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第239話 朝の訪れ【後】

「えと、どうも。はじめまして。あれ、会ったことはあるから、はじめましてじゃあないのか……なんて言やいいんだ? あ、朝だから、おはようだな。おはようございます?」


 早梅はやめに向かってぺこりと頭を下げたのは、少年だ。栗色の髪で、痩せ型。

 美男美女が多いことで知られるマオ族に囲まれていると感覚が麻痺してくるのだが、超絶な美形というよりは、可愛らしい顔立ちの少年だった。


「おはようございます、メイおねえちゃん!」


 そうこうしていると、少年の後ろから顔を出した女児が、元気よくあいさつをする。

 そう年端もいかない女児といえば、早梅の知っている中に、ひとりしかいない。


萌萌モンモンかい?」

「そうだよ! おじいちゃんたちにいたいのなおしてもらって、リンねえにきれいにしてもらったの!」


 虱だらけでボサボサだった髪は、もとの栗色がわかるまで丹念に洗われ、切りそろえられている。

 襤褸ぼろ同然のきものも真新しいものになっており、清潔感のある、健康的なこどもそのものだ。


「萌萌と一緒にいる、ということは」

「はい、おれが萌萌の兄で、空羽コンユーっていいます。今年で十四です。気軽に空空コンコンって呼んでください」

「そうかい、よろしくね」


 萌萌の兄、空羽。トウ族は温厚な者が多いという話に違わず、はにかんだ顔が印象的な少年だ。


「そうだ空空、からだのほうは大丈夫なのかい?」

「そりゃあおかげさまで毒も抜けて、もうへっちゃら……って、田舎モンがぶしつけに、申し訳ないです」

「いや、楽にしてくれていいよ。私に敬語は使わなくてもいいからね。年も近いし、仲良くしてくれるとうれしいな」

「じゃ、お言葉に甘えて……今日会いにきたのは、お礼が言いたくて」


 空羽は早梅へ向かい、居住まいただした。


「うちは早くに両親が死んじまって、萌萌はろくに父ちゃんと母ちゃんの顔も覚えてない。その上、おれがあんなことになって……もし萌萌を独りぼっちにさせちまったらって思うと、いまでもゾッとする」


 震える声を吐き出す空羽。そんな兄に何を思ったか、萌萌は黒目がちの瞳で空羽を見上げ、ぎゅっと手をにぎる。

 はっとしたように萌萌を見た空羽は、くしゃりと笑みを浮かべると、ちいさな手をにぎり返した。


「でも、梅雪メイシェさんたちがきてくれた。見ず知らずのおれたちのこと、助けてくれて、こんなによくしてくれて……いくら感謝してもしきれない。ほんとに、ありがとうございます……」


 深々と腰を折る空羽にならい、萌萌も頭を下げる。


「私は、私のすべきことをしただけだよ」


 おもむろに手を伸ばした早梅は、空羽、ついで萌萌の頭をするりとなでる。

 そのあまりに優しい手つきに、思わず顔を上げた兄妹へ、早梅はふわりと笑みをほころばせた。


「いままで、がんばってきたね。つらいことにも負けずに、よく耐えた。空空も萌萌も、強い子だ。自信をもって生きてほしい。私がいるからには、君たちに理不尽な思いはさせないと約束する」


 そこまで言って、早梅ははたと気づいた。

 空羽が、呆けたようにこちらを見上げている。


「あれっ、何か変なこと言ったかな? えっと、私だけじゃ心もとないかもしれないけど、猫族のみなさんもいるよ。頼れる大人がいるから、困ったことがあったら遠慮せずに、頼ってね!」


 慌てて補足したものの、また見当違いなことを口走ったらしい。空羽の黒い瞳が、じわりとにじむ。

 まさかの反応に、早梅は焦った。


「えっ? なんで? 空空どうしたの~!?」

「この鈍感め……」

「ねぇそれどういうことなの、兄さま!」

紫月ズーユェお兄さまに同意します。本当に梅雪は、罪な言動をするんですから」

憂炎ユーエンまでなんなのさ~!」


 紫月や憂炎だけではない。晴風チンフォンも「梅梅メイメイらしいってことだよ」とにやついているし、凜花リンファまでくすくすと肩を震わせている始末。

 みなの微笑ましげな表情のわけを、当の早梅だけが理解できていなかった。


「ごめん! そういうふうに励ましてもらうの、はじめてで、うれしくて……すごい、心強い。おれにもねえちゃんがいたらなって、ちょっぴり思った」


 空羽は萌萌を、たったひとりの家族を守るために、相当な苦労をしてきたのだろう。幼い妹のために自身のことは後回しにして、たくさんのことを諦めたり、我慢してきたはずだ。

 それが容易に想像できてしまうからこそ、早梅にこんなことを言わせた。


「家族になってみる?」

「…………え?」

「血のつながりがなくても、お互いが想い合うこころさえあれば、家族のように強いつながりになると思うんだ。だからね、君さえよければ、私に君を甘やかさせてほしいな」


 頑張ってきたお兄ちゃんに、「えらいね」と言ってあげられる存在になりたい。それが早梅の心境だった。

 空羽はまんまるに見開いた黒い瞳で、ぱちぱちとまばたきをして、「それじゃあ……」と口をひらく。


「梅ねえちゃんって……呼んでもいい?」

「もちろん!」

「ふは、即答だぁ」


 これには空羽も吹き出した。緊張がほぐれたようだ。


「梅ねえちゃん……うん、こそばゆいけど、なんか、いいな。なぁ、梅ねえちゃん」

「うん? なにかな、なにかな?」


 気恥ずかしそうにはにかむ空羽につられ、早梅も微笑ましく返事をすると。


「……おや?」


 おもむろに近寄ってきた空羽に、ぎゅっと抱きつかれた。

 寝台に腰かけていた早梅は、空羽の胸に顔をうずめるかたちとなる。

 なんなら脳天に空羽のあごを乗せられ、すりすりされているような気もする。


「いいにおいがするし、あったかいや……えへへ」


 そういえば、あごをすりすりするのは兎の愛情表現のひとつだと、どこで聞いたか。


「にいちゃんずるい! 萌萌も!」


 ぴょんぴょん飛び跳ねながら、空羽の袖を引っ張っている萌萌も、早梅に『すりすり』したいらしい。


「おやおや、まぁまぁ。あはは」


 なんと可愛いことをするのだろうか。

 ひとしきり空羽と萌萌の好きにさせていた早梅は、最後の最後で腕いっぱいに抱きしめ返し、思う存分仕返しをしてやったのだった。

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