翌朝。
その室の奥では、寝台に横たわった
早梅を出迎えた小柄な姉妹は、うつむいていた。
「まだ、目が覚めないの……」
「ごめんなさい……」
離宮から脱出後、重傷を負っていた暗珠の治療が、すみやかに行われた。
だが、それから四日が経過する現在も、暗珠の意識が戻ることはない。
昏睡状態に陥っているのだ。
「傷口が深い上に、無茶した反動だな。内功で毒の巡りを止めてたのはたいしたもんだ。そうでもなきゃ、いまごろ余裕で死んでる」
もちろん
「わたしたちが、蠱毒なんか使ったから……」
「わたしたちの、せいだ……ごめんなさい……」
「できる限りの処置をしてくれたんだろう。謝らなくていいんだよ、
静かに返し、早梅はうなだれた姉妹の頭をなでる。
獣人奴隷とともに保護をした
どちらも十五で、人間の女子ならば前髪を上げている時期だ。しかし成人をしていないため、まだ精神年齢はいくらか幼い。
毒に精通する者は、医学の知識も豊富だ。
とくに自身が放った蠱毒ということもあり、碧葉と橙蘭は必死になって暗珠の治療を行い、そして打ちのめされていた。
聞けば暗珠との闘いで使用された蠱毒には、『
「狼族の持つ『灼毒』は、受傷者をじわじわと蝕み、常人であれば三日で死にいたらせます。いまだ殿下が急変しないことを考えますと、『灼毒』に抵抗しているのでしょう」
「ほかに、治療法はないのでしょうか?」
「こればっかりは、本人の気力に賭けるしかねぇな」
「殿下がお目覚めになるのを、私たちは待つしかない……ということですね」
いったいいつ目覚めるのか。
いや、永遠に目覚めない可能性だってある。
「……殿下」
早梅は寝台へ歩み寄ると、仰向けに横たわる暗珠の胸へ、そっと手を当てた。
顔は真っ白で、呼吸がか細い。心臓は、かろうじて動いている。
「君のお小言がないと、調子狂っちゃうなぁ」
不安で泣き出しそうになる気持ちを、薄い笑いと冗談をこぼして、堪える。
(クラマくん……君は、こんなところで死んでいい人じゃない)
かつて早梅が崖から突き落とした憂炎は、生き延びていた。
黒幕にさえ『生存補正』がはたらくならば、物語の主人公である暗珠も、驚異的な回復をみせる可能性はある。
だが、それは不確かなものだ。
曖昧な希望にすがるほど、早梅は利口ではない。
「
「そりゃあいいけどよ」
「どこへ行くんですか、
問い返した直後、愚問だった、と憂炎は眉間をおさえる。
朗らかな笑みを絶やさない早梅が、ぴんと背を張り、引き締めた表情をしている。その理由を考えれば、答えなど、おのずとわかるだろう。
「『彼』に会いに行きます」
言葉少なに告げた早梅は、淡色の衣の裾を、颯爽とひるがえした。
* * *
大海原とも見まごう大河のど真ん中を、早梅たちを乗せた船は航行している。
甲板から降り、薄暗い階段を進むと、やがて地下室が見える。
運行に必要な燃料などを備蓄している倉庫を訪れると、まず、背の高い青年ふたりの後ろ姿が目に入る。
「あーくそ、何なんだよあの野郎、腹立つ……!」
「落ち着かないか、
「そういうおまえだってピリピリしてんじゃねぇかよ、
「何かございましたか? 六夜さま、五音さま」
「って、梅雪ちゃん!?」
苛立たしげに黒髪を掻き回していた六夜だが、早梅を目にして態度を一変する。
五音も険しい表情をほころばせ、恭しく頭を垂れた。
「これは梅雪さま。お加減はよろしいのですか?」
「おかげさまで。今日は面会に来ました。『彼』の様子はどうですか?」
「どうも何も、変わらねぇな。せっかくこっちが友好的に話しかけてんのに、うんともすんとも言わねぇし」
「お恥ずかしい話ですが、何の成果もないということです」
「いえ、かまいません。紫月兄さまは中に?」
「えぇ。どうぞ」
この先に待ち受ける人物を考えると、ふだんの六夜や五音ならば、早梅を引き止めただろう。
だが早梅は、晴風、そして憂炎を連れている。ゆえに五音も無駄に引き止めることはせず、地下室の扉をひらいて早梅を招き入れた。
キィ……と木製の扉がきしむ音とともに、薄暗い地下室の中へ足を踏み入れる。
と、入り口のすぐそばに座り込んでいた青年が、弾かれたように平伏した。
「
艷やかな漆黒の髪を持つ青年。
早梅はひざを折ると、足もとにひざまずくその青年の背に手を添えた。
「顔をお上げください、
「いいえ、私はそのような身分の者ではございません」
「であれば、私も同じです。あなたに
「──!」
「顔をお上げくださいますね? 蒼雲さま」
「…………はい」
しばしの沈黙を挟み、蒼雲はゆっくりと上体を起こした。
皇室嫡流の血を引く証である漆黒の髪に、緋色の瞳。
やはり似ている、と早梅は思った。
時の皇帝とまったく同じ顔立ちであるものの、その表情には憂いがまとわりつき、活気に乏しい。
よくよく観察をして気づいたことだが、飛龍に比べ、蒼雲はからだつきが華奢だ。上背も低いだろう。何より、右足を引きずっている。
よく似たまったくの別人なのだと、あらためて実感させられる。
だが、飛龍を彷彿とさせる青年との対面に、思うところがない早梅でもなかった。
つとめて柔和に声かけをしようと心がけるけども、口から出た声音がどこか硬くなってしまう。
「単刀直入に申し上げます。蒼雲さま、ご同行ねがいます。風おじいさま、蒼雲さまをお連れしてください」
「お待ちください、ここを出ろというお話ですか? それは……!」
血相を変えた蒼雲が言い募ろうとするが、早梅は先手を打つ。
「あなたが術で『彼』の拘束にご協力くださっていることは存じ上げています。ですが、ここは罪人を勾留する場所です。あなたにはふさわしくありません」
「そもそも、わたしたちが手負いの犬一匹どうにもできないとでも? 見くびらないでほしいものですね」
「そういうこった。そら、わかったらさっさと行くぞ」
容赦ない憂炎の追い討ちを食らった蒼雲は、晴風に腕を引かれ、戸惑いながらも立ち上がるしかない。
「蒼雲さま、またのちほど、お話をしましょう」
だが早梅のひと言で、蒼雲の表情が凪ぐ。
「……わかりました。失礼いたします」
蒼雲も、これ以上言い募ることはしなかった。
早梅に言われるがまま、晴風の肩を借りて退室する。
静まり返った地下室で、早梅はひとつ呼吸をした。
正面へ向き直れば、紫月の後ろ姿が見える。
「おまえがこんなとこに来なくてもよかっただろ」
腕組みをしたまま、真正面から視線を外さない紫月が、そんな言葉を投げかけてくる。
「そうはいかないよ」
ゆっくりと歩み寄った早梅は、やがて紫月と肩を並べる。
そこで目にしたのは、後ろ手に拘束され、椅子にもたれた男の光景だ。
「こいつ、しぶといな。ごあいさつに目覚ましの平手をくれてやったが、うめき声のひとつも上げない。ていうか、俺の言葉もガン無視か。舐め腐ってやがる」
先ほど六夜も荒ぶっていたが、紫月が相手でも同様だった。
頑なに口を閉ざし、しゃべろうとしない。
そんな男が、ゆらりと頭を持ち上げた。
「待ちくたびれて、死ぬかと思ったぜ」
にぃ……と口の端を持ち上げ、男──
「会いたかった、梅雪……俺の可愛い梅雪」
そのさまは、獲物を前にして舌なめずりをする、獣のごとく。