ぱしり、と。
「こらこら。冷静になれよ。隙だらけだぞ?」
「このっ……離せっ!」
「んー、離せと言われると、離れたくなくなるなぁ?」
「
「あんたはそこでおとなしくしててくれよ、
「……最低な言葉しか吐かないそのお口で、どうやって乙女を口説くつもりなのかしら。甚だ疑問だわ」
「それは、やってみてのお楽しみってやつだ」
すぐさま
そして不敵な笑みを浮かべた迅は、羽交い締めにした早梅への首すじへ、顔をうずめた。
「心地いい香りがする。甘い香りだ。それに、やわいなぁ。想像以上に抱き心地がよくて、驚いてるよ」
「ふれるなと言ったはずだ、このイカレやろう。──ッ!」
早梅が辛辣な言葉を返したときだ。ぢゅうっと、首すじを吸われる感触。わずかな痛みの後に、遅れてじんわりと熱がひろがる。
「迅、だ。ほら、いいこだから、俺の名を呼んでみな?」
「誰が呼ぶものかっ! ……うっ!」
鈍い痛みと熱が、今度は先ほどと反対側の首すじに。
「ん……きれいな
「へん、たいっ……!」
「梅雪お嬢さまが俺の名を呼んでくれないから、俺もいたずらを仕返しているだけさ。それくらい許されるだろ?」
きょとんと首をかしげるあざとい仕草は、自身の顔のよさを充分に理解しているがゆえだ。
迅は流暢に返しながら、早梅の首すじを唇でくすぐる。
「にしても、なんだろな。この甘い香りは……やけに、そそられる」
「ッ……!」
淡色の衣の
ふいの刺激で、早梅はとっさに声を押し殺した。
わざと音を立てて早梅の喉笛を吸い上げた迅は、白い肌にひときわあざやかな朱色の華が咲いたのを目にし、愉悦で笑みを歪めた。
「花の香に包まれて、あんたのやわい肌を食んでると、花の蜜でも吸ってるような甘い気分になるんだよな。あぁ、頭がクラクラしてきた……あの陛下が虜になるのもわかる気がするよ。癖になる……そうか、内功の相性がいいのか。あんたとまぐわうのは、さぞかし快感なんだろうなぁ……」
はぁっ……と、熱い吐息が早梅の首すじにふれる。
否定するまでもなく、迅が欲情しているあかしだった。
「
「男女の睦みあいなら、いくら肌をかさねてもおつりが来るだろ? 気交なんておまけさ。自信を持てよ。あんたは、俺が生まれてはじめて優しく虐めて犯したいって思った女なんだから」
「最後のひと言がなければ、まばたきのあいだくらいはたわ言に付き合ってやったかもしれないのに」
ろくに女を愛したこともないだろう男が、よくも大口を叩いたものだ。
怒りも行くところまで行くと呆れに変わるもので、息をするように甘い言葉を吐き続ける迅にいっそ感心すら覚えた。
「それじゃあ、つれない梅雪お嬢さまの気を、頑張って引いてみるとするか」
ぐっと早梅の腰を引き寄せた迅が、からだを密着させ、早梅の耳もとでささやく。
「陳太守には娘がいてな。ちょうど梅雪お嬢さまと同じ年ごろの娘だ。それも、後宮で宮女としてはたらいていた」
「──!」
まるで内緒話でもするかのように、迅は早梅の耳朶に吐息をふれあわせる。
「ところが、急に娘からの便りが途絶えてしまい、家族想いの陳太守はたいそう嘆いたそうだ。半年ほど前のことだったか。そうだろう、陳太守?」
声をひそめていたかと思えば、突然
「……宮中の
うつむいた陳仙海の表情は、早梅からはうかがえない。
だが、絞り出すような声音が、すべてを物語っていた。
「しかしながら、後宮に身を置く以上、その身は皇帝陛下のためだけにあるもの。娘もそのことを重々承知しておりました。はたらき者で、芯の強いあの子が、情欲に負けて駆け落ちなど、するはずがない……!」
「陳太守……まさか」
「えぇ、そうです。娘は殺されたのです。誠心誠意お仕えした陛下に、無惨にも! なぜなのです……あの子に、何の罪があったというのですか……なぜ、なぜ……っ!」
押し殺していた感情が堰を切ったように、陳仙海は全身をふるわせて
とたん、いたるところに散り散りだった点と点が、つながる。
早梅はふつふつとたぎる怒りでもって、自身を抱く男を睨みつけた。
「迅、貴様……陳太守を脅したのか」
早梅の射抜くような視線を受けた迅は、怯まない。
それどころか、うっとりと蕩けた笑みを深めるほどだ。
「あぁ……その可愛い声で、やっと俺の名を呼んでくれたな」
抱擁を強める迅。早梅は唇を噛む。
たとえば、娘のお気に入りだった簪か何かを、陳仙海の前にちらつかせたのだろう。
そのために陳仙海も、娘がすでにこの世にないことを確信していたのだ。
そして陳仙海は、自身の管轄である
「どうだ、あんたにとって有益な情報だったろ? ご褒美をくれてもいいんだぜ、梅雪お嬢さま?」
「気安く私を呼ぶな、外道! 反吐が出る!」
「あははっ、元気のよろしいことで! まぁどんなに嫌がっても、都に連れて行くけどな。あ、でもそうしたら、陛下に囲われるな。ここで頑張ってるのは俺なのに、なんだかなぁ……」
ぶつぶつと独り言を口走りはじめた迅の腕から抜け出そうと、早梅が身をよじったときだ。
「やっぱり、今のうちに犯しとくか」
「やめっ…………んんっ!」
一瞬のことだった。後頭部を掴まれ、唇に噛みつかれる。
迅に、口づけをされている。恋人同士で愛情をたしかめ合うように、甘いものではない。
「んっ、ふぁっ……や、んん、んんぅっ……!」
ぬるりと口内へ侵入してきた熱い舌が、早梅のそれに絡みつき、呼吸を奪う。
「はっ……ん、瞳が潤んでる。可愛い……」
ようやく唇が離されると、たがいの舌先をつなぐ銀糸がのびる。それを赤い舌で舐め取った迅が、かぶりと、早梅の右の耳朶を甘噛む。
「……はっ、はぁ……うぁ、はッ……!」
早梅は急激な悪寒に見舞われた。
ごっそりと、体内の熱を奪われたような感覚。
手足に力が入らない。呼吸がととのわない。
「おっと。調子に乗りすぎたか? 悪いなぁ。梅雪お嬢さまの内功があまりに甘くて魅力的なもんで、つい味見しすぎてしまったよ」
ひざから崩れ落ちる早梅を、演技がかった仕草で迅が抱きとめる。
(何が、気交だ……私の内功を、一方的に絞り取っておきながら……!)
今に突き飛ばしてやりたかったが、強引に気を吸い取られた早梅は、腕を持ち上げることすら精一杯だった。
「寒いのか? 俺があたためてやろうな。よしよし……」
内功の枯渇により小刻みにふるえる早梅を抱きしめ、蒼白なそのほほに、迅は口づけを落とす。
「あんたと俺の内功は交わった。下ごしらえは完璧だな。この状態でまぐわったら……最高に、気持ちがいいだろうなぁ? 子だって孕みやすくなる。ははっ!」
「き、さま……っ!」
狂っている。それ以外に、目前の男を表現する言葉があるだろうか。
「あんたは俺に犯されて泣き叫んで、俺の子を孕めばいいんだよ」
そこに愛はない。これは愛などではない。
早梅を蹂躙し、屈服させたという『事実』を欲しているだけなのだ。この男は。