「もう、独りでがんばらなくていい……君は、独りぼっちじゃないんだから」
そっぽを向き、かたくなに視線を合わせようとしなかった暗珠が、魅入られたように、早梅へ釘付けになった。
「……独りぼっちじゃ、ない?」
「うん。目の前に、私がいるじゃない」
「俺は……あなたが憎んでるひとの、血を引いてるのに……」
「生まれなんか関係ない。皇子である以前に、君は、
「……こんな、かっこ悪い俺でも……あなたのそばにいて、いいのかなぁ……?」
「もちろん。君の迷いも全部受け止めるから、教えて。君の本当の気持ちを」
「──っ!」
早梅を映した薔薇輝石の瞳が、じわりと潤む。
「……ごめ、なさ……俺、父上のこと、なんにも、知ら、なくてっ……」
「それは、君のせいじゃない」
小刻みに震え出す暗珠の背へ、早梅はそっと腕を回す。
「それに、君は無力じゃない。私の大っ嫌いなやつを、ぶっ飛ばしてくれたじゃないか。私の代わりに、あんなに怒ってくれて……」
彼の存在は、屈辱を味わう早梅に射し込んだ、『光』に違いなかった。
「君は私の、正義の味方だよ。最高にかっこよかった。ありがとう……よく、がんばったね」
「……俺、おれ……いらない子じゃ、ない……?」
「うん、君のがんばりは、ちゃんと見てる。本当に、よくがんばった。君はえらい子だ」
「っ……うっ……くぅ……」
たまらず早梅の首にすがりついた暗珠の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「うぅ……うぁああ! うぁああっ!」
母もなく、尊敬する父に裏切られ、わけもわからないうちに、戦禍のど真ん中に放り込まれ。
寂しかったろう。怖くて、逃げ出してしまいたかったろう。
それでも、暗珠は逃げなかった。早梅を守るために。
「大丈夫……私が、そばにいるよ」
暗珠のために早梅がしてあげられることなんて、抱きしめることくらいだけれど。
「う、ん……そばに、いて……俺の前から、もう、いなくならないで……っ!」
きつくきつく抱きしめ返しながら、暗珠は声をあげて泣いた。
早梅もじんと目頭が熱くなるのを感じながら、幼子のように泣きじゃくる暗珠の背を、心音と同じ速度で、やさしく叩いていた。
「なーんか、皇子さまにいいとこ持ってかれちゃったよねぇ」
唇を尖らせながらも、やれやれ、と肩をすくめた一瞬後の
ひとりで強敵を倒した暗珠の実力を、九詩も認めていたのである。
つかの間おとずれた平穏に、さやさやと、岸辺の木々が木の葉をこすれ合わせる。
「うん……?」
なぜだろうか。九詩は妙に胸さわぎがした。
ひろい蓮池を、薄緑の瞳で注意深く見渡す。
やがて暗視に長けた視力と、敏感な聴覚をもって、不自然に波打つ水面を捉えた。
「っ!
血相を変えた九詩が、瞬時に身をひるがえす。
「
何が起こったのか、早梅が理解しないうちに……
ず、ぷり。
皮膚を深く深く刺し貫く、嫌な音が聞こえた。
ぴちゃり、と生温かいものが頭上に降り注ぎ、暗珠は、恐る恐る振り返る。
同様に頭上を見上げた早梅は、ひゅ、と息を飲んだ。
たがいに支え合う早梅と暗珠へ覆いかぶさるように、九詩が両腕をひろげていた。
その胸に、鈍く光る刃を生やして。
「なっ……」
鮮烈な光景に、暗珠は絶句する。
「チッ……餓鬼が邪魔しやがって」
止まった時が、忌々しげな男の舌打ちによって動き始める。
背後から九詩に刃を突き立てていたのは、
「とりあえず、命拾いしましたねぇ、殿下?」
ハッと鼻を鳴らした迅が、乱雑に剣を引き抜く。
どさりと崩れ落ちる九詩。その胸から、どくどくと鮮血があふれ出る。
「そんな、詩詩……返事をして、詩詩っ!」
いくら早梅が呼ぼうとも、九詩は答えない。
「どう見ても即死だろ。心臓をひと突きにしてやったからな」
九詩を抱き起こす早梅の頭上で、ため息まじりに迅が剣を振り、ピッと血を払う。
「貴様、よくも……!」
「あは、いいねその表情! やっぱそんくらいうろたえてくんないと、俺も割に合わないからさぁ」
愉悦に顔を歪めた迅は、驚くべきことに、無傷だった。
「なんでだよ……絶対に、当てたはずなのに……!」
「殿下の名誉のために言わせてもらうと、たしかに攻撃は当たってましたよ? 受けたのは、俺じゃないけどな」
「どういう、ことだ」
「あれをよく見てみな」
にやりと不敵な笑みを浮かべた迅が、蓮池を指し示す。
暗珠は今一度まばたきをし、そして驚愕した。
水面に浮かんでいたのは、たしかに黒ずくめの男であった。
ただし迅ではなく、
「仲間を身代わりにしたのか!? いつの間に……!」
「ざーんねんでした。もうわかっただろ? おまえらがいくらわめこうが、俺は倒せないんだよ。なぁ梅雪お嬢さま、そんな役立たずどもなんか捨てて、俺と行こうぜ? たっぷり、可愛がってやるから」
「梅雪さまに近づくな!」
すぐさまふところに踏み込んだ
「ハッ、ぬるいぬるい! そんなんじゃ俺は殺せないぞ!」
が、迅はひらりと後転し、難なくかわしてみせた。
「まだ手札を隠しているな。それを暴かねば、私たちに勝算はないということか」
「ん?
「黙れ。私の娘を散々辱め、人命を弄んだのだ。命乞いは通用しないものと思え」
「そうこなくっちゃな! 始めようぜ、ゾクゾクする殺し合いをさ!」
静かな怒気をまとった桃英が早梅たちの前に出れば、興奮した様子で迅が高笑いを響かせる。
「あいつ、俺を殺すつもりで……すみません、俺の、せいで」
か細い声を絞り出した暗珠が、うなだれる。
物言わぬ九詩の亡骸を膝に寝かせ、早梅はふるふるとかぶりを振った。淡色の袖が鮮血に染まりゆくことも気にとめず、九詩の胸に、そっと右の手のひらをふれあわせる。
「九詩……すべきことを、まっとうしたんだね」
「この子の命は、無駄にはなりません」
唇を噛みしめ、肩を震わせる早梅を抱き寄せた一心の紡ぐ言葉は、静かなものだ。静かすぎるほどに。
「──梅雪さまっ! 一心さまっ!」
そのときだ。押し黙る早梅たちのもとへ、駆けつける人影がある。
黒髪に薄緑の瞳を持つ青年。九詩の双子の兄、