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第241話 甘い毒【中】

 シュンの処遇について。

 飛龍フェイロンの身辺情報を聞き出すため、捕虜として尋問する。

 それが、早梅はやめの下した決断だ。


 重度の熱傷を負い、意識不明の重体だった迅は、晴風チンフォンの治療を受け、二日前に意識を取り戻したと聞く。

 これを受け、監視を任せていた六夜リゥイ五音ウーオンが尋問を行ったが、迅はただのひと言も発さなかったという。

 紫月ズーユェまでもが出向いたが、結果は同じ。


 そんな中、地下室を訪れた早梅を目にしたとたん、迅は歓喜してみせた。

 恍惚としたまなざしを、早梅だけに注いでいる。


「何日も俺を放っておくなんて、酷いじゃないか。愛しの梅雪メイシェお嬢さまは、意地悪なんだな」

「そちらは相変わらずの減らず口で、何よりだ」

「でもまぁ、会いに来てくれたならよしとするよ。今日はどうする? 何から話そうか? あんたになら何でも話すぜ、ふたりきりにしてくれるんならな」

「この駄犬が……」

「おい、でかいちび助、落ち着け」


 こめかみに青筋を浮かべ、一歩踏み出した憂炎ユーエンを、紫月が制す。かくいう紫月も、鋭く細めた藍玉の眼光から、殺気を放っていたが。


「切り刻みたいのは山々なんだがな、面倒この上ない」


 迅は血功の使い手だ。

 蒼雲ツァンユンの術で無力化してはいるものの、出血をともなう折檻はできない。迅に反撃のすべを与えかねないからだ。

 下手な手出しはできない。それが、尋問を難航させる最大の理由でもあった。


 迅は何があろうと、絶対に口を割らなかった。それは飛龍に対する忠誠心によるものではないだろう。

 事実、早梅が姿を見せただけで「何でも話して聞かせてやる」と、迅は喜々として宣言しているのだ。

 となれば、仕方あるまい。


「紫月兄さま、憂炎、外で待っていてくれる?」

「この下衆とふたりきりにしろって? 冗談もほどほどにしろ」

「嫌です。梅雪があいつと同じ空気を吸っていると考えただけでも、吐き気がするのに」

「妙な真似をしたら、私が首を刎ねます。それでいいでしょう」


 早梅も退かない。

 ピシピシと冷気が巻き起こり、早梅の手中で氷の短刀がかたち作られた。


「手短に終わらせる。ふたりにして」


 早梅にしては珍しい、有無を言わせぬ物言いだった。

 紫月は舌打ちをもらし、きびすを返す。


「……あとでわたしにも、いっぱいかまってくださいね」


 拗ねた憂炎に早梅がうなずき返すと、それで譲歩してくれたらしい。紫月に続いて、地下室をあとにした。


「そうこなくっちゃな。逢引は、ふたりきりじゃないと」


 囚われの身となってなお、この立ち回り。

 迅は、腹立たしいほどに頭の切れる男だった。


「なぁ、こんな拘束しなくたって俺は逃げないぞ。愛する梅雪お嬢さまがここにいるのに、わざわざ逃げ出す意味がない」


 迅がそう言った直後、ゴキリ、と嫌な音がした。

 見れば、迅を後ろ手に拘束していた手首の縄がゆるんでいる。


「……わざと関節を外して、抜け出したか」

「あたり」


 しゅるりとゆるんだ縄から両手を抜き、迅は笑う。

 余裕綽々の表情で肩を回し、関節を戻していた。

 迅はそれから手際よく足首の縄もほどきにかかったが、ふと気づいたように声を上げる。


「俺が抜け出したとなると、あんたのお付きたちが面倒だな。あとでまた、いい感じに縛り直してくれ」


 そうして四肢の縄をほどくまでにかかった時間は、体感で一分弱。おしゃべりをしながら、この速さ。つくづくおそろしい男だ。


「さてと。これで思う存分、再会を喜べるなぁ?」


 椅子から立ち上がった迅は、長身をかがめ、早梅をのぞき込む。不敵な笑みを浮かべた美しい顔が、息のかかるほど間近に迫った。

 挑発的な言動はこの男の特徴だが、今ではそこに、炎が燻るような愛欲が宿っている。


(拘束具に縄を用いたのは、私の提案だ)


 万全を期すならば、鎖のついた枷をはめただろう。

 だが早梅はそうしなかった。迅を試したのだ。

 そして迅は見事拘束を抜け出しながらも、逃げなかった。


「俺を地面に這いつくばらせた女は、あんたがはじめてだよ。本当に……最高の女だ」

「ふれるな」

「ははっ、そんなモノちらつかせて威嚇したって、可愛いだけだぞ?」


 剣罡けんこうでつくり出した氷の刃をかかげても、迅は動じない。

 元々、自傷にためらいがない男だ。今さら痛みに屈するとも思えない。

 早梅が嘆息して腕を下げると、迅は笑みを深める。

 迅の長い腕が、早梅の細い腰を絡めとった。


「梅雪……梅雪」

「やめろ、近寄るな」

「こーら、逃げるな」


 早梅を抱き寄せ、からだを密着させた迅が、唇を寄せる。

 すぐさま顔を背けた早梅だが、ちゅうっと左耳を吸われてしまう。

 それだけに飽き足らず、ほほに口づけの雨を降らされる。

 しだいに迅の呼吸が荒くなってゆく様子が、感じ取れた。


「んっ……はぁ……嫌がってるのか? 可愛い」

「──ッ!」


 ぱんっと乾いた音が鳴り響く。

 堪りかねた早梅が迅を突き飛ばした末、平手で打ったのだ。

 ほほを打たれた迅が、激高する様子はない。

 むしろ、にやり……と笑みを深めるだけだ。


「抵抗しても、俺を興奮させるだけだって」

「この、変態……っ!」

「梅雪お嬢さま限定でな? 性欲処理以外で、女を抱きたいと思ったことはないし。いやぁ、わりと満身創痍だったんだけど、ちゃんと『反応』するってわかって、安心したよ」


 べらべらと、おしゃべりな男だ。

 迅が何を言っているのか、理解したくもない。

 だが早梅が不快感をあらわにしても、迅は一切気にしない。


「そういうわけだ、梅雪お嬢さま」

「……何が言いたい」

「俺を情夫にしないか?」

「私の聞き間違いか」

「聞き間違いにしてくれるなよ。俺なら、あんたの欲しい情報は全部くれてやるし、夜の相手もできる。もちろん俺は立場をわきまえてるんでね、犯したいのをぐっと堪えて、やさしく抱くさ。お望みとあらば、避妊も」

「迅……貴様」

「つまりは、だ。俺はあんたを気持ちよくさせることはあっても、傷つけはしないってことだ。安心してくれ。ラン族は、つがいを一生愛すんだ。その手始めに、からだから始めるってだけだろ?」

「……っ!」


 つぅ……と指先で背筋をなぞられ、早梅は戦慄した。

 迅の行為は、まぎれもなく、色を誘うものだ。


「気交だけで、あんなに快感だったんだ。相性抜群だと思うんだよな。あんたは欲しい情報ものが手に入って、俺は愛しい梅雪お嬢さまを抱ける。その上お互いイイ気持ちになれるなんて、いいことづくしじゃないか?」


 流暢に言葉を並べ立てて、このまま早梅を丸め込もうという算段なのだろう。

 だが早梅とて、してやられてばかりではない。


「自分を過大評価しすぎだな。迅、貴様は、貴様に対する私の嫌悪感を考慮していない。いくら甘い言葉を並べても、私には何も響かない」

「……ふぅん? 好感度が足りないってことか。まぁ、意地悪したしなぁ。うーん」


 腕を組み、しばし考えるそぶりを見せた迅は、やがてこてりと首をかしげた。


「じゃあ、どうすれば梅雪お嬢さまに好いてもらえる? あんたの邪魔をするやつを、ひとり残らず殺せばいいのか?」

「貴様がいたずらに殺生をしたなら、貴様を殺して私も死ぬ」

「それは嫌だな。俺はあんたと幸せな未来を築きたいのに、死なれたら困る」


 早梅となら喜々として無理心中をしそうな過激な言動をしておいて、意外にも迅は、そういった嗜好はないらしい。


「教えてくれよ、どうしたらあんたは喜ぶ? あんたに好かれるために、俺は何をすればいい?」


 からかわれているのかと身構えた早梅だが、違った。

 早梅を見つめる迅のまなざしに、含みはなかった。

 素朴な疑問を投げかけているのだ。


(まさか……本当に、私に好かれたいと思っているのか?)


 じっと早梅の答えを待つ迅は、実際よりもどこか幼く見えた。

 まるで、恋をはじめて知った少年のように。


 ──狼族の雄はつがいを見つけると、夢中になって愛すんですよ。そりゃあもう、ゾッコンです。


 いつだったか、憂炎がそんなことを話していた気がする。

 だとするなら、早梅の意思を尊重するような迅の心境の変化は、狼族の本能による影響が大きいのかもしれない。

 思わぬ展開に困惑したものの、早梅は平静を装い、口をひらく。


「人の嫌がることをしないこと」

「えぇ、嫌がってる梅雪お嬢さま、可愛いのになぁ」

「まずその根本からして間違っている。誰かを不快にさせる行動を避けるのは、人として当然のことだ」

「そういうもんなのか。ふーん……じゃあ、俺と寝るのを梅雪お嬢さまは嫌がってたから、しちゃだめなのか?」

「だめだ」

「添い寝も?」

「だめだ! そもそも、恋仲でない異性にベタベタさわるのもいただけない、まったくもって紳士的じゃない!」

「ちょっとくらいはいいだろうに。ちぇ」


 隙あらば早梅に迫っていた迅だが、驚くべきことに、早梅の力説を受けて身を引く。


「そこまで言うなら、『紳士的に』できるよう、努力するかな。はい、こちらへどうぞ、梅雪お嬢さま」

「……なぜ私に椅子を勧める」

「俺と『話』をしに来たんだろ? 睦み合うのはまたのお楽しみにして、今日はおしゃべりだけ。立ち話もなんだしな」

「だからなぜ、私が貴様の座っていた椅子に」

「うん? なら俺のひざに座るか?」

「貴様はほんっとうに、嫌なやつだな!」


 まんまと丸め込まれたようで非常に癪だが、迅のおひざに着席するよりはましだ。

 早梅がヤケ気味に椅子に腰かけると、迅は「紳士的って難しいんだなぁ」などとぼやきながら、早梅の正面で床にあぐらをかいた。

 この期に及んで、紳士的に接すれば早梅に好かれると本気で思っているのか。ひとつ言わせてもらおう。好感度はマイナススタートだ。


 急にどっと疲れた早梅は、椅子にもたれて天井をあおぐ。

 先に口火を切ったのは、迅だった。

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