愛する女が目の前に、血の気のない顔で横たわっている。
「花琳……」
本当に生きているのか怖くなって、その顔の上に手をかざした。
弱々しいけれど、温かい呼気が僕の手に当たる。
……生きてる。
それにほっと安堵し、また椅子に座り直した。
どうしてこんなことになったのかと考えるが、僕の甘さ以外なにものでもない。
あのとき、姉の参列を許そうとする花琳に断固反対していれば。
そうすればきっと、こんな事態にはならなかった。
「ごめん。
本当にごめん」
後悔したところで時間が巻戻るわけではない。
僕はただ、花琳にひたすら謝るしかできないのだ。
『私をこけにするからこうなるのよ!』
花琳に足を引っかけた姉は、その場で取り押さえられた。
僕が姉になにもしなかったのは、同情したからとかではない。
あんなバカ女にかまっていられなかったからだ。
花琳が死んだらどうしよう。
子供を失うのが怖い。
それ以上に花琳を失うのが怖い。
彼女の名を呼び、去っていきそうな命を留めようと必死に抱き締めた。
それからしばらくの記憶が曖昧だ。
何枚もの同意書にサインさせられ、ドクターに花琳を助けてくれと土下座したのだけ覚えている。
「花琳、花琳……」
僕の声が、静かな病室に響く。
非常に危ない状況ではあったが、花琳も子供も一命は取り留めた。
病院が近く、さらにここには優秀なドクターが集まっているおかげだ。
ただ、七ヶ月で緊急出産となってしまったため、子供はNICUに入っている。
今後の発育次第ではあるが、とりあえず大きな問題はないという。
花琳は出血が酷く、一時は危ない状態だったがどうにか安定した。
そして今、僕の前に横たわっている。
「早く目覚めて、こんなの悪い夢だと笑ってくれ……」
そっと彼女の手を握るが、握り返してはくれない。
指先は冷たく、このまま彼女を失うのではないかという恐怖が襲ってくる。
「……ん」
そのとき、花琳が小さく身動ぎをした。
「花琳!」
ベッドに飛びつき、彼女に呼びかける。
ゆっくりと瞼が開いていき、最初は虚ろだった目が僕を捕らえる。
「たか……とし……さん?」
「そうだ、僕だ!」
「赤ちゃん!」
次の瞬間、飛び起きた彼女は両手で僕の腕を堅く掴み、縋ってきた。
「赤ちゃん!
赤ちゃん、は!」
「大丈夫、大丈夫だ。
また出血するから、おとなしくしろ」
取り乱す彼女をベッドに押さえつける。
今、暴れてはようやく止まった出血がまた始まりかねない。
「私たちの赤ちゃん……」
さめざめと、酷く悲しそうに花琳が泣き出す。
その姿に本当に裂けたんじゃないかと思うほど胸が痛んだ。
「心配しなくても子供は無事だ」
「ほんとに……?」
それでもまだ、不安そうに瞳を揺らし、彼女は僕を見上げた。
「ああ。
むしろ花琳より元気なくらいだ。
だから、安心していい」
彼女の手を取り、力強く頷いてみせる。
「よかっ、た……」
すーっと声は、そのまま消えていった。
「花琳?
花琳!」
悪い予感がして、慌てて声をかける。
ナースコールのボタンを握ったが、すぐに先ほどまでとは違い、気持ちよさそうに寝息を立てているのに気づいた。
「もう、びっくりさせるなよ」
気が抜けて、倒れ込むように椅子に腰掛けた。
眠る彼女は僅かだが、顔色がよくなった気がする。
子供の無事を聞いて、安心したからだろう。
「……許さない」
眠る花琳を見守りながら、仄暗い復讐心が燃え上がる。
花琳を、こんな目に遭わせた姉さんを。
花琳の心を、踏みにじった姉さんを。
僕は絶対に、許さない――。