目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第240話 甘い毒【前】

 翌朝。紫月ズーユェの看病の甲斐もあり、体調も万全に回復した早梅はやめは、とあるへやを訪れる。

 その室の奥では、寝台に横たわった暗珠アンジュの姿が。

 早梅を出迎えた小柄な姉妹は、うつむいていた。


「まだ、目が覚めないの……」

「ごめんなさい……」


 離宮から脱出後、重傷を負っていた暗珠の治療が、すみやかに行われた。

 だが、それから四日が経過する現在も、暗珠の意識が戻ることはない。

 昏睡状態に陥っているのだ。


「傷口が深い上に、無茶した反動だな。内功で毒の巡りを止めてたのはたいしたもんだ。そうでもなきゃ、いまごろ余裕で死んでる」


 もちろん晴風チンフォンにも診てもらったが、状況はかんばしくない。


「わたしたちが、蠱毒なんか使ったから……」

「わたしたちの、せいだ……ごめんなさい……」

「できる限りの処置をしてくれたんだろう。謝らなくていいんだよ、碧葉ビーイェ橙蘭チョンラン


 静かに返し、早梅はうなだれた姉妹の頭をなでる。

 獣人奴隷とともに保護をしたラン族の姉妹は双子で、姉の名を碧葉、妹の名を橙蘭という。

 どちらも十五で、人間の女子ならば前髪を上げている時期だ。しかし成人をしていないため、まだ精神年齢はいくらか幼い。


 毒に精通する者は、医学の知識も豊富だ。

 とくに自身が放った蠱毒ということもあり、碧葉と橙蘭は必死になって暗珠の治療を行い、そして打ちのめされていた。


 聞けば暗珠との闘いで使用された蠱毒には、『灼毒しゃくどく』が含まれていたらしい。


「狼族の持つ『灼毒』は、受傷者をじわじわと蝕み、常人であれば三日で死にいたらせます。いまだ殿下が急変しないことを考えますと、『灼毒』に抵抗しているのでしょう」


 憂炎ユーエンの見解を踏まえ、早梅は今一度、晴風を振り返った。


「ほかに、治療法はないのでしょうか?」

「こればっかりは、本人の気力に賭けるしかねぇな」

「殿下がお目覚めになるのを、私たちは待つしかない……ということですね」


 いったいいつ目覚めるのか。

 いや、永遠に目覚めない可能性だってある。


「……殿下」


 早梅は寝台へ歩み寄ると、仰向けに横たわる暗珠の胸へ、そっと手を当てた。

 顔は真っ白で、呼吸がか細い。心臓は、かろうじて動いている。


「君のお小言がないと、調子狂っちゃうなぁ」


 不安で泣き出しそうになる気持ちを、薄い笑いと冗談をこぼして、堪える。


(クラマくん……君は、こんなところで死んでいい人じゃない)


 かつて早梅が崖から突き落とした憂炎は、生き延びていた。

 黒幕にさえ『生存補正』がはたらくならば、物語の主人公である暗珠も、驚異的な回復をみせる可能性はある。


 だが、それは不確かなものだ。

 曖昧な希望にすがるほど、早梅は利口ではない。


フォンおじいさま、一緒に来ていただけませんか。憂炎も」

「そりゃあいいけどよ」

「どこへ行くんですか、梅雪メイシェ?」


 問い返した直後、愚問だった、と憂炎は眉間をおさえる。

 朗らかな笑みを絶やさない早梅が、ぴんと背を張り、引き締めた表情をしている。その理由を考えれば、答えなど、おのずとわかるだろう。


「『彼』に会いに行きます」


 言葉少なに告げた早梅は、淡色の衣の裾を、颯爽とひるがえした。



  *  *  *



 央原おうげん最大の運河、志河しが

 大海原とも見まごう大河のど真ん中を、早梅たちを乗せた船は航行している。


 甲板から降り、薄暗い階段を進むと、やがて地下室が見える。

 運行に必要な燃料などを備蓄している倉庫を訪れると、まず、背の高い青年ふたりの後ろ姿が目に入る。


「あーくそ、何なんだよあの野郎、腹立つ……!」

「落ち着かないか、六夜リゥイ

「そういうおまえだってピリピリしてんじゃねぇかよ、五音ウーオン!」

「何かございましたか? 六夜さま、五音さま」

「って、梅雪ちゃん!?」


 苛立たしげに黒髪を掻き回していた六夜だが、早梅を目にして態度を一変する。

 五音も険しい表情をほころばせ、恭しく頭を垂れた。


「これは梅雪さま。お加減はよろしいのですか?」

「おかげさまで。今日は面会に来ました。『彼』の様子はどうですか?」

「どうも何も、変わらねぇな。せっかくこっちが友好的に話しかけてんのに、うんともすんとも言わねぇし」

「お恥ずかしい話ですが、何の成果もないということです」

「いえ、かまいません。紫月兄さまは中に?」

「えぇ。どうぞ」


 この先に待ち受ける人物を考えると、ふだんの六夜や五音ならば、早梅を引き止めただろう。

 だが早梅は、晴風、そして憂炎を連れている。ゆえに五音も無駄に引き止めることはせず、地下室の扉をひらいて早梅を招き入れた。


 キィ……と木製の扉がきしむ音とともに、薄暗い地下室の中へ足を踏み入れる。

 と、入り口のすぐそばに座り込んでいた青年が、弾かれたように平伏した。


早梅雪ザオメイシェさま……」


 艷やかな漆黒の髪を持つ青年。

 早梅はひざを折ると、足もとにひざまずくその青年の背に手を添えた。


「顔をお上げください、ルオ蒼雲ツァンユン皇兄殿下」

「いいえ、私はそのような身分の者ではございません」

「であれば、私も同じです。あなたに叩頭こうとうされるような身分ではありません」

「──!」

「顔をお上げくださいますね? 蒼雲さま」

「…………はい」


 しばしの沈黙を挟み、蒼雲はゆっくりと上体を起こした。

 皇室嫡流の血を引く証である漆黒の髪に、緋色の瞳。

 やはり似ている、と早梅は思った。

 飛龍フェイロンの双子の兄、蒼雲。

 時の皇帝とまったく同じ顔立ちであるものの、その表情には憂いがまとわりつき、活気に乏しい。


 よくよく観察をして気づいたことだが、飛龍に比べ、蒼雲はからだつきが華奢だ。上背も低いだろう。何より、右足を引きずっている。

 よく似たまったくの別人なのだと、あらためて実感させられる。


 だが、飛龍を彷彿とさせる青年との対面に、思うところがない早梅でもなかった。

 つとめて柔和に声かけをしようと心がけるけども、口から出た声音がどこか硬くなってしまう。


「単刀直入に申し上げます。蒼雲さま、ご同行ねがいます。風おじいさま、蒼雲さまをお連れしてください」

「お待ちください、ここを出ろというお話ですか? それは……!」


 血相を変えた蒼雲が言い募ろうとするが、早梅は先手を打つ。


「あなたが術で『彼』の拘束にご協力くださっていることは存じ上げています。ですが、ここは罪人を勾留する場所です。あなたにはふさわしくありません」

「そもそも、わたしたちが手負いの犬一匹どうにもできないとでも? 見くびらないでほしいものですね」

「そういうこった。そら、わかったらさっさと行くぞ」


 容赦ない憂炎の追い討ちを食らった蒼雲は、晴風に腕を引かれ、戸惑いながらも立ち上がるしかない。


「蒼雲さま、またのちほど、お話をしましょう」


 だが早梅のひと言で、蒼雲の表情が凪ぐ。


「……わかりました。失礼いたします」


 蒼雲も、これ以上言い募ることはしなかった。

 早梅に言われるがまま、晴風の肩を借りて退室する。


 静まり返った地下室で、早梅はひとつ呼吸をした。

 正面へ向き直れば、紫月の後ろ姿が見える。


「おまえがこんなとこに来なくてもよかっただろ」


 腕組みをしたまま、真正面から視線を外さない紫月が、そんな言葉を投げかけてくる。


「そうはいかないよ」


 ゆっくりと歩み寄った早梅は、やがて紫月と肩を並べる。

 そこで目にしたのは、後ろ手に拘束され、椅子にもたれた男の光景だ。


「こいつ、しぶといな。ごあいさつに目覚ましの平手をくれてやったが、うめき声のひとつも上げない。ていうか、俺の言葉もガン無視か。舐め腐ってやがる」


 先ほど六夜も荒ぶっていたが、紫月が相手でも同様だった。

 頑なに口を閉ざし、しゃべろうとしない。

 そんな男が、ゆらりと頭を持ち上げた。


 空鼠そらねず色の髪からのぞいた翡翠と漆黒の瞳が、早梅を捉える。


「待ちくたびれて、死ぬかと思ったぜ」


 にぃ……と口の端を持ち上げ、男──シュンはわらった。


「会いたかった、梅雪……俺の可愛い梅雪」


 そのさまは、獲物を前にして舌なめずりをする、獣のごとく。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?