かねてから病がちではあったとはいえ、あまりに呆気ない死の訪れだった。
嘆き悲しむ
戦場で首討たれたのではないのは、果たして幸福なのか不幸なのか。
ひと波乱あるだろう。
いや、必ずある。
母の肩を抱きながら、信勝は冷たい予感に唇を血の出るほどに噛み締めた。
信秀は生前
葬儀は
実質尾張の大名といえる信秀に相応しい式であった。
信長には
信勝は、やはり
信勝の従える面々は、嫡男の信長と変わらぬばかりか、もしや勢力は上かもしれない。
もう少し控え目にすれば良かっただろうか。
しかし、自身の配下に恥を掻かせるわけにもいかない。
その加減が、信勝には酷く難しかった。
割と何でも卒なくこなしていると思われがちな信勝だが、その実とても不器用だった。
すべてにおいて当たり障りなくを心掛け、却って失敗することも多い。
今も堅実に努めようとし、却って目立ってしまっている。
いや寧ろ目立っているのは兄信長なのだが、その隣に居る以上、対比されるのは仕方のないことなのであって。
葬儀の席であっても、信長は長束の太刀と脇差を藁わら縄で巻き、髪は相変わらずの
そして胡坐をかいてどっかりと座っている。
うつけ、とは誰が呟いたのか。
対して
そんな風にしか、自分は在れない。
何がうつけか。
その堂々たる振る舞いは、まさしく国を治めるに相応しい風格ではないか。
信勝がそんな風に思って居るなど、この場の誰が知ることができよう。
隣の兄さえ知りはしまい。
正座した膝に手を添えて、静かに睫毛を伏せ、父を悼むその姿は一種清らかで。
誰が見ても、跡目に相応しいのは信勝の方であった。
普通の感性の持ち主であれば、だが。
そんな気配を首筋にジリジリと感じ、信勝はますます暗い思いに捕らわれていく。
視線が痛い。突き刺さる様だ。
足許にぽっかりと穴があいて、そこへ吸い込まれて行くような心持ちだった。
胃の腑がきゅっと掴まれるようで、頭の中がぐらぐらと揺れた。
目には霞がかかっているようだった。暗いのに妙に白っぽい。
まるで波の音の様だ。
遠く近く。深く浅く。重なる声の妙たえなるかな。
これは夢ではないかと。
夢ならば早く醒めると良いと。
愚にもつかぬことを思う不甲斐無さに、我がことながら情けなくて涙が出る。
肩に圧し掛かる重みは、耐えるのがやっとだ。
己の器の小ささが悔しかった。
寺では
小さな子らは、何が起こっているのかよくわからずに、きゃらきゃらと笑い遊んでいて。
それが余計に切なく胸に染みた。
「ご焼香を」
僧侶の言葉に、隣の
迷いのない動作だった。
一歩一歩を踏み締めるかの如く。信長は足音高く仏前に向かう。
兄は、どのような
信勝は顔を上げ、そして次の瞬間、その場の誰もが目を剥いた。
「喝!」
大
しんと静まり返ったかと思うと、
ざわつく場を物ともせず、信長はそのまま走り去ってしまった。
土田御前はあまりのことに震えながらその場に突っ伏し、濃姫はその隣で大きな目をまんまるに見開いていた。
信勝の元にとことこと走って来て、
「あにうえさまはなにをおこっていたの?」
などと、袖を小さく引いて小首を傾げている。
「兄上は、怒っていたのではないよ。きっと悲しみを、溜めこんではおれなかったのだろうね……」
そっと抱き寄せて頭を撫でてやれば、にこにこと微笑んで頬を寄せてくる。
温かさにますます涙がこみ上げる。
「なんたること…」
「これでは国が保てまい…」
「やはり廃嫡を…」
「
今度こそ、確かな囁き声が
嗚呼、と信勝は哀しげに吐息した。
父が死んだというのに。
跡目の心配が一番か。
いや、それは当然のこと。
自分だけではなく、一族、家族を守っていかねばならないのだから。
立場というものがどれほど大切なのか、信勝は知っている。
知っているつもりだった。
「勘十郎様、ご焼香を」
促す僧侶に頷き立ち上がると、信勝は父の位牌にそっと手を合わせた。
このままでは、
だけならばまだしも、信長と対するのは同母弟の自分だけではない。
恐らくは叔父の
下剋上は戦国の世の常だ。
だが、それだけではことは済まない。
今までは織田
しかし信秀という大きな砦を失った弾正忠家は、このままでは守護代の
それはきっと呆気なく。
更に事は尾張一国では済まない。
織田が、一族が。家族が……。跡形もなく踏み
このままではいけない。
守らなくては。
目を開ければ、父の位牌が静かに佇んでいる。無論のこと、何も言ってくれはしない。
ゆっくりと頭を垂れる。深く、深く。
きゅっと唇を噛み締め、顔を上げた。
位牌に背を向け、歩き出す。
そしてその日。
信勝は兄に謀反を起こすことを決めたのだ。