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第242話 甘い毒【後】

「俺も含め、燈角とうかくであんたたちの相手をした武功の使い手は、『孤影こえい』と呼ばれる皇室直属の機密部隊だ。陛下の命で、情報収集から要人の暗殺まで、なんでもやる」

「……唐突だな」

「あんたに必要そうな情報を厳選してるんだよ。まぁ聞きな」


 宮中の内情を明かすことに、ためらいがなかった。

 これにより、シュン飛龍フェイロンに対して忠誠心をいだいていないことが証明された。

 早梅はやめのさぐるような視線を受けながら、迅は続ける。


「『孤影』は、強者というより曲者のあつまりだ。まぁ俺を見てたらわかると思うが。三日で千里を駆ける軽功の使い手もいれば、陛下の『お忍び』の際に影武者を買って出る易容術えきようじゅつの使い手もいる。あぁ、易容術なら、陛下の兄君もお得意のようだな?」


 易容術。人相を自在に変える術だ。たしかに蒼雲ツァンユンは老人に扮して、離宮に忍び込んでいた。


「蒼雲さまは、『皇室を追放された』と話していた。それはどういうことだ?」

「さぁな。陛下に同腹の兄がいたってこと自体、俺も今回はじめて知ったんだよ。経緯はさっぱりだが、まぁ大体の予想はつくな」

「予想、だと?」

「これ以上のことは、皇兄殿下ご本人サマの口から聞くのが手っ取り早い」


 ──俺が話すことじゃない。


 迅の言わんとすることを汲み取った早梅は、次の問いを投げかける。


「飛龍はなぜ、わがザオ家の『千年翠玉せんねんすいぎょく』を求めていた? あれは、門外不出の秘薬だったはずだ」

「陛下がその存在をいつどこで知ったのか、俺も知らない。だが『なぜ求めるのか』については、『千年翠玉』が何なのかを思えば、簡単にわかることだ」

「……待て。その口ぶり……貴様は『千年翠玉』について、どこまで知っている」

「陛下ほどではないが、あんたよりは知ってると思うぜ」


 なぜだろうか。信憑性のかけらもないのに、迅の言葉が嘘だとは思えないのは。

 それほど、迅の主張は堂々としていた。


「飛龍は……早家と皇室が、古くから切り離せない関係にあると言っていた」

「あぁ、なんでもルオ皇室の成り立ちと関係があるんだと」


 よどみない返答だった。

 自分が知らない真実を、迅は知っている。

 そのことを突きつけられたようで、早梅の表情に影が落ちる。

 わずかにうつむく早梅を、翡翠と漆黒、色違いの瞳が捉える。


「早家当主が生きていた。それは、陛下にとって誤算だろうな」

「そうだ……お父さま」


『千年翠玉』の製造法は、早家の当主となる者に、口伝によって伝えられるもの。

 桃英タオインは『千年翠玉』の成り立ち、つまり正体を知る者。

『千年翠玉』が早家と皇室双方に関係しているのなら、両家の因縁の理由を知っているかもしれないのだ。


(早家と皇室の関係性については、お父さまに訊けと、そう言いたいのだな)


 それが最善だからと。

 桃英を話題に出した迅の意図を、早梅は悟った。


(なんだか、変な気分だ)


 無知を恥じる自分に、それとなく迅が助け舟を出してくれたような──なんて、考えすぎかもしれないけれど。

 ただこうして、迅が早梅の利となる情報を冷静に整理し、的確に要点をさらい出していることは、事実だとわかる。

 命のやり取りを楽しんでいたあの夜とは、違う。

 向き合って、対話をしなければ、わからなかったことだ。


「迅、おまえはこれから、どうするつもりだ」


 気づいたときには、そんな問いが早梅の口からこぼれていた。


「十中八九、追っ手を差し向けられるだろうが、おとなしく殺されるつもりは毛頭ないね」


 悪戯っぽい笑みを浮かべ、迅は告げる。


「どうせ修羅の道を歩むのなら、俺はあんたのいる道を選ぶ」


 片ひざを立てた迅が、しなやかな腕を伸ばす。

 ふいに腰を浮かされた早梅は、腕を引かれる。

 体勢を崩し、なだれ込んできた早梅のからだを、迅は両腕で絡めとる。


「……んっ」


 唇を重ねられる感触で、早梅は我に返る。反射的に身を引こうとしたが、迅の腕がきつく巻きつくばかりで、びくともしない。


(こいつ、また私の内功を搾り取ろうと……!)


 燈角で枯渇寸前まで内功を奪われたことを思い出す。


 気交に淫念を持ち込んではならない。邪念が、円滑な気のやり取りを損なうためだ。

 だが肉体接触を増やすことで、強引に気交の効果を増幅してしまえる荒業があるのも事実だ。

 抱擁より接吻。接吻よりまぐわい。

 快楽によって理性のたががはずれると、比例して内功が暴走的に増幅してゆく。


(二度もしてやられるものか……!)


 早梅は怒りのままに、迅の襟首をつかむ。


「……っは……梅雪お嬢さま?」


 そしてわずかに唇が離れた隙を逃さず、迅の唇へ噛みついた。

 早梅はすかさず、肺いっぱいに吸い込んだ息とともに、持ちうるすべての氷功を注ぎ込む。


「んぐっ! ……ふ……んんっ」


 色違いの瞳をかっと見開き、迅のからだが強ばる。

 しかし硬直していたのもつかの間で、早梅を抱く腕が、小刻みに震えはじめた。


「私に、二度も同じ手が通用すると思うな」


 前回の仕返しをしてやったと、早梅が達成感に浸れたのも、刹那の夢。


「……くそ……紳士的にすませようとしてたぞ、俺は」

「は? ちょっ」

「煽ったあんたが悪い」


 迅の呼吸が荒い。それはなぜかを思考する間もなく、今度は早梅が迅に噛みつかれていた。


「おい、待て……んむぅっ!」

「はぁっ……ん」


 ぬるりと口内へ侵入した肉厚な舌が、早梅のそれへ絡みつく。

 迅を突き飛ばしたくとも、鋭い牙を突き立てられているため、叶わない。

 粘膜同士をこすり合い、唾液をかき混ぜる、生々しい水音が鼓膜にまとわりついている。


 迅は早梅へ、苛むような深い口づけをくり返していた。

 ただ今回は、内臓をかき混ぜられるような──内功を搾り取られるような不快感はなかった。それが余計に早梅を混乱させる。


「っは……梅雪っ……」


 呼吸を荒らげた迅が、早梅の衿元を性急に乱す。

 そしてさらされた白い右肩に、牙を突き立てる。


「……ぐっ……」


 しかし、痛みが早梅を襲うことはなかった。

 たしかに牙は突き立てられている。

 が、それは早梅の右肩を食い破ることなく、わなわなと震えるのみだ。


 ──彼は誰かに噛みつくことができません。舌を噛んで自害することを含めた、自傷行為もです。


 蒼雲の術による影響だと、早梅は理解した。


「つがいに噛みつくこともできないのかよ……くそっ」


 迅は苛立ちもあらわに、低く唸る。


「あの気弱なぼっちゃんの首根っこ引っ掴んで、このふざけた術さっさと解かせてやる」

「……ふはっ」

「何がおかしいんだよ」

「いや、らしくないなと思って」


 不遜な態度で、飄々とこちらを好き放題にかき回す。

 それが早梅の中の、迅という男の人物像だった。しかし、今はどうだろうか。


「子犬のようだな」

「は? 孕ませるぞ」

「できるものなら」


 花のほころぶような笑みを浮かべ、早梅は迅の首へ細腕を回す。

 風のない地下室に冷気が渦巻き、氷の刃が出現する。

 早梅は純白の刃を、迅のうなじに押し当てた。


「私に殺される覚悟があるなら、好きにすればいい」


 この場で主導権をにぎっているのは、おのれだ。

 早梅のほほ笑みを受け、迅が嘆息した。


「あのなぁ、俺が一番気に食わないのは、あんたを抱けないことより、あんた以外の野郎に好き勝手されてることなんだよ」

「ほう? それで?」

「言ったろ。ラン族の雄は、つがいを一生愛すんだって。俺はもうあんたに抗えない。あんたしか見えない」


 首に刃を突きつけられてなお、迅は手を伸ばす。

 蜂蜜のように声音を蕩けさせて、ひろい手のひらで早梅のほほを包み込む。


「だから俺に首輪をつけるのは、あんただけにしてくれ、梅雪」


 かすめるように、迅の唇がひたいへふれる。その予想外のやわらかさに、呆けたのがまずかった。


「うん? 今度は嫌がらなかったな。こういう、やさしいのが好きなのか?」

「なっ……これは!」

「なるほどな。なんとなくわかってきたぞ」


 今さらながら、迅は腹立たしいほどに器用な男だった。

 早梅を抱きしめ、ひたいやほほに軽い口づけを落としてくる。

 そして確信犯なのか、迅が唇を寄せてくるたびに空鼠色の髪が首すじをくすぐるため、早梅は羞恥とは別の意味で悶えていた。


「っひ……やめっ、やめないか!」

「どうした梅雪お嬢さま、顔が真っ赤だぞ? 可愛い」

「可愛くない!」

「かわいい」

「可愛くなど、ない!」

「あははっ、せっかく褒めてるんだから、物騒な照れ隠しはやめようなー」


 迅は何でもないように笑い飛ばしたついでに、早梅がにぎり直した氷の刃をはたき落とす。


「なんだ。意地悪するより、やさしくしたほうが、めちゃくちゃかわいいじゃん」


 しまいにはうっとりと早梅に熱視線を注ぎながら、そんなことを口走る始末。


「なぁ。あんたが俺を嫌ってても、俺はあんたを愛してるよ」

「っ……」

「愛してる……梅雪」


 不意討ちだった。

 あの迅の言葉とは思えないほど、まっすぐで、実直な言葉だ。


「あんたが俺を、飼い慣らしてくれ。有能な番犬になるぜ?」


 それは事実上の、早梅に対する降伏宣言だ。

 今後一切、早梅の意には背かないという。


「散々強さにこだわってきた男が、今度は愛に生きるというのか?」

「矜持を捨てたわけじゃない。それ以上に、本能には抗えないってだけだ。俺が信じられないか?」

「それだけのことをしてきただろう」

「否定はしないな。なら、こうしよう。これから俺は、あんたのために行動して、あんたの信頼をこの手で勝ち取る。手始めに……そうだなぁ」


 じとりと目を細める早梅と耳もとへ、迅は唇を寄せる。

 そうして内緒話でもするように、こうつぶやくのだ。


「殿下を助ける方法、教えようか?」

「──!」


 暗珠アンジュは『灼毒しゃくどく』に侵され、生死の境をさまよっている。

 そして迅は狼族。生まれながらに『灼毒』を持つ者。その点だけなら碧葉ビーイェ橙蘭チョンラン憂炎ユーエンも同様だが……


「毒の王とも呼ばれる『灼毒』──解毒法は存在しなかった。今まではな」

「待て……それでは、つまり」

「あぁ。解毒法は、ある。たったひとつだけの方法が」

「それは何だ、どうすれば殿下を助けられる!?」


 暗珠を助けられるかもしれない。

 いても立ってもいられない早梅は、迅に詰め寄る。


「まぁ落ち着きなって」


 背をさすられ、なだめられた早梅は、とたんにばつが悪くなった。

 迅は早梅の頭をなでていたかと思うと、ふいに首すじへ鼻先をうずめてくる。


「あぁ、甘い香りがするなぁ……心地いい香りだ」


 脈絡のない迅の行動。いぶかしむ早梅だけれども、そのわけを、直後に知ることとなる。


「殿下の毒を消し去る方法。その鍵は、あんただ」

「私……?」

「そう。厳密にはあんたの血。その血は果実の蜜のように美味で、王たる毒をしのぐ、甘い甘い毒なのさ」


 迅はまるで耳朶へ口づけを落とすかのように、そっとささやいた。


「──急ぎな。お父上に、『千年翠玉』の作り方を訊くんだ」


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