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第20話 独善デザイア

 暗い部屋。一人。

 僕は座っていた。

 鍵もかけて誰も入ってこられないようにして。

 きっと、こういうときでもハルは来るのだろう。僕の中に入ってきて、叱ってくれる。

 けれど、もう彼女はいない。誰も僕に干渉することはない。干渉できない。

 だからどうしたというんだ。

 僕が彼女の未来を奪ったのはまぎれもない事実で。

 ハルが一体何をした。

 ただ一つの罪もない少女を、大切な人を、自分勝手に。

 何故、殺した。

 光のない部屋で、僕はただ懺悔していた。

 すべて、何もかも僕が悪いんだ!

「あんたは気楽でいいね。そうやって引きこもって嘆いてばっかでどうにかなってさ」

 僕への罵声。ただ一言、僕は「はは」と笑って。

「ハル、か?」

「そうだけど」

 信じられない、と口にした質問に、彼女はさも当然かのように答えた。

「うそ。だって、アイツは、僕が……」

「知ってる。あたしは死んでる」

「なら、なんで……」

「拗ねてるあんたが……シキが、見てらんなくて」

 お別れを言いに来た。そう、彼女はあっけなく言い放った。

 僕は黙りこくっていた。彼女はそんな僕を見据えて、話し出す。

「とっても羨ましいよ、いまのあんたが」

 どこがだよ。僕は問い詰めようとしたけれど、それを差し置いて彼女は話した。

「昔、親が死んだの知ってるよね」

 以前聞いたことある。彼女の両親は彼女が幼いころに自殺して、それがきっかけで一人きりで僕の隣の家に住んでいると。

「誰にも愛されたことなくって。……小学校の時もどこか遠巻きにされてて、それをかばったあんたまでいじめられて……」

「……僕らはお互いにたった一人ずつの親友になったんだ。そうだったよな」

「うん。……あんたが学校に来なくなっちゃうまで、ね」

 僕らは同じ高校に進学した。小学校や中学校とは関係のない、少し遠くの公立高校。

 明暗が分かれたのはその時だった。

「あんな根も葉もない冗談に惑わされて不登校の引きこもりになっちゃうなんて」

「……冗談とは思えなかったんだよ」

 デブ、ブス、キモイ。そこまではまだマシだった。

 お前って使えないよな。邪魔、どいて。うざいんですけど。ここらへんで嫌気がさして。

 もう来なくていいから。てか来るな。もう死んじゃったほうがいいよ、生きてたって誰の役にも立たないんだから。

 お望み通り、僕は学校に来ることはなくなった。

「君はうまく立ち回っていてすごいと思ったよ。……君は僕と一緒にいるよりも、新しい友達と過ごしたほうがいいと思っていたんだ」

 僕のような汚い人間には関わらないほうが、彼女のためになる。そう思っていた。数日前までのことだ。

「だけど、あの日から変わったよね」

 あの日。それはきっと、僕が精霊になった日。

「信じられなかった。こんなに可愛い女の子の姿になっちゃったのもだけど、一番は……ちゃんと、自分を変えようと意識してたこと」

 そのおかげで、運命の歯車が回りだした。

「嬉しかった。あたしを守ってくれたり、クラスの人たちと話してみたりとか。あと、新しく友達や仲間なんて作っちゃって」

 それが、羨ましかった。

「たぶん、これはしょうもない嫉妬心。新しいコミュニティに入っていって、どんどん仲のいい人が増えていって……シキの世界が広がっていくことが、少しだけ怖かった。いつか、あたしはその中からはじき出されるんじゃないかって」

「そんなことは」

「ない。わかってるけど、そう思っていたい……けど……パパやママみたいにどっか行っちゃうのと重なって……」

 僕は、わずかに顔を上げた。

 ……ハルは涙を流していた。

 いまにも消えそうな半透明の身体をした彼女。いつもの笑う顔はどこへ行ったのだろう。

 彼女は似合いもしない悲しげな泣き顔を曝していた。

「もっと、シキと生きていたかったなぁ」

 ポツリと彼女は言い残して。

「……もう行かなきゃだめみたい」

 彼女の身体にノイズが走る。さらに透き通っていく幻影かげに、僕は手を伸ばす。

「ハル!」

 伸ばした手が空をつかんで。

 ただ暗い世界に、僕はただ一人残され――。

「いやだよ……ハル……」

 僕は願った。ハルが消えないことを。蘇ることを。

 耳鳴りがした。

 少女が、ハルが、僕の方に振り返ったような幻覚が見える。

「――どうして?」

 彼女の声が呈した疑問に、僕は無我夢中で答えた。

「ハルにいなくなってほしくないから。僕が、ハルに生きていてほしいと願うから!」

 エゴ。どうしようもなく自分勝手な願い。ひどく独善的な願い。

 勝手に殺して、勝手によみがえらせて。

 ああ、僕はなんて汚い人間なんだろう。

 少女の魂が変容する。消えかけた魂は水晶球を形作り――。

 *

 巨大な黒い蜘蛛が、病院を襲う。

 その建物だったものは、崩れ壊されて。

「……フユさんやヒメさんは?」

「各地に急に現れた黒精霊たちの対処に向かっているわ。ほかの戦える精霊ヴァルキリーにもお願いしているけど……」

 数も質も、圧倒的に足りない。

 黒精霊は個々があまりにも強力。故に、撃破難易度はあまりにも高く、しかも日本各地で同時多発的に現れて破壊行為を繰り返していたのだ。

「だから、ここには私たちしかいない。けど、私たちは――」

「あまりにも無力。……わたしの力は、お姉ちゃ……シキさんにすべて託してしまいましたので、ここまで離れているともうこの身体を維持するので精いっぱいで……」

 二人は何もできなかった。傍観しているしかなかった。

 命の失われていく様を。人々が死んでいく様を。

 アキは唇を噛んだ。己の無力さに。

 そして、ウズは――目を見開いた。

「まさか……うそ……」

「……どうしたんですか、オーディン」

 動揺するウズに、問いかけるアキ。

 精霊の統率者たる彼女は、微かに笑って。

「もしもそうだとすれば……運命の神様って、そうしてこんなにも意地悪なのかしら」

 言い終えた直後、病院の建物が突如爆裂した。

 突然の出来事。戸惑う人々。そして、たじろぐようなそぶりを見せる蜘蛛形の黒精霊。

 少女の声が高らかに響いた。

「こんな騒ぎでおちおち寝てもいられなくって、さ」

 赤い衣装をまとった彼女は、二人に笑いかけて。

 それから、修羅の形相で目の前の真っ黒い蜘蛛を睨みつけた。

「よくも、あたしの大事な人たちを傷つけようとしたたな……っ!!」

「ハル、さん……死んだはずじゃ?」

 アキは混乱した。

 目の前で戦っているのは、明らかに先ほど死んだはずの人間の少女、ハルだったのだから。

 そんなアキの肩に手を置いて、ウズは語る。

「ええ、ハルちゃんは死んだ。あのとき、完全に死んでしまった。けれど――」

 死んだ人間は、稀に精霊になるらしい。

 ウズはそう言って、目の前の奇跡を見上げた。

「ハルちゃんは精霊として転生した。魂の形を変えて、戻ってきたのよ。しかも」

「……強い」

 戦闘は、ハルが優勢だった。

 戦える精霊たちが束になってようやくかなう相手に、互角以上に立ちまわっているその様子。もはやハルが普通の精霊でないことは明らか。

「まさか、ハルさんの能力って」

 気付いた様子のアキ、ウズは首を縦に振った。

「そう、そのまさかよ」

 ――それは、最強の戦闘能力。それは、無敵の戦乙女。その槍は、勝利への鼓舞。

 少女は、赤い衣装をはためかせて、揃いの紅い槍を手に、高らかに叫びながら突撃した。

「これが『シグルドリーヴァ』の……力、だぁぁぁぁぁ!!」

 シグルドリーヴァ。その能力は『最強』。すべての精霊の中で最高の攻撃力を持ち、さらには周囲の精霊に力を分け与えることもできる、軍神のごとき精霊。

「――そして、戦いの運命から逃れることのできない、悲運の精霊」

 その運命がその少女にもたらされたのは、偶然か。あるいは必然か。

 砕け散る黒精霊。その欠片が空気に溶けていき、混乱と破壊の爪痕だけが残る。

 その痕跡を見据えるハル――シグルドリーヴァは、その運命を知ることはない。

 *

「……ごめん……全部、僕のせいだ……」

 幼馴染までもを、過酷な戦いの運命に引き込んでしまったことを後悔した。

 僕の身勝手で。僕のエゴのせいで。彼女を、振り回して。

 一体、僕はなにをしたかったんだろう。

 今度こそ独りになった心の中で、僕は思考した。

 思考して、思考して。

 やがて、笑いだした。

「そうだ、責任を取ろうじゃないか。僕を犠牲にして……全てを、救って見せようじゃないか……!!」

 哄笑が響く。僕の中の狂気が目覚めだす。

 ――それから僕は、誰の前にも姿を現さなくなった。

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