(見事なものだ……)
長弓を引き、残心に至るまで凛としたたたずまいの桃英を前に、
「……桃英さまを、怒らせてはいけませんねぇ」
手練の暗殺者たちを一瞬で地へ沈めた桃英に、さすがの
まぁ一心の気のせいなどではなく、
「俺のきょうだいが一瞬で瀕死とは。これは恐れ入った」
ぱちぱちぱち、とわざとらしい拍手が響く。
覆面で顔まではわからずとも、どこか挑発的な言動は、早梅をねらうあの男のものにほかならない。
「お父さまの攻撃を受けて、無傷だなんて……!」
男は、早梅たちと向かい合った場所から、ほとんど動いていない。黒装束のほかに防具などをつけた様子もなければ、腰に提げた剣以外、武器らしい武器も持っていない。
血まみれで倒れ伏す四人の男たちをちらと
「私の氷功を、内功で防いだか」
「そのようですね。相殺ではなく、矢の軌道をいなしたようです」
夜目がきく一心にも、男の一連の行動が見えていたようだった。
「矢を弾いた先にお仲間がいることも、お構いなしですか。……あなたは、人命をなんだと思っているのか」
厳しく追及する一心の言葉から察するに、男は仲間が巻き添えを食らうことを承知で、桃英の攻撃を弾いていた、ということになる。
「強い者が生き残り、弱い者は死ぬ。それが真理じゃないか?」
あっけらかんと、男は言ってのける。
単独行動が目立っていたことからもわかる。男は他人の命、それが仲間の命であっても、何とも思ってはいないのだ。
腹立たしいほど、『
「なぁ、
「断る! 変態やろうは都へお帰り!」
「フラれたか。まぁ簡単に手に入るのは、面白くないしな」
やれやれ、と肩をすくめてみせた男が、クッとのどの奥で笑う。
「威勢のいいその表情を恐怖に塗り替えるのは、楽しそうだなぁ……気が変わった。泣き叫ぶのを無理やり組み伏せて、夜どおし犯すのもいいかもしれない」
「……黙れ」
「あの皇帝陛下を虜にするくらいだ。相当具合がイイんだろ? そのからだは」
「──黙れ。その耳は飾りか。それともよく回るその舌を切り刻まれたいか」
「ははっ、いいねぇその眼! その殺気! ゾクゾクする! 来いよ、俺が可愛がってやる!」
「貴様っ……!」
これは挑発だ。早梅を逆上させ、正常な判断力を奪う、男の策略だ。そうとわかっていて、やすやすと乗るわけにはいかない。
けれど、だけれど。ここまで貶められて、黙っていられるか。
「どうした、何をためらうことがある? 犯されるのが怖いか? やはりおまえもか弱い女なのか? もう傷モノにされたんなら、何度だって同じことだろうに!」
「ちがうっ、違う違う違う! 私はっ──!」
たまらず声を上げようとした早梅は、ひろい手のひらにす……と視界を覆われ、思考停止する。
「傷モノなどではありません。穢れてなど、おりません。あなたさまは、身も心も、おきれいです」
ことさら穏やかな声が、すぐ耳もとでささやく。
視覚を遮断されているがために、陽の光のようにあたたかいその声音が、じかに早梅の鼓膜へしみ入った。
「……
かっと燃えあがるようだった心地が、波を引くように、凪いでゆく。
そっと手をはずされ、そのまま誘われるように見上げれば、やわらに細めた
「早梅さまは、早梅さまです」
強ばる早梅のほほをするりとなでた黒皇が、ふいにひたいへ口づけを落とす。
とたん、からだの芯からこみ上げてきた熱が、早梅にこびりつく嫌悪感を吹き飛ばした。
「お控えください」
早梅から黒装束の男へ向き直った黒皇は一変、そうとだけ言い放つ。
「俺と姫のやり取りに、ほかの男はお呼びじゃないんだが?」
「──黙れ、というのがおわかりにならないか」
なおも言い募る男を一蹴したのは、黒皇だったか。
「わが主のお心を弄び、尊厳を傷つける愚行、もはや見過ごしてはおけぬ」
その声音は、研ぎ澄まされた刃のごとく鋭利で。
早梅もいまだかつて目にしたことがないほど、黒皇は激高していた。
「兄上、ごめんなさい。暴力はいけないと兄上はおっしゃっておりましたが、俺、いまとてつもなく、あの男をぶっ飛ばしたい気分です」
ふつふつと怒りにこぶしを震わせながら、
「大丈夫だ、私もそうだから」
「兄上も同じだったら大丈夫ですね」
温厚で争いを好まない黒皇ら兄弟を激怒させたのだ、男に、弁明の余地はない。
「チッ……水を差すなよ。興ざめじゃないか」
「悠長にひとりごとをこぼしている場合ですか? 僕らを相手にして、あなたに勝ち目があるとは、万に一つも思えませんが」
一歩、一心が歩み出る。
いつも笑みをたたえている一心からは、一切の表情が剥がれ落ちている。
桃英は押し黙っているが、周辺の気温がさらに二、三度低下したような気がする。何ならその頭上で、局地的にぱらぱらと
「うん、ご愁傷さま!」
しまいには、満面の笑みをはじけさせた
(そうだ、私には黒皇や、お父さまや、みんながいる。こんなことで、負けていられない)
たった独りで飛龍と闘い、絶望に叩き落とされたあの夜の自分とは、違うのだ。
ひとつ呼吸をすれば、
深い霧が晴れたかのように、早梅は真っ直ぐに、男を見据えた。
「おっしゃるとおり、私は『強くていい女』だからね。陛下も好き好んで
それは、飛龍に愛されているという主張。
(ふ……あの男よりあなたのほうがマシだと思えるなんて、気の迷いだとしても、笑っちゃうな)
だがそれは虚勢などではなく、揺るぎない事実なのだ。
飛龍に愛されるほどの価値が、おのれにはあるのだという。
「私を欲するならば、それ相応の対価を差し出せ」
決して屈することはないと、気迫で、飲み込むのだ。
そして、緊迫の一瞬。
「……っくく、ははっ!」
心底可笑しげに、男が笑い出す。
「あぁ、本当に……最高の女だ、早梅雪……! その可愛い可愛い顔を、絶望で歪めてやりたい……ッ!」
「さては筋金入りの変態さんだな?」
男の中の、刺激してはいけない何かを刺激してしまったかもしれない。
「梅雪さま、俺にお任せを。一発で、仕留めます」
相当キているのだろう。殺気をふくれ上がらせた爽が名乗りを上げる。
となれば、もはや遠慮はいらないだろう。
「半殺しでたのむよ。──とどめは私がやる」
なぜなら、早梅も我慢の限界だったので。
構える早梅。不敵な態度でそれをながめる男。
痛いほどの沈黙の終わりは、予想外の展開だった。
「ねぇ、なにゴチャゴチャやってんの? わたしたちもいるんだけど?」