しばらくして、三人が談話室へ戻ってきた。
一心はその鉢を、
透きとおった硝子のかこいの中では、小魚が一匹ずつ泳いでいる。
「それではお祖父様、よろしくお願いいたします」
「おうよ」
「お父さま、
「まて
すぐさま、
その直後だった。
鉢のほうへ腕を伸ばした桃英と晴風の親指の傷口から、血液がしたたり落ち、水面をゆらす。
「……えっ!?」
やがて、早梅は驚愕した。
桃英の血液が混入した鉢の小魚は、腹を見せてぷかりと浮かんだ。
だが晴風の血液が混入した鉢の小魚は、まったく変化がなかったのだ。
「おいおい、こりゃあ……」
「『
早一族の祖先ならば、晴風の体内にも『氷毒』が存在するはず。
その仮説が、見事打ち砕かれたのだ。
桃英は早梅へ向き直り、続ける。
「『氷毒』とは何なのか。歴代の当主にも、それを語る者はいなかった。だが私は早家につたわる伝承を調べるうちに、それがいつ早一族の身に宿ったのか、解き明かすことができた」
「宿った……? お父さま、それでは『氷毒』は、早一族生来のものではなく、後天的に現れたものであるということですか?」
「あぁ。お祖父様の血液に毒性がない時点で、それは明らかだ」
「んん? そんじゃあれか? 『氷毒』とかいうたいそうな代物が出てきたのは、俺が仙人になった後の話ってか? いったいなにが起きたっていうのかねぇ」
「
「──!」
うわ言のようにつぶやく
とたん、晴風の顔から血の気が引く。
それは、早梅もおなじ。
「
問いかける黒皇の声音は、硬い。
桃英はつかの間の沈黙を挟み、うなずいてみせた。
「一般的に知られている伝承は、そうだ。そして『射陽伝説』には、限られたごく一部の者しか知らない『物語』がある」
──はじまりの物語……わが祖先、
「初代皇帝、羅緋龍将軍には、盃を交わした義兄弟がいた。その者の名は──
「なん、ですって……初代皇妃!?」
「桃英さまのお話を踏まえますと、梅花妃は、早家の祖先であると。つまり……現在の羅皇室には早家の血が流れており、早家には羅皇室の血が流れているということになりますが」
「相違はない。……われら早一族は、皇族の血すじでもあるのだ」
明かされる真実。
これには早梅のみならず、一心すらも絶句する。
「でも、それじゃあなんで早一族は、北の辺境に住みついてたんですか、父上」
紫月も困惑を隠せない。無理もないだろう。
「早家につたわる伝承によると、皇子と姫を出産後、梅花妃は病をわずらった。療養のため、羅緋龍は梅花妃を彼女の故郷の北方へ送り出したが、その際、姫も同行したと。別れのとき、羅緋龍は梅花妃の回復を祈り、黄金に輝く枝を渡したらしい。太陽を射落とした際、空高くから落ちてきた不思議な枝だそうだ」
「おい……ちょっと待て」
わなわなと唇をふるわせた晴風が、頭を抱える。
「そんなことは……いや、待て、待ってくれ……そういえば、あのとき……
ここまで来れば、桃英がなにを語ろうとしているのか、否応なしに理解させられる。
「梅花妃は黄金の枝を故郷の地に植え、だいじに育てた。やがて黄金の木となり、不思議な実をつけ、それを口にした梅花妃の病は、たちまちに消え失せた。だがその後、なぜか梅花妃は羅緋龍のもとには戻らなかった。彼女の死後、黄金の木は跡形もなく枯れてしまったらしい。歴代早家当主の手記の中で、『鹿や猪をも卒倒させる毒性』の『体内毒』の記述が散見されはじめるのは、そのころだ」
「なんてこった……」
信じがたい話だ。けれど、否定しようがない。
「では……私たち早一族のもつ『氷毒』の正体は、翠桃、ということになります……」
「そりゃあ仙桃を食ったなら、ばかみてぇな力に目覚めたっておかしくはねぇよ。……ちくしょう」
あまりの情報量に、ぐるぐると目が回りそうだ。
早梅は気が遠くなりそうな衝撃をこらえ、なんとか頭をはたらかせる。
(『黄金に輝く枝』が不思議な力をもつことはたしかでも、それが仙桃であったことまでは、飛龍は知らないはずだ)
『射陽伝説』の際、天界で起こったことを、地上の人間が知るはずがないのだ。
「神仙のみなさまが翠桃を口にしても、毒性は発揮されません。ですが、梅花妃は人間──翠桃がその体内で変容し、『氷毒』として定着してしまったのでしょう」
「てことは……『氷毒』から作る『
「っ! 黒皇、紫月兄さま!」
「そのとおりだ。そして『千年翠玉』は、より梅花妃に近い血を受け継いだ早家の人間の手で作らねば、失敗してしまう。それゆえ、わが一族は近親婚が鉄則となったのだ。神なる力を宿した『純血』を、後世へつなぐために」
『氷毒』と、翠桃。
羅皇室と、早一族。
すべては、つながっていた。
(いろんなことが押し寄せて、頭の中がぐちゃぐちゃだよ……)
じぶんは、何者なのだろう。
どのような立場で、どうすべきなのだろう。
目の前に濃い霧がかかったように、行く先が見えない。
「梅雪、おまえが望むなら、私が『千年翠玉』を用意しよう」
戸惑う早梅を見かね、桃英がそう提案する。
「だが
それはすなわち、失敗すれば、死を意味する。
「どうするかは、おまえ自身の意思で決めなさい。それもまた、殿下にさだめられた天命なのだ」
桃英はあくまで、早梅自身の選択を促している。
(私がすべきことは──)
その答えを、早梅はすぐには見つけられなかった。