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8-2

次の日も宣利さんはお見舞いに来たけれど、私の横に座って話を聞きながら、心ここにあらずといった感じだ。


「宣利さん?」


「ん?

ああ。

座れるようになってよかったね」


彼は笑っているが、今はそんな話をしてない。

看護師さんがうちの子はいい子だと褒めていたという話だった。


「宣利さん。

なにか悩みでもあるんですか」


じっとレンズ越しに彼の瞳を見つめる。

その目は迷うように数度、揺れた。


「……別に、ないよ」


そう言いつつも気まずそうに彼が視線を斜め下へと落とす。


「私に嘘、つかないでください」


手を伸ばし、彼の顔を掴んでこちらを向かせた。

宣利さんがなにを考えているのか知りたい。

そしてたとえ私のためでも、間違った方向に進もうとしているのなら、止めたい。


「嘘なんて、僕は」


「宣利さん!」


私に強い声を出され、びくりと大きく彼の身体が震える。


「お願いですから、なにを考えているのか教えてください……」


驚いたように私の顔を見つめたまま、彼はなにも言わない。

どうしても話してくれないのかと悲しくなった。


「……ごめん」


私の手を掴み、そっと宣利さんが離す。


「花琳にそんな顔をさせるなんてダメだな、僕は」


後悔しているのか彼はくしゃりと右手を前髪に突っ込んだ。


「僕はね、花琳」


力なく俯いたまま、呟くように宣利さんが話し出す。


「姉さんに復讐しようと思う」


彼の答えは私が思ったとおりだった。


「……復讐ってなにをしようと思っているんですか」


それが、今まで彼がしてきた報復程度ならいい。

けれどこれは、そんなレベルではない気がする。


「それは……」


言い淀み、それっきり彼は黙ってしまった。


「いろいろ、だよ」


ようやく顔を上げた彼が、力なく笑う。

答えるまでにかかった間は、それだけ彼が典子さんに酷いことをしようとしているのだと感じさせた。


「……ダメですよ。

ダメ」


宣利さんの腕を掴み、ダメダメと首を振る。


「それで宣利さんがいなくなったら、私は、子供はどうするんですか」


「そんなヘマはしないよ」


「そんな問題じゃないんです。

そんなことをして宣利さんは、私を、子供を、抱けるんですか」


眼鏡の向こうで限界まで目が見開かれる。

彼はまた黙ってしまい、なにも言わない。


「私は宣利さんと、子供と、三人で幸せになりたいんです。

だから、復讐なんてしないで」


力なく、彼の胸を拳でとん、とんと叩く。

宣利さんが復讐したいのならすればいい。

それで、幸せになれるのならば。

でも私は、絶対に幸せになんかなれないと言い切れる。

きっと、残るのは後悔と虚しさだ。

そんなの、いくら私のためでも悲しくなる。


「……そう、だな」


ぽつりと彼が、小さく落とす。


「僕は花琳と子供を幸せにしないといけないんだもんな」


腕が伸びてきて、私を優しく包み込んだ。


「ごめん」


ようやく安心し、気が抜けて腕の中でわーわー泣いた。


「心配させて、本当にごめん」


泣きじゃくる私の背中を、あやすようにぽん、ぽんと宣利さんが優しく叩く。

泣いて泣き疲れた私をそっとベッドに寝かせ、彼は髪を撫でてくれた。


「花琳をこんなに泣かせるなんて、本当に僕はダメだな」


眼鏡の向こうの目は泣き出しそうだ。


「私を思ってくれたのは、嬉しかったので」


手を伸ばし、彼の頬に触れる。

宣利さんの手がその手に重なり、すりと頬を軽く擦りつけられた。


「花琳を、子供を幸せにすると今度こそ誓うよ」


証明するかのように唇が重なる。

どこまでも優しいキスは、それだけで私を幸せにしてくれた。


「でも」


少しだけ眼鏡の下で眉が寄り、ぴくりと反応してしまう。


「ちょーっとくらい、嫌がらせしてもいいよね。

花琳はこんな大変な目に遭ったのに、姉さんはなにもないなんて不公平だろ」


もうなにか考えているのか、宣利さんは悪戯を企む子供のような顔をしている。

さっきまでの思い詰めたつらそうな顔ではなく、楽しそう。

だったら、いいかな。


「そうですね。

少しくらい、自分がどれだけ大変なことをしたのか、自覚したほうがいいかもしれません」


わからないからここまで、拗らせてしまっている可能性もある。

自覚したら変わる……とかはないか……。


「よしっ、花琳の許可が出た」


本当に嬉しそうに宣利さんが笑う。

あれ?

私なんか、間違った?

やり過ぎないようにだけ祈っておこう……。


私の髪を撫でる、宣利さんの手が気持ちいい。

ようやく、心の底から安心できる気がする。

……でも。

私にはもうひとつ、心配事項があるのだ。


「宣利さん」


「ん?」


「もし。

もしも」


そこまで言って、止まる。

結果としてそうはならなかった。

なら、聞かなくていいんじゃないのか。

けれど口は、勝手に動いていく。


「子供がダメになっていたら、どうしていましたか」


途端にぴたりと彼の手が止まる。

ずっと不安だった、子供がいなくなれば彼の心は私から離れていくんじゃないか。

結果として無事に……とは言いがたいが、それでも子供は生まれた。

気にしなくて言い、わかっているけれど不安な心は尋ねてしまう。


「子供がいようといまいと、僕の花琳に対する愛は変わらないよ」


安心させるように彼が私に微笑みかけ、手を握った。


「本当に?」


不安な気持ちは彼の気持ちを信じさせてくれない。


「ああ、本当だ。

こんなことを言うと軽蔑されそうだけれど、花琳がここに運び込まれたとき、子供はいいからとにかく花琳を助けてくれとドクターに縋っていたよ」


そのときを思い出しているのか、彼の顔が苦しげに歪んだ。


「花琳を失ってしまったらと思うと、怖くて怖くて堪らなかった」


私の手を掴む彼の手に痛いくらい力が入る。

それだけ彼が、恐怖にさいなまれていたのだと感じさせた。


「僕はね、花琳」


指を絡めて手を握り返し、宣利さんがレンズ越しに目をあわせてくる。


「花琳を失ったら生きていけない。

もし花琳が死んでいたら、あとを追っていたよ。

だから僕より先に絶対に死なないと約束して。

子供の、ためにも」


眼鏡の奥から私を見つめる瞳は、どこまでも真剣だ。

宣利さんは狡い。

子供を盾に取られたら、嫌だとは言えなくなる。

でも、そこまでの愛は私の心を満足させていた。


「宣利さんを残して、死んだりしません」


きゅっと彼の手を握り返す。


「でも、宣利さんも長生きしてくださいね。

私は子供のためにあとを追ったりできないので」


「うん、それでいいよ」


眼鏡の向こうで目尻が下がる。

それは今までで一番、幸せそうだった。

そっと彼の手が私の頬に触れ、唇が重なる。

淋しいこの人を幸せにできて嬉しい。

これからは子供と三人で、もっともっと、幸せになるんだ――。



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