めていると知って、押しかけるように入社した判断は間違っていなかったと思える。清隆が幽霊を怖がれない性質で、演出が壊滅的に駄目でも、幽霊という特性を活かせば、それなりのクオリティーにはすぐにでも持っていける。
だが、桜子にできるのはそこまでだ。根本的な問題は解決していない。
頭数、だよなあ。いっそのこと私もキャストとして登場するか? いや、演出ならともかく、役者ですらない演技の素人が一人増えたくらいじゃ、何も変わるまい。白けさせたら逆効果だ。
やっぱり、清隆にもっと幽霊を拾ってきてもらうしかないか。
遠い目で、歩くサカグラシを眺めていると、振動音がした。清隆がスマートフォンを二台取り出し、交互に眺める。
「あ、仕事用の方か……お電話ありがとうございます。安倍霊障相談サービスです」
名乗りが面白くて笑いそうになるのをなんとか堪えた。陰陽師って言わないんだ。
その後、清隆は席を立って外に出た。桜子は電話の内容が気になってしまい、「後ろの真実」の今後について考えることができなくなってしまった。
陰陽師に来る依頼って、除霊かな。
「ねえ、除霊かな。除霊だよね」
近くにいたサカグラシに聞くと、寝転がっていたサカグラシが面倒臭そうに顔を上げた。
「あの電話が鳴るときはだいたいそうだな。よかったじゃないか。お前の給料が払われるぞ」
「あ、本業の方の利益をこっちに回しているんだ」
「当たり前だろ。こっちの収入だけで利益が出るわけない」
「君は会社経営に詳しい猫又だね。妖怪って皆がそうなの?」
「清隆にくっついていると自然とな。他はどうだか知らないが、人間と契約している奴ほど、人間界に詳しくなるものだろうよ」
ふうん、と相槌を打って、話を変えてみる。
「ねえねえ、どうしてサカグラシって名前なの」
サカグラシは、あ? と一声上げて、右耳をパタパタとはためかせた。それから起き上がって伸びをして、ついでに欠伸をする。
それからようやく答えた。
「生きていた頃、野良猫だったんだが、酒蔵の近くで暮らしていたんだよ。まあ、良くしてもらっていた。酒蔵の近くにいたからサカグラシなのか、水の代わりに酒を飲んでいたからサカグラシなのか、誰かが呼び始めた。だから死んだ後もその名前を名乗っているってわけだ」
「酒好きが行き過ぎて、死んでも死にきれなくなった猫が妖怪化したんだよ。多分」
途中で清隆が戻ってきて言葉を継いだ。
「桜子さん、本業が入った。予約の入っていない日に出張してくる」
「除霊ですか」
「うん。鎧武者の霊が出て困っているんだって。除霊するか、話をつけるか、それは行ってみて決めることだけど、まあ、とにかく行ってくる。そういうことだ、サカグラシ。お前の仕事だぞ」
「うむ。いい酒を飲ませてもらうには金がいるからな」
本業モードに切り替わる清隆とサカグラシに、桜子が割り込んだ。
「それ、私も行っていいですか」
清隆が嫌そうな表情で黙った。
「何ですか。いいでしょ、見たいんですよ」
「言うと思った。黙って行けば良かった」