「俺も含め、
「……唐突だな」
「あんたに必要そうな情報を厳選してるんだよ。まぁ聞きな」
宮中の内情を明かすことに、ためらいがなかった。
これにより、
「『孤影』は、強者というより曲者のあつまりだ。まぁ俺を見てたらわかると思うが。三日で千里を駆ける軽功の使い手もいれば、陛下の『お忍び』の際に影武者を買って出る
易容術。人相を自在に変える術だ。たしかに
「蒼雲さまは、『皇室を追放された』と話していた。それはどういうことだ?」
「さぁな。陛下に同腹の兄がいたってこと自体、俺も今回はじめて知ったんだよ。経緯はさっぱりだが、まぁ大体の予想はつくな」
「予想、だと?」
「これ以上のことは、皇兄殿下ご本人サマの口から聞くのが手っ取り早い」
──俺が話すことじゃない。
迅の言わんとすることを汲み取った早梅は、次の問いを投げかける。
「飛龍はなぜ、わが
「陛下がその存在をいつどこで知ったのか、俺も知らない。だが『なぜ求めるのか』については、『千年翠玉』が何なのかを思えば、簡単にわかることだ」
「……待て。その口ぶり……貴様は『千年翠玉』について、どこまで知っている」
「陛下ほどではないが、あんたよりは知ってると思うぜ」
なぜだろうか。信憑性のかけらもないのに、迅の言葉が嘘だとは思えないのは。
それほど、迅の主張は堂々としていた。
「飛龍は……早家と皇室が、古くから切り離せない関係にあると言っていた」
「あぁ、なんでも
よどみない返答だった。
自分が知らない真実を、迅は知っている。
そのことを突きつけられたようで、早梅の表情に影が落ちる。
わずかにうつむく早梅を、翡翠と漆黒、色違いの瞳が捉える。
「早家当主が生きていた。それは、陛下にとって誤算だろうな」
「そうだ……お父さま」
『千年翠玉』の製造法は、早家の当主となる者に、口伝によって伝えられるもの。
『千年翠玉』が早家と皇室双方に関係しているのなら、両家の因縁の理由を知っているかもしれないのだ。
(早家と皇室の関係性については、お父さまに訊けと、そう言いたいのだな)
それが最善だからと。
桃英を話題に出した迅の意図を、早梅は悟った。
(なんだか、変な気分だ)
無知を恥じる自分に、それとなく迅が助け舟を出してくれたような──なんて、考えすぎかもしれないけれど。
ただこうして、迅が早梅の利となる情報を冷静に整理し、的確に要点をさらい出していることは、事実だとわかる。
命のやり取りを楽しんでいたあの夜とは、違う。
向き合って、対話をしなければ、わからなかったことだ。
「迅、おまえはこれから、どうするつもりだ」
気づいたときには、そんな問いが早梅の口からこぼれていた。
「十中八九、追っ手を差し向けられるだろうが、おとなしく殺されるつもりは毛頭ないね」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、迅は告げる。
「どうせ修羅の道を歩むのなら、俺はあんたのいる道を選ぶ」
片ひざを立てた迅が、しなやかな腕を伸ばす。
ふいに腰を浮かされた早梅は、腕を引かれる。
体勢を崩し、なだれ込んできた早梅のからだを、迅は両腕で絡めとる。
「……んっ」
唇を重ねられる感触で、早梅は我に返る。反射的に身を引こうとしたが、迅の腕がきつく巻きつくばかりで、びくともしない。
(こいつ、また私の内功を搾り取ろうと……!)
燈角で枯渇寸前まで内功を奪われたことを思い出す。
気交に淫念を持ち込んではならない。邪念が、円滑な気のやり取りを損なうためだ。
だが肉体接触を増やすことで、強引に気交の効果を増幅してしまえる荒業があるのも事実だ。
抱擁より接吻。接吻よりまぐわい。
快楽によって理性の
(二度もしてやられるものか……!)
早梅は怒りのままに、迅の襟首をつかむ。
「……っは……梅雪お嬢さま?」
そしてわずかに唇が離れた隙を逃さず、迅の唇へ噛みついた。
早梅はすかさず、肺いっぱいに吸い込んだ息とともに、持ちうるすべての氷功を注ぎ込む。
「んぐっ! ……ふ……んんっ」
色違いの瞳をかっと見開き、迅のからだが強ばる。
しかし硬直していたのもつかの間で、早梅を抱く腕が、小刻みに震えはじめた。
「私に、二度も同じ手が通用すると思うな」
前回の仕返しをしてやったと、早梅が達成感に浸れたのも、刹那の夢。
「……くそ……紳士的にすませようとしてたぞ、俺は」
「は? ちょっ」
「煽ったあんたが悪い」
迅の呼吸が荒い。それはなぜかを思考する間もなく、今度は早梅が迅に噛みつかれていた。
「おい、待て……んむぅっ!」
「はぁっ……ん」
ぬるりと口内へ侵入した肉厚な舌が、早梅のそれへ絡みつく。
迅を突き飛ばしたくとも、鋭い牙を突き立てられているため、叶わない。
粘膜同士をこすり合い、唾液をかき混ぜる、生々しい水音が鼓膜にまとわりついている。
迅は早梅へ、苛むような深い口づけをくり返していた。
ただ今回は、内臓をかき混ぜられるような──内功を搾り取られるような不快感はなかった。それが余計に早梅を混乱させる。
「っは……梅雪っ……」
呼吸を荒らげた迅が、早梅の衿元を性急に乱す。
そしてさらされた白い右肩に、牙を突き立てる。
「……ぐっ……」
しかし、痛みが早梅を襲うことはなかった。
たしかに牙は突き立てられている。
が、それは早梅の右肩を食い破ることなく、わなわなと震えるのみだ。
──彼は誰かに噛みつくことができません。舌を噛んで自害することを含めた、自傷行為もです。
蒼雲の術による影響だと、早梅は理解した。
「つがいに噛みつくこともできないのかよ……くそっ」
迅は苛立ちもあらわに、低く唸る。
「あの気弱なぼっちゃんの首根っこ引っ掴んで、このふざけた術さっさと解かせてやる」
「……ふはっ」
「何がおかしいんだよ」
「いや、らしくないなと思って」
不遜な態度で、飄々とこちらを好き放題にかき回す。
それが早梅の中の、迅という男の人物像だった。しかし、今はどうだろうか。
「子犬のようだな」
「は? 孕ませるぞ」
「できるものなら」
花のほころぶような笑みを浮かべ、早梅は迅の首へ細腕を回す。
風のない地下室に冷気が渦巻き、氷の刃が出現する。
早梅は純白の刃を、迅のうなじに押し当てた。
「私に殺される覚悟があるなら、好きにすればいい」
この場で主導権をにぎっているのは、おのれだ。
早梅のほほ笑みを受け、迅が嘆息した。
「あのなぁ、俺が一番気に食わないのは、あんたを抱けないことより、あんた以外の野郎に好き勝手されてることなんだよ」
「ほう? それで?」
「言ったろ。
首に刃を突きつけられてなお、迅は手を伸ばす。
蜂蜜のように声音を蕩けさせて、ひろい手のひらで早梅のほほを包み込む。
「だから俺に首輪をつけるのは、あんただけにしてくれ、梅雪」
かすめるように、迅の唇がひたいへふれる。その予想外のやわらかさに、呆けたのがまずかった。
「うん? 今度は嫌がらなかったな。こういう、やさしいのが好きなのか?」
「なっ……これは!」
「なるほどな。なんとなくわかってきたぞ」
今さらながら、迅は腹立たしいほどに器用な男だった。
早梅を抱きしめ、ひたいやほほに軽い口づけを落としてくる。
そして確信犯なのか、迅が唇を寄せてくるたびに空鼠色の髪が首すじをくすぐるため、早梅は羞恥とは別の意味で悶えていた。
「っひ……やめっ、やめないか!」
「どうした梅雪お嬢さま、顔が真っ赤だぞ? 可愛い」
「可愛くない!」
「かわいい」
「可愛くなど、ない!」
「あははっ、せっかく褒めてるんだから、物騒な照れ隠しはやめようなー」
迅は何でもないように笑い飛ばしたついでに、早梅がにぎり直した氷の刃をはたき落とす。
「なんだ。意地悪するより、やさしくしたほうが、めちゃくちゃかわいいじゃん」
しまいにはうっとりと早梅に熱視線を注ぎながら、そんなことを口走る始末。
「なぁ。あんたが俺を嫌ってても、俺はあんたを愛してるよ」
「っ……」
「愛してる……梅雪」
不意討ちだった。
あの迅の言葉とは思えないほど、まっすぐで、実直な言葉だ。
「あんたが俺を、飼い慣らしてくれ。有能な番犬になるぜ?」
それは事実上の、早梅に対する降伏宣言だ。
今後一切、早梅の意には背かないという。
「散々強さにこだわってきた男が、今度は愛に生きるというのか?」
「矜持を捨てたわけじゃない。それ以上に、本能には抗えないってだけだ。俺が信じられないか?」
「それだけのことをしてきただろう」
「否定はしないな。なら、こうしよう。これから俺は、あんたのために行動して、あんたの信頼をこの手で勝ち取る。手始めに……そうだなぁ」
じとりと目を細める早梅と耳もとへ、迅は唇を寄せる。
そうして内緒話でもするように、こうつぶやくのだ。
「殿下を助ける方法、教えようか?」
「──!」
そして迅は狼族。生まれながらに『灼毒』を持つ者。その点だけなら
「毒の王とも呼ばれる『灼毒』──解毒法は存在しなかった。今まではな」
「待て……それでは、つまり」
「あぁ。解毒法は、ある。たったひとつだけの方法が」
「それは何だ、どうすれば殿下を助けられる!?」
暗珠を助けられるかもしれない。
いても立ってもいられない早梅は、迅に詰め寄る。
「まぁ落ち着きなって」
背をさすられ、なだめられた早梅は、とたんにばつが悪くなった。
迅は早梅の頭をなでていたかと思うと、ふいに首すじへ鼻先をうずめてくる。
「あぁ、甘い香りがするなぁ……心地いい香りだ」
脈絡のない迅の行動。いぶかしむ早梅だけれども、そのわけを、直後に知ることとなる。
「殿下の毒を消し去る方法。その鍵は、あんただ」
「私……?」
「そう。厳密にはあんたの血。その血は果実の蜜のように美味で、王たる毒をしのぐ、甘い甘い毒なのさ」
迅はまるで耳朶へ口づけを落とすかのように、そっとささやいた。
「──急ぎな。お父上に、『千年翠玉』の作り方を訊くんだ」