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十一

それから程なく。


信勝のぶかつ岩倉いわくら織田おだ伊勢守いせのかみと示し合わせ、篠木しのき三郷さんごうを再び押領しようとした。


十一月二日。

信長のぶながが臥せっているとの報を受け、もしや命も危ぶまれるとのことで。

津々木つづき蔵人くらんどを伴い、信勝は清州きよす城へと見舞いに赴いた。


清州城北やぐら天守てんしゅ次の間。

そこに信長が臥せっている筈だった。

「お元気そうですね、兄上」

兄は白い顔で、布団の上に座っていた。

信勝は一人きり、その前に座った。


全てわかった表情で、兄とその脇に控える池田いけだ恒興つねおきを見た。

供は全て下に置いてきた。

一人きりである。


「申し開きはあるか」

刀に手を掛けた恒興は苦々しい表情で。

布団に座る信長は、何もかもを削ぎ落したような表情で、そっと問うた。

「ありません」

信勝の表情は晴々とさえ見えた。

権六ごんろくが申したことには、その方ら伊勢守信安のぶやすらと申し合わせ、篠木三郷を押領せんとしたとな」

「はい」

「権六をも殺害せんと企てたな」

「はい」

勝家は信勝から信長へと心を移した。だから暗殺を、と言う蔵人に頷いた。


信勝は、本当は知っていた。

勝家は、死ぬまで自分について来た。


知っていた。


もしも再び兄に謀反を起こしたとて、きっと最後まで忠節を尽くすことを。

だからこそ勝家の暗殺計画に頷いた。

信長に漏れると知った上で。

二度と自分につこうなどとは思わないように。

勝家は、信長にこそ相応しい。


淡々と頷く信勝に、信長は苛立ったように叫んだ。

「すべて津々木蔵人にそそのかされてのことであろう!」

信勝は静かに首を振った。

「いいえ。全て信勝の罪にございます」

「何故だ」

信長は顔を歪める。

「すべて津々木めの所為だと何故申さぬ!さすればお前だけは……」

「いいえ、兄上」

きっぱりと信勝は否定した。

「すべて、私の所為にございます。すべて、私が居なければ起き得なかったこと。どうぞ、ご成敗を」

こうべを垂れる信勝に、恒興つねおきが苦々しく口を挟んだ。

恒興は信長の乳兄弟であり、懐刀でもある。

勘十郎かんじゅうろう様が殿とのをお慕い申して居るのを、皆が知っておると申しても、そのお気持ち変わりませぬか」

信勝はどこかはにかんだように目を細めた。


「兄上がご存知でいてくださるのなら、もはや何も思い残すことなどございませぬ」


ついに、信長の目からぼろりと大きな涙が落ちた。

「知っていた。そなた、わしの為に敵を洗い出し、り集め、根こそぎさらおうとしておったな。その為にこそ、わしに反抗する立場にこだわったな」

ぼろりぼろりと大きな涙を零す信長に、信勝は笑みを深くした。


信勝はうなずかなかった。

わかっていてくれた。それだけで充分。


「泣かないでください」

「無理を言うな」

「兄上はお優し過ぎるから」

「甘いと言いたいのだろう」

「はい」

信勝はゆっくりと頭を垂れる。

「兄上、どうぞご成敗を」

「せめてご生害しょうがいを。介錯かいしゃく仕ります」

低く告げる恒興に、信勝は首を振った。

「此処で無様な死に様を晒してこそ、兄上の御為になりましょう。兄上に楯つく者の末路として、知らしめねばなりませぬ」

しんと間が静まり返った。

「そなたの子が生まれるではないか。抱かずに逝くつもりか」

どうしても、斬りはしないらしい。


ああ、なんと、甘い。

もっと冷たく、辛くなければ、きっと天下は取れますまい。


「抱けば未練が残りまする故」

信勝は透明な笑みを浮かべた。

傍に居たかったけれど。

この先を、見てみたかったけれど。


「兄上、後はお願い致します」


信勝は懐剣を引き抜くと、止める間もなく腹に突き立てた。

恒興が刀を振るう。

血飛沫が鮮やかに散った。


織田信勝、享年二二。

穏やかな死に顔であった。


永禄元年一五五八浮野うきのの戦い。

織田おだ伊勢守いせのかみ家は当主信安のぶやすとその長子信賢のぶかたとの内紛状態にあった。

信長のぶながは浮野の地において、伊勢守勢と交戦。勝利。


翌二年、その居城である岩倉いわくら城も陥落。

信長は漸く尾張おわり一国を手に入れた。


そして更にその翌年。

永禄三年一五六〇桶狭間おけはざまの戦いが待ち受けている。




一陣の風が吹く。

信長の衣の裾をはためかせ、通り過ぎた。


兄上、地獄の底より、見守っております。

信勝のそんな声が聞こえた気がした。

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