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第208話 嘆きの牢獄【後】

「突然驚かせてしまって申し訳ない。私たちは、あなたたちを助けにきたんだ」


 意を決して早梅はやめが歩み寄る。するとフー族の少女が、わずかに灰色の瞳を見ひらいた。


「あんた、人間にしちゃ、不思議なにおいさせてるね。花に似た、かぐわしくて……あんまり不快じゃないにおい」

「もうすこし、近くに行ってもいいかな?」

「わざわざお伺いを立てるなんて律儀だね。好きにすれば」


 どうやら、拒絶されているわけではないようだ。そう理解した早梅は、鉄格子のそばまでやってくると、虎族の少女と目線を合わせるように腰をかがめた。


「私は梅雪メイシェ。可能な範囲で、あなたたちのことを教えてほしい」

凜花リンファ。もうわかるだろうけど、虎族。虎族の売れ残り」

「売れ残り……?」

マオ族ほどじゃないけどね、わたしたち虎族も、そこそこ見目がいい種族なのよ。んで、そんな中、成人してもちびで、貧相で、そばかすだらけのブスなわたしは、見向きもされずにここに捨て置かれたってわけ。わたしの姉さんたちは、人間に連れて行かれて、慰みものになったわ。みんな……みんな」


 淡々と語る凜花の声には、感情がない。何もかもを諦めたまなざしをしていた。


「あっちの隅に鼠が二匹転がってるでしょ。あれはシュー族。夫婦だった。でも、奥さんのほうがもともとからだが強くなくてね。ここでの仕打ちに耐えきれずに、あっけなく死んじゃった。そしたら旦那さんも、後を追うように……三日前のことだよ」


 誰もが絶句する静寂の中で、凜花の無感情な声だけが響く。


「向こうでむしろにくるまってるのが、エン族のじっちゃん。一応生きてる。んー、寝てんのか気絶してんのか、わかんないや。でも大の人間嫌いだから、ほっといたほうがいいよ。長年連れ添った奥さんを、人間に殴り殺されたの」


 順繰りにあたりを指し示していた凜花の指先が、自身の目の前でうずくまる幼子のもとへ行き着く。


「それで、この子はトウ族。長い耳が見えるでしょ。薄汚いけど、女の子だよ。兄さんがいたの。ずいぶん前に、連れて行かれちゃったけど。朝から晩まで働かされて、どっかで野垂れ死んでるかもね」

「ちがうっ、にいちゃんは死んでない! 凜ねえのばかっ!」

「あーごめん、ごめんね。萌萌モンモン


 兄を呼びながらずっとすすり泣いていた幼子は、萌萌というらしい。

 萌萌がわっと声を上げて泣き出すと、凜花も困ったように眉を下げて、萌萌の背をさすっていた。


「ここは、『商品』にもならないガラクタ置き場よ。雨が降ったら、雨漏りの水を飲んで飢えをしのいでたけど、もう雨季も終わったでしょ。なんか最近、姉さんたちの幻覚を見るのよねぇ。わたしもそろそろか……アハハッ」

「凜花さん、僕は猫族長の一心と申します。先ほど梅雪さんが言っていたように、僕たち猫族は、あなたがたを助けにきました。ラン族も協力してくれています」

「猫族長がわざわざこんなとこに? それに、狼族だって? 人間と手を組むなんて、あんたたちも物好きというか。梅雪だっけ? あんたは悪いやつじゃなさそうだけど、まぁ、わたしには関係ないわ」


 凜花は、獣人でない早梅を嫌ってはいない。だが、友好的というわけでもない。


「どうでもいいの、何もかも」


 凜花自身が話すように、無関心なのだ。


「悪いことは言わないから、さっさと帰りなさい。ここの人間たちに見つかったら、タダじゃすまないよ。ほーら行った行った」


 同じ獣人である一心が話しかけても、凜花はヒラヒラと手を振るだけで、早梅たちの話をまともに聞こうとはしない。


(これは困ったな……助け出そうにも、獣人たちが心身ともに疲弊しすぎている。生きる意思が感じられない)


 死体の転がる陰鬱な場所で、とほうもない時間を閉じ込められていれば、凜花たちの反応も当然であった。


「一心さま」

「えぇ。彼女たちを連れてここを脱出するのは、はっきり言って無理です」


 早梅の言わんとすることを悟ったのだろう。一心が断言する。だがそれは、凜花たちを見放したわけではなく。


「ですので、方針を変えましょう。この場所にはびこる僕ら獣人にとっての脅威を、排除してみせます。そうすれば、僕たちのことを信じてついてきてくださいますよね?」

「は……なにそれ。お兄さんたちが、ここの人間を全滅させるってこと……? そんなの無理に決まってる!」

「無理かどうかは、ぜひあなたの目で見て判断してください」


 うろたえる凜花をよそに、一心は自信に満ちあふれた表情だった。

 かと思えば、不意にはにかむ。まだ幼かったころの八藍バーラン九詩ジゥシーを、見つめていたときのようなまなざしで。


「あぁそうだ。体調が悪いと悪いほうに考えてしまいがちなので、ここはすっきりさっぱり治してもらいましょう。そういうことなので。出番ですよー、お祖父さまー」


 にこやかな一心が、パンパンッと両手を打ち鳴らす。

 とたん、あたりを白い光が埋め尽くし──


「はいよー! とか俺が言うとでも思ったかぁ! にゃん小僧よぉ!」


 よく通る声が、地下室にわんわんと響き渡る。

 光とともにどこからともなく現れ、一瞬後には一心に詰め寄って胸ぐらを掴んでいたのは、晴風チンフォンだ。


「急に呼び出すんじゃねぇよ! なんかヒュンッてしたぞ! ヒュンッて!」

「うふふ、それが一心さまの能力だもの。あたしたちを呼び出すくらい、なんてことないわ〜」


 晴風についでひょっこり顔を見せた純白の髪の美女は、七鈴チーリンだ。「梅雪ちゃん、やっほ〜」とのんきに手を振っている。

 まさかの展開に、早梅も苦笑するしかない。


「一心さまが、フォンおじいさまたちを召喚した……」

「おふたりには治療班として待機してもらっていましたからね。ここぞとばかりにお呼びしました」

「これも『空間支配能力』ってやつかよ……何でもありだな」


 何でもないようにあり得ないことをやってのける一心に、ぼそりと暗珠アンジュがツッコむ。もちろん、一心本人は動じない。

 そうこうしているうちに、ぐるりとあたりを見回した晴風が、あごをさすりながら口をひらく。


「ははぁん、なんとなく状況はわかったぞ。つまり、ここで死にそうな顔してる嬢ちゃんたちを治せばいいってわけだな」

「さすがです、風おじいさま!」


 いろいろと掘り下げるのも面倒なので、早梅はひたすら晴風をヨイショすることにした。


「はっはっは! そうだろうそうだろう! 俺はすげぇんだ! 梅梅メイメイのおじいちゃんなんだからな!」


 思惑どおり、一心に噛みついていた晴風が、見違えて上機嫌になる。ちょろいとか言ってはいけない。


「よしきた! 嬢ちゃんたちは、俺がちょちょいのちょいっと治してやらぁ!」

「はぁい、あたしもお手伝いしまぁす。ここ狭っ苦しいから、牢の鍵は開けちゃおうね。手と足の枷も、ダサイから外しちゃいましょ〜」

「えっ……えっ」


 状況を飲み込めない凜花が混乱しているうちに、七鈴が髪を結い上げていた簪で、牢の出入り口と凜花の手足にはめられていた枷をさっさと解錠してしまった。

 間髪を容れずに晴風が牢の中へ踏み込んできたので、凜花がはっとしたように後ずさる。


「ちょっと、いきなり近寄らないでよ……!」

「おーおー嬢ちゃん、ひょっとして腹ぺこか? 腹が空いてっからイライラすんだぜ。とりあえず茘枝ライチでも食っときなァ!」

「むぐっ……」

「風おじいさまの茘枝砲が炸裂した」


 その威力たるや、凄まじいものだ。それは、悪阻つわりその他諸々で死にそうなところを、晴風の茘枝と黒皇ヘイファンの口移しで全快した早梅がよく知っている。


 はじめこそ抵抗していた凜花も、晴風の茘枝をぶっ込ま……食べさせられて、おとなしくなった。


青風真君せいふうしんくん……お手やわらかに」

「お祖父様らしいな」


 やりたい放題の晴風に、眉間を押さえる黒皇。だが桃英タオインの言うように、快活な晴風のおかげで、地下牢に漂っていた陰鬱な空気が一瞬で吹き飛ばされた。

 晴風にまかせていれば、獣人たちは大丈夫だろう。


「さて、当初の予定を変更しますが、よろしいですか? みなさん」

「もちろん!」


 みなまで言われずとも、おのれがすべきことを、早梅は心得ていた。


「獣人奴隷救出作戦あらため、離宮陥落作戦、ですね。コソコソする理由がないなら話は早いです。みんな、大暴れしてやりましょう!」

「意外と脳筋ですよね。ほめ言葉ですよ」

「全然ほめ言葉に聞こえないんだけども!?」


 早梅と暗珠のやりとりをしばしほほ笑ましく見守っていた一心は、おもむろに表情を引き締めると、九詩を振り返った。


「戦力は多いほうがいい。五音ウーオンたちとも合流しようか。あちらはどうなっているか、八藍と連絡は取れるかい?」

「一心さま、それが……」

「……九詩?」


 強ばった面持ちの九詩に、すぐさま一心は異変を悟る。


「さっきから、何度も呼んでるのに……っ、ねぇ八藍! 聞いてるの!? ……え? なに? 人間が、死んで……狼族長さまが……えっ?」


 狼族長。憂炎ユーエンのことだ。

 猫族とは共に行動をしないと宣言をしてから姿を見ていないが、いまは五音たちの近くにいるのだろうか。


「憂炎がどうしたの? 藍藍ランランはなんて言ってるの?」


 急激に青ざめていく九詩の顔色に、早梅は異常事態を確信する。


「ねぇ、詩詩シーシー……」


 だが、踏み出した早梅の手が、九詩の肩にふれることはなかった。


 ……ベン……ベン……


 かすかに、音が聞こえたのだ。

 弦を爪弾つまびく音。

 そう、それはまさに。


 琵琶の、音色。


 ──べベン。


 まるで耳もとで掻き鳴らされたかのように、異様な近さで琵琶の音色を耳にした刹那。


「いけないっ! お祖父さま!」


 はじかれたように身をひるがえした一心が、晴風たちに向かって両手をかざす。

 その光景を最後に、早梅の視界は、暗転した。

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