「
多くを聞かずとも、
「一足遅かったか」
早梅たちへ真っ先に駆け寄ってきた八藍に続き、棍をかついだ
五音はまず、切れ長の瞳で、
「お久しぶりですね。あなたの弟、五音でございます、姉上」
「あなたの姉、二星よ。すっかり大人になったわね。他人行儀はやめてちょうだい、五音」
同じ紫の色彩を持つまなざしが、絡まりあう。
「たったひとりの弟を置いてどこかへ行ってしまった姉に、小言のひとつくらい言わせてほしいものだけれど、それはまた後で」
つと、五音は二星から視線を外す。それから鋭く細めた紫水晶の瞳で、蓮池を背に悠然とたたずむ
「私の息子を殺したのは、貴様か」
「息子? そこは兄弟じゃないのか。見たところ俺より若いってのに、そんなでかい息子持ちとはなぁ」
たしかに、五音も六夜も、早梅よりすこし
──はははっ、よく言われますよ。ぽくないって。
──まぁ見た目と実年齢が必ず一致するわけじゃないってことです。とくに、僕ら
以前、一心がそれとなく流した言葉がある。
だけれど、それがじつは深い意味を持つ言葉なのだと、今の早梅ならわかる。
「──貴様が殺したのか、と訊いている。答えは、はいか、いいえだ。訊かれたことのみに答えなさい」
そして、のらりくらりと発言する迅を一喝した五音が、激高していることもわかる。
「あのひと、おっかなくないですか?」
「そりゃあ五音は、『しつけ』に厳しいからな」
「ひぇ……関わりたくないなぁ」
合流したのは、五音ら猫族だけではなかった。
どこからともなくひょっこりと顔を見せた
「こんばんは、梅雪」
「……
「遅くなってごめんなさいね。わたしが来たからには、安心してください」
申し訳なさそうに眉を下げた憂炎は、ひざを折り、草むらに座り込む早梅のそばにかがみ込んだ。
「あぁ、わたしの梅雪から、また男のにおいが……あの心底性根の悪そうな顔をした男を、殺せばいいんですよね?」
憂炎はすん、と早梅の首すじを嗅ぐと、ほほ笑みを浮かべる。それはもう、とびきりに美しい笑顔だった。
「ふふっ……心臓を突いて、ぐりぐりと抉り出してごらんに入れましょうか。翡翠色の右目はきれいですから、取っておいて宝石箱の中にでも入れておきます?」
「いや、おっかないのはどっちだよ」
殺気を向けられた男、迅が思わず口を挟んだが、憂炎はにこにこと笑みを崩さない。完全に
一触即発の中、静かに声をあげたのは、一心だ。
「憂炎さま、これはわれわれ猫族の問題です。手出し無用に願います。
「一心殿、一族の者の命を奪われた貴殿らの心中は、察して余りある。だが、あの男を野放しにしておくわけにはいくまい」
「梅雪に手を出されたなら、わたしも黙ってはいられないのですが?」
「お控えください、と申し上げております」
ひかない桃英、憂炎へ、一心は毅然として、言葉を放った。
「星がまたひとつ、流れたわ」
ふいに月の隠れた夜空を見上げ、歌うように、二星がつぶやく。
「
「何もする必要はないの。ただ、見守っていて」
二星の言葉は核心にふれず、現実味をおびない。
それでも、桃英を引き止める不思議な響きがあった。
「何やってんだよ、ばか……」
九詩を見下ろした八藍が、こぶしを握りしめながら声を絞り出す。
「梅雪さまだって待ってるだろ。早くもどってこいよ、ばか……っ!」
息絶えた弟へ呼びかける兄。
それは健気で、無意味な光景だったろう。
『彼ら』のことを、よく知りもしない者が見れば。
「梅雪さん」
いまだ沈黙を貫く早梅へ、一心がそっと語りかける。
「呼んであげてください。この子を。君だけが呼べる、この子の名を」
ふたたび沈黙が流れ、やがて、早梅は顔を上げる。
悲しみではない強き意思を、瑠璃の瞳に宿して。
「
鈴のごとき声音が奏でられた刹那、淡い光が夜闇に灯る。
「なっ……なんだ!? 何が起きてる!?」
驚く
やがて、早梅が手のひらをふれあわせた九詩の胸もとめがけ、空高くからひとすじの光が落ちる。
流れ星が、落ちたかのようだった。
まばゆい光に満たされる視界。
真っ白な世界に飲み込まれ、ようやくまぶたをひらくことが叶ったとき、暗珠は信じられない光景を目の当たりにする。
「ん……んん~! ふわぁ、ちょっと寝ちゃってたぁ。梅雪さま、おはよぉ」
「はっ……?」
見間違いだろうか。いや、そんなはずはない。
息絶えたはずの九詩が起き上がり、のんきにのびをする光景など、そんなことがあり得るはずがない。
「寝てたんじゃない、死んでたんだよ、ばか」
「あれ、八藍来てたの? 言われてみれば、なんかちょっと、いやものすごく痛かったような気も……って、あーっ! 血!
「だからおまえの血だって、ばか」
「ばかばか言うやつがばかなんだよ、ばかぁっ!」
「なにおう! やるかぁ!?」
あっけに取られる暗珠などどこ吹く風で、九詩は八藍と取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。胸を突かれて絶命したことなど、幻だったかのように。
「いやいや……これは何の冗談だ? たしかに、そこの餓鬼の心臓を抉ってやったんだぞ?」
これにはさすがの迅も、混乱を隠せない。
「だから問うたはずだ。私の息子を殺したか、否か。その答えによって、対応が変わるのでね」
「はぁ? 意味がわからないんだが?」
「そう簡単にわかってたまるかよ。俺たち猫族のことが、おまえら人間なんかに。ひとつだけ言えることがあるとすりゃ、おまえより若くて男前な俺と五音だが、今年で三十だからな。年上は敬えよ、糞餓鬼」
五音と肩を並べた六夜が、迅を一蹴する。いまだ現状を理解できない迅に対する、さらなる追い討ちにほかならない。
「何が何やら、わたしもさっぱりなんですが、猫族のみなさんがいろいろとめちゃくちゃなのはわかりました」
怒涛の展開に、憂炎は考えることを放棄したらしい。
「猫族には、古くから言い伝えられている言葉があります。『猫に
桃英ですら絶句する状況下で、静かに口をひらいたのは、一心だ。
「その言葉どおり、猫には、九つの生があるという意味です」
一心がことさらゆっくりと発言しても、その言葉の意味を、混乱の真っ只中にいる暗珠たちはすぐには理解できない。
そうした中、ついに、決定的な言葉が紡がれる。
「生まれながらにして、九つの命を持っている。そして死ぬごとに、ひとつずつ、名前に刻まれた数が減っていく──それが僕たち、猫族なのです」
「ふふっ、そういうこと」
一心の言葉を受け、九詩がしなやかな身のこなしで早梅に抱きつく。そしていたずらっぽい笑みを浮かべ、早梅へ頬ずりをした。
「『九詩』はもう死んだ。今の僕の『
「……あ?」
早梅とのふれあいを見せつけるような九詩、いや八歌の言動に、迅が低くうなる。こめかみには、ピキピキと青筋が浮かび上がっていた。
「っとに、罪な女だよなぁ、梅雪お嬢さまは……こんなに一途な俺を袖にして、クソみたいな男どもを侍らせてるんだもんなぁ……」
ぶつぶつと独り言を口走る迅の二色の瞳孔はひらききっており、逆上していることは明白だった。
「あーあ、すこしは優しくしようと思ったのに……やめた。──壊れるくらいに、犯す」
「この状況で、俺たちから梅雪ちゃんをさらえると思ってんのか? めでたい頭だな」
「貴様のような下衆に、私の花妻は渡さない」
いまだかつてないほどの殺気を放つ迅の前に、すぐさま六夜、五音が立ちはだかる。
「梅雪さま、名前呼んでくれて、ありがとう。だいすき」
「詩詩……」
すり、と頬ずりをした八歌は、最後に早梅のほほへ口づけをひとつ落とすと、からだを離した。
「あなたの優詩が、不届き者をこらしめてみせましょう」
そして八歌は、八藍とともに、最大の敵である迅へ立ち向かうため、踏み出すのだ。
「若い子に、任せてばかりはいられませんね」
「一心さま……」
「梅雪さん、君はどうか、そのままで」
「……はい」
やわらかくほほ笑んだ一心は、慈愛に満ちた表情で早梅のほほをひとなですると、立ち上がる。
一瞬後には、琥珀色の瞳で、凛と前を見据えて。
六夜、五音、八藍、八歌、一心。
たいせつなものを守るため、立ち上がった彼らの背中に、早梅は時を忘れ、しばし魅入った。
「…………お待ち、ください」
長い長い沈黙をへて、くいと袖を引かれる感覚に、早梅は振り返る。
「どういうこと、ですか。お嬢さま……」
「猫族のみなさまが……一心さまのおっしゃっていたことが、本当なら……!」
「黒皇」
わかっていた。いずれ、こうなることは。
だから早梅は、混乱する黒皇の手を取り、ぎゅっと握り返す。
流れる雲間から、月が姿を見せる。
音もなく射し込んだ月明かりに、早梅の華奢な指を彩る梅花の指輪が、きらめいた。
そんなときだったか。にゃあんと、どこかで猫の鳴き声が響いて。
「──ねぇお兄さん、あんたは、地獄の存在を信じてる?」
硝子を鳴らしたような美しい女の声が、月夜に奏でられた。