典子さんにはついてきたお茶を、私たちはレモンフレーバーのルイボスティを淹れる。
お茶と届いたアフタヌーンティの箱、取り皿をワゴンに乗せてリビングへ戻った。
「お待たせしました」
入ってきた宣利さんを、典子さんが上目遣いで不満げに睨む。
もしかしてさっきの僅かな間でもなにか、言ったんだろうか。
「姉さんお待ちかねのアフタヌーンティですよ」
綺麗に口角をつり上げて笑い、宣利さんが箱を彼女の前に置く。
けれどそれは完全に作り笑顔だったし、ひと言でも文句を言ったらその場で抹殺されそうだった。
わざわざ彼が、蓋を開けてくれる。
けれど、中を見て固まった。
なにか問題があったんだろうかと、そろりとのぞき込む。
そこにはどう考えてもふたり分しか入っていなかった。
猛烈な勢いで箱が宣利さんの手元へ引き寄せられる。
携帯を手にした彼は、目にも留まらぬ速さで画面に指を走らせた。
「これは僕らでいただきます。
姉さんはこれを」
まだテーブルの上に置いてあった、先ほどのケーキの残りを彼が典子さんに押しつける。
「ちょっ」
「アフタヌーンティ代は姉さんの口座に振り込ませていただきましたので、奢りなどと言わないでくださいね」
口を開きかけた彼女へ、宣利さんが携帯を突きつける。
その画面をしばらく確認したあと、典子さんがおとなしくなったところからして、それなりの額が振り込まれたのだと思われる。
「ほら、花琳。
美味しそうだねー」
わざとらしく言いながら、私と彼のあいだになるテーブルの角で宣利さんは再び蓋を開けた。
それは季節の梨を使ったものがメインで確かに美味しそうだが、典子さんが気になる。
彼女は二つ目のケーキを手に、恨みがましくフォークを咥えて私を睨んでいた。
「あんな人、放っておいていいよ。
こんな幼稚な嫌がらせをする人間が悪い」
宣利さんの言い様は冷たいが、そのとおりなだけに彼女を庇う余地はない。
それでも典子さんを気にしながら、彼がサーブしてくれた梨の生ハム巻きを食べる。
「そもそも、僕が怖いからって花琳を標的にするのはやめてもらえないですかね」
典子さんと目もあわせず、宣利さんが呆れ気味に言い放つ。
「べ、別にアンタなんて、こ、怖くない、……し」
けれど彼女はしどろもどろになっていた。
「だいたい、これは僕に対する報復なのでしょう?
あなたのオトモダチとやらに僕が嫌がらせをした」
〝オトモダチ〟、そう言う宣利さんは険がある。
それに彼はなにを言っているんだろう?
嫌がらせとか彼らしくない。
でも、心当たりはあった。
最後に連れていかれた昼食会、あそこに参加していた方のご子息が、迷惑行為で炎上した。
宅配ピザを全トッピング二倍とかお店の人が反対するのを押し切って取り、届いたピザを前にこんなの食えるかと配達人をネチネチと責め立てた。
それを動画SNSに載せていて炎上したわけだが、動画が配信されたのは二年も前の話だ。
誰かがわざわざマスコミにリークしたとしか思えない。
ほかにもふたりほど、似たような目に遭った人がいた。
「やっぱりアンタの仕業なのね!」
典子さんがテーブルを叩き、食器が派手な音を立てる。
おかげで身体がびくりと震えた。
「大丈夫だよ、花琳」
私を安心させるように宣利さんが、背中を軽く叩く。
それで少しだけ息がつけた。
「やっぱりもなにも、僕がやりましたが?
僕の花琳を散々いびり倒しておいて、あれくらいで済ませてやったのを反対に感謝してほしいくらいですね」
薄らと宣利さんが笑い、ぶるりと典子さんが身体を震わせる。
この人は絶対に怒らせてはダメだ。
なまじお金があって社会的地位も高いから、やろうと思えばきっとなんだってできる。
「それに知らないと思ってるんですか?
あなたがツインタワーの運営にお金を積み、得意の恫喝で知り合いの店とやらを捻じ込んだのを」
「そ、そんなこと、してないわ」
否定してみせながらも、彼女の目が泳ぐ。
だから私に泣いて許しを乞えば取り下げてやるとでも言うつもりだったんだろうか。
いや、それで溜飲を下げて取り下げてくれればいいが、そんな私を嘲笑い、バカにして、父から店を取り上げるつもりだったんだろう。
怒りでまた我を忘れそうになる私の手を、宣利さんが握ってくれる。
それで幾分、冷静になれた。
「可哀想に、ある人は精神を病んで後悔にさいなまれていましたよ」
きっとその人は典子さんに、私と同じように心が折れるまで怒鳴られたんだろう。
本当に卑劣な人。
……ううん、違う。
可哀想な人、だ。
環境が彼女をそうしたのだと同情している部分もあった。
でも、それは違う。
これは今まで、そんな彼女を正してこなかった周囲の罪でもあるのだ。
「何度、痛い目を見ても懲りないなんて、あなたには学習能力がないんですか」
宣利さんは呆れているようだが、そうじゃない、そうじゃないのだ。
ぎゅっと彼の手を掴み、注意をこちらに向けさせる。
目で彼女と話をさせてくれと訴えた。
少しのあいだ見つめあったあと、彼が小さく頷く。
「典子さん」
彼女と向き合ったものの、それでも恐怖は拭えない。
震える私の手を、宣利さんが握ってくれた。
「もう、嫌がらせはやめてください。
こんなことをしたって、あなたの好きなようにはできないんですよ」
頭は酸欠になったかのようにくらくらする。
心臓がこれ以上ないほど速く鼓動していた。
「脅して言うことを聞かせたところで、一時的なものです。
それどころか、ますますあなたを孤独に追い込みます。
もう、やめましょう?
こんなこと」
精一杯の気持ちで彼女に微笑みかける。
友人という人たちは利害だけのうわべの付き合いに見えた。
母方の祖父母も両親も甘やかせるだけで、彼女の過ちを正さない。
父方の祖父母は厳しくするばかりで、彼女のことをわかろうとしているようには見えなかった。
入り婿の旦那さんもお金以外に彼女に興味がなく、調子よく持ち上げているだけに感じた。
こんな彼女の孤独を、わかってくれる人は周りにいないのだ、きっと。
「……うるさい」
俯いてしまっていた典子さんが、小さく呟く。
「あなたになにがわかるっていうのよっ!」
顔を上げ、ヒステリックに叫んだかと思ったら、彼女は勢いよく私にお茶をかけた。
「姉さん!」
怒気を孕み、宣利さんが立ち上がる。
そんな彼の手を引っ張り、止めた。
幸い、お茶は冷めていて怪我はない。
「誰も私のことなんてわかってくれなかった。
いまさらあなたが、わかった口を利かないで!」
顔を真っ赤にし、典子さんが喚き立てる。
それを、冷静に聞いていた。
やはり、私の考えは当たっていたようだ。
本当に可哀想な人。
ううん、こんな同情をして憐れむ私だって、何様だけれど。
屈辱に顔を染め、典子さんが私を見下ろす。
……ああ。
彼女に私の気持ちは届かなかったのだ。
もし、少しでも救いを求めてくれたら、彼女を知る努力をしようと決めていた。
双方傷つけあって、共に倒れるだけかもしれない。
それでも、少しでも今まで知らずに傷つけられてきた彼女が癒やせたらと思っていた。
でもその手を、彼女は振り払った。
「そう、ですか」
悲しいな。
悲しくて悲しくて堪らない。
私のちっぽけな手では、典子さんひとりすら救えない。
救うなんて思い上がりも甚だしいのはわかっている。
それでも、ほんの少しでも彼女の助けになれないのが、こんなにも悲しい。
「そんな目で私を見ないでよ!」
さらに叫び、目の前にあったケーキを典子さんが私に投げつける。
しかしそれは、宣利さんの手によって阻まれた。
怒りでわなわなと震え、彼女が私たちを見つめる。
「帰る!」
唐突に立ち上がり、足音荒く典子さんは出ていった。
「……失敗してしまいました」
けれど私には、あれ以外の言い方がわからなかった。
「ううん、花琳は凄いね」
気が抜けたように宣利さんがスツールに腰を下ろす。
「僕は姉さんが孤独だなんて考えもしなかった」
彼は驚いているようだが、気づかなかったのは仕方がない。
「家族だから、わからなかったんだと思います。
私は、外の人間だから」
だから第三者の目で典子さんを分析できた。
そういう部分はあるはずだ。
「外の人間じゃない、僕たちは夫婦だろ」
「そう、ですね」
不服そうな彼に苦笑いする。
夫婦だけれど、子供がいなかったら赤の他人だ。
今は好きだ、愛しているという気持ちはあっても、子供がいなくなったら彼の気持ちも変わるかもしれない。
「でも、花琳が姉さんに救いの手を差し出すとは思わなかったよ」
宣利さんは感心しているが、それはそんな高尚なものではない。
ただの安い同情だ。
「失敗してしまいましたけどね」
「ううん。
きっと姉さんの心に届いているよ。
ありがとう」
感謝を伝えるように彼が、私の手を握ってくれる。
それで私が救われた。
「僕も頭ごなしに姉さんを怒らず、もっと気持ちを考えるようにするよ。
こんなきっかけをくれた花琳には、感謝しかないよ」
きゅっと私の手を握る彼の手に力が入る。
これから少しずつでいい、典子さんを巡る環境が変わったらいい。
そう、願った。