「来ました。『魚介人類』です」
さっきの話でちょくちょく出てきたもの。少女の指さす方向にいたのは、異形。
「エービエビエビ。我は魚介人類シュリンプ! 精霊、覚悟するがいい!!」
……特撮とかによく出てくるような、怪人だった。というか。
「こいつ海老じゃん」
「そうです。海老です」
海老だった。厳密にいえば海老がモデルであることが明確にわかるようなデザインだった。
「魚介人類、ですからね。魚介類と人間が合わさったような容姿なのです。というかそれどころじゃないです」
「ああ、そうですか」
僕は軽く白目になった。
「エービエビ。なんだ、こいつは」
そんな僕を、そのエビの魚介人類は笑いながら一瞥する。
底知れぬ恐怖心に身体が支配されて。背筋が寒くなって。思わず。
「あっ、ちょ……」
少女の戸惑う声。
気が付いたら、脚を動かしていた。逃げていた。逃走していた。
咄嗟につかんだ少女の細腕が、冷たくて暖かい。
……僕はいつもそうだ。逃げてばかりで、いつも何もしない。たとえ、それがほかの人を犠牲にするものだったとしても、躊躇なんてなくて。
醜いエゴイストだ。優しさの仮面を被った愚者だ。
アスファルトの上を一心不乱に逃げて。
「もうここまでくれば大丈夫か……」
近くにある別の公園。そこのベンチに僕らは座って。
「いいえ、すぐに追いついてきますよ」
茶々を入れる少女。ああ、手を引っ張ってきてしまったのか。
「でも、お兄さんはとっても優しいんですね。わたしを連れて逃げるだなんて」
「そんなことはない、ですよ。僕なんて……」
いつものような愚痴を言おうとして、やめる。それを見た少女は僕の目を見つめて。
「そんな優しいあなたに、問います。……あなたは、自分を変える覚悟がありますか?」
息を呑んだ。目を見開いた。そして、俯いた。
自分を、変える。言うは易し、行うは難し。
いままで僕は自分を変えることなんてできなかった。出来ていれば、こんなクズにはなりえなかった。
怖い。自分を変えることが。どうなるかわからないことが。変わることが。
怖い。
恐怖心が拒む。「自分を変える」ことを。
できない。そう結論付けて顔を上げた。
「……ハァ……ッ」
向いた先。僕の右隣。
少女は背中から胸部を貫かれていた。シュリンプと名乗った怪人のハサミによって。
貫かれた部分からは血と光の粒子があふれ出す。
「エービエビ。ようやくだ。しぶとかったなァ」
「はは、この程度じゃ死にません、よ……」
そう言った少女の口からも血液があふれ出した。
……目の前の少女の命が失われるその様。
ああ、また僕は何もできずに終わるのか。誰の役にも立たないまま、自分の身だけを守って。死にたいくせに。
ああそうか。僕は死にたかった。そのはずだ。だから。
反射的に、動き出していた。
「やめろっ!」
「やぁーめなぁーいよぉー」
ねっとりとした声。嫌悪感。虫唾が走る。けれども、止めることなどできなかった。
僕らの背後にいたシュリンプ。その腕を引きはがそうとした僕を、奴は三本の細い足で弾き飛ばしたのだ。
地面に背中を打ち付けた。細かい砂が背中に突き刺さる。
「った……でも」
目の前の殺されかけている少女を放ってどこかに行けるほど、僕も人の心を捨ててるわけではなかった。
否。誰かの役に立ちたい。誰かのために死にたい。誰かの身代わりになりたい。そうすることで何かを成し遂げたような気になれるから。
エゴだ。気持ち悪いほどのエゴが、衝動となって僕を突き動かした。
少女が殺されてはいけない。代わりに僕が殺されてやる。命なんていくらでもくれてやる。
「う……らぁぁぁぁぁぁっっ!!」
海老の化け物の懐にしがみついて、少女を突き刺しているハサミをちぎろうとあがいていた。
しかし、人はあまりにも無力で。
「……邪魔エビ」
また、弾き飛ばされた。
「もういいエビ。この精霊はコアを砕いたし、もうじき形を保っていられなくなるエビ。……やるかァ」
シュリンプは少女から腕を引き抜いた。僕は慌てて彼女のもとに駆け寄る。
抱きとめた小さなぬくもりからは命が零れ落ちているように見えて。
「大丈夫……なわけないですよね。すぐに警察と救急車を呼ぶから、それまで……」
「無駄、です。これは、人間にはどうしようもないもの……」
そんな気はしていた。人間の身体から光の粒子がこぼれるようなことは、普通ならあり得ない。
「でも……っ」
「だめ、です。……でも、その優しさだけで十分」
「え……」
僕は目を見開いた。
少女から漏れ出した命のようなもの――光の粒子が、僕にまとわりつき始めたのだ。
「……もう一度、意思を問います。あなたは、自分を捨てて新しい自分になる……その覚悟が、できますか?」
一瞬の逡巡。
怖い。
怖い、けど。
答えはもう決まっていた。
「……はい」
動き出さないと、なにも変えられはしない。知らない自分を見てみるのも、そう悪いことじゃないなんて、柄にもないことを思った。
返答と同時に、光が巻き上がり、僕に収束する。
「いまから、わたしとあなたは一つになります。……もう止められません」
少女の身体は、光となって消えていく。風が、僕を巻き込んで、僕らを持ち上げていく。
「エービエビ……エビッ!?」
シュリンプの驚く声が聞こえた。
なにが起こったのかはわからない。けれど、僕は僕ではなくなっていく、そんな不可解な感覚を覚え――。
光が爆ぜた。
風がやんだ時、そこには一人の少女がいた。
ピンク色を基調とした可愛らしい衣装をまとい、赤茶色の長髪をツインテールに括った、主張の強い格好。しかし、違和感はない。むしろ、それこそが最適な衣装だと言わんばかりに、そのあまりに美しく可憐な少女は髪をなびかせた。
ああ、僕は生まれ変わったのだ。瞬時に理解した。
はためくスカート、なびく髪。超人的に強化された感覚は、ありえないほどに目の前の景色を鮮明に映し、目の前に直立する海老のかすかな生臭さすらもしっかりと感じ取らせた。
『お兄さん、ちょっと落ち着いてください』
脳内に聞こえた少女の声で、僕は我を取り戻す。少し舞い上がっていた。
すうっと息を吸って。
「ああ、落ち着いたよ」
口に出した。
「エビ? 誰と話してんだ、そこのアマ。……見た感じ、精霊でも人間でもないようだが」
シュリンプの疑問。僕にもわからん、と言おうとしたところで、少女の声が説明する。
『お兄さんは、半分人間で半分精霊という特異的な存在になりました。わたしのコア――精霊の命の源です――を、そのままあなたに融合させたのです』
「一つになるって……そういうこと」
『そう、わたしはあなた。そしてあなたはわたし。そして、精霊を守る
……その役割きっと果たせないと思います。でも。
まあ、いい。そう思えた。
僕はやっと、何かを見いだせた気がする。
「エービエビエビ! わけわからんがもうなんでもいい! 殺す!! 殺すァッ!!」
シュリンプの哄笑が響き渡って。
瞬間、すさまじい速さでそいつは僕に迫った。
ハサミを開きながら振りかぶり、鎌のようにして僕の首を切り裂こうとする。
その間、わずかに一秒にも満たないはずだった。けれど。
「遅い」
回避は余裕だった。
ハサミが当たらぬように、体を後ろにそらしたのである。
常人にはもはや理解が及ばないような瞬間の出来事すらも、いまの僕――いや、僕たちにとっては、あまりにも遅い出来事だった。
『イメージ、です。イメージでどんなことでもできます。なにしろ、わたしたちは』
「精霊、だから?」
『正解!』
茶化しあって。
ハサミが頭上を通り越した瞬間、上体を起こし、その勢いを使ってシュリンプに頭突きをかましてやった。
しかも、触れたその場所から衝撃波を出して、奴をぶっ飛ばす。はは、楽しい。
だが、海老の魚介人類は地面にたたきつけられてなお、闘志を失わない。
「エ……ビィィィィ!! 許さん!! 許さんぞォォォ!!」
シュリンプの装甲が赤く変色する。まるで茹で上げられたかのように。
それだけ必死だったのだろう。熱気が、夏の炎天下のような熱気が、僕らのほうまで伝わる。
彼は、仇を見るような眼で、僕を睨みつけていた。
『とどめを、刺しましょう』
少女の言葉。もはや何のためらいも持たなかった。
蚊を叩くのに、躊躇などいらない。それがたとえ、意志を持っていたとしても。
僕は想像した。目の前にいるそれを一撃で葬るものを。そして。
「消えろ」
必要以上の苦しみを与えずに、閃光は、その生き物の命を貫いた。
カイジン――シュリンプは爆発四散した。派手なエフェクトと爆発音を立てて。
その爆炎と音は風に姿を変える。近隣住民の迷惑になったら困る。
そして僕は空を見上げた。
これからどうなってしまうのだろう。
誰も知ることのないその問いを月に投げかけながら、僕はため息を吐いて。
ああ、疲れたな。
僕はぱたりと倒れこんだ。