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第207話 嘆きの牢獄【前】

 獣人奴隷が売買される闇市。その舞台となる場所。

 疑惑の渦中にある北東の離れは、ひと言で表せば、立派な建物だった。

 皇族が居住する本殿ほどの規模はないにしろ、しっかりとした造りで、離宮の一角をになう建造物として違わぬ風格。

 にも関わらず、肝心の内部は閑散としており、まったくひとけを感じられない。


「さっきの警備兵が言っていたとおり、長らく使われていなかった……わけではなさそうだね」

「ですね。蓮池の周辺は草花でいっぱいだったのに、入り口にはまったく花がない。地面が踏み固められている。ひとが頻繁に出入りしていた証拠だ」

「となれば、誰かと鉢合わせしてもよさそうなのに、それもない。おかしいねぇ。入り口から堂々と入ったのに」

「不気味ったらないな」


 ひとしきりあたりを見回した早梅はやめの言葉に、肩を並べた暗珠アンジュが同意を示す。


 離宮潜入に際し、先導するのは一心イーシン桃英タオイン。その後に早梅と暗珠が続き、ふたりの後ろには黒皇ヘイファンが控える。そして最後尾をシアン九詩ジゥシーが守るという態勢だ。


 建物内にはいくつもへやがあったが、どこも同じような造りだった。

 どの室も卓と椅子、寝台が同じように配置されており、現代でいうビジネスホテルのようだと、早梅は結論づける。

 周囲を警戒し、あかりを灯さず月明かりだけをたよりに捜索を続ける。

 だが結局、誰ひとりとして遭遇することなく、離れ内のすべての室の確認を終えてしまった。


「ここまで何も発見がないと、妙、というお話どころでじゃないな」

「ですが、おかげでわかったことがありますよ、梅雪メイシェさん」

「そうなのですか? 一心さま」

「こちらの目をあざむくように、ということだ」


 一心の言葉を継ぎ、桃英が口をひらく。

 一心だけでなく、桃英も、なにかしら感じ取ることがあったようだ。

 ここで、思わぬところから声があがる。


「ひとつ、よろしいでしょうか。気になることがあります」

「爽? なにか見つけたのかい?」


 爽は早梅にうなずいてみせると、「こちらへ」といって、きびすを返した。

 爽に続いて早梅たちがやってきたのは、入り口の近く、最初に扉を開けた室だ。


「ひととおり見て回りましたが、ほかの室が密接していたのに対して、ここだけ離れた場所にあります」


 離れ内にもうけられた室は、全部で八部屋。

 そのうち六部屋は、対称的となるよう、真向かいにつくられていた。

 だが振り返ってみれば、西側に四部屋、東側に三部屋と、配置に不自然な偏りがある。


「付近に柱などの障害物はなく、やむなくここに室をつくらなければいけなかったといった理由も当てはまりません」

「なのに、本来東側にもうひとつつくられるべき室が、入り口の近く……この南側の場所にある、ということは」


 たしかに、不自然ではある。爽の指摘を受け、早梅も疑問を覚える。

 とはいえ、各部屋はみなで注意深く見て回ったはず。


「家具の配置も、一見してほかの室と同じです。だけれどひとつだけ違う箇所が、この室にはありました」


 爽はそこで言葉を切ると、ほかの室と同じように配置された卓や椅子、寝台には目もくれず、壁際へ向かった。

 その壁には、燭台を置くためのくぼみがある。


「この燭台は、埃をかぶっていない。まるで、最近誰かがさわったかのように」


 そういった爽が燭台にふれると、台座が反時計回りに回転する。


 ……カチリ。


 鍵穴がひらくような音。それから一瞬の静けさを挟んで、ずずず……と壁際の床から音があがる。


「なっ……これは!?」


 驚く早梅。そのうちに、人ひとりは通れるだろう出入り口が現れる。


「これはまぁ……だいじなものは一番奥にっていう概念を、根本からひっくり返してきたもんだね」


 早梅が苦笑しながらのぞき込んでみると、下へとおりる階段が、奥深くまで続いているようだった。


「なるほど、地下に隠し部屋、か」

「奴隷だった経験から、推測したんです。俺が閉じ込められていた牢も地下にありましたので、もしかしたらって」

「……黒俊ヘイジュン、大丈夫?」


 奴隷として受けた仕打ちは、耐えがたいものだったはず。思い出すこと自体、苦痛だろう。

 気遣う黒皇へ、爽は気丈に笑って返した。


「へいきです。俺には、梅雪さまや兄上がいらっしゃいますから」


 もう孤独ではない。それが決して折れることのない、爽の心の支えとなっていた。


「お手柄ですね。さて……もう何が起きても、おかしくはない状況なのですが」


 そうと話すかたわらで、一心の、物音に敏感な猫族の聴覚が、すでに異変を感じ取っていた。それは、九詩も同様に。


「下から、うめき声が聞こえる……すごく苦しそう」

「獣人たちか! 一心さま、お父さま!」

「えぇ、急ぎましょう」

「私たちが先にゆく」


 素早く目配せをした一心と桃英が、相次いで地下へと続く階段へ駆け出す。すぐさま早梅も父の背を追って、階段を駆け下りた。


(予想以上に深いな……二十尺……六メートルくらいは地面を掘っているか?)


 先ほどの隠し扉のからくりも含め、ずいぶんと手の込んでいることだ。間違いなく、この先に獣人たちが捕われている。


(絶対に、助けなければ……!)


 はやる気持ちをおさえ、早梅はおのれをふるい立たせる。

 やがて暗いばかりだった視界へ、光が飛び込む。

 不意のまばゆさに目がくらんだ早梅は、すこしして、そうっとまぶたを持ち上げた。


 階段を降り着いた先。点々と灯された蝋燭の火がたよりなく揺れるその場所では、ツンと鼻を刺すような刺激臭が漂う。

 次いで目前に広がったのは、天井高くまで張り巡らされた鉄の格子。檻とも呼べる巨大な牢からは、ひとの気配が。


「うぅ……にいちゃん……にいちゃあん……」


 牢の中では、襤褸ぼろをまとい、しらみだらけのボサボサの髪で男か女かもわからない幼子が、すすり泣いている。

 幼子だけでなく、ほかにも数名の影があったが、まったく身動きをしない者もいる。


「これは、酷いですね……」


 あまりの惨状に、一心から一切の笑みが消え失せる。

 桃英は眉をひそめ、深刻な面持ちで、目前の光景を見つめていた。


 幼子のそばには、ひとりの少女がいた。ひざを抱えていた少女は、気怠げに振り返り、鉄格子の向こうから一心へと問いかけてくる。


「あら……誰が来たかと思えば。もしかしてお兄さん、マオ族なんじゃない?」

「あなたは、フー族ですね」

「あたり。親戚みたいなもんだからね、わたしたち。まー、見ればわかるだろうけど」


 縞もようの丸い耳と、長い尾を生やした少女は、見たところ十七、八歳ほどだろうか。へらりと笑っているが、くすんだ灰色の瞳には、生気がない。


「これは……」

「僕ら獣人はじぶんの意思で姿を変えることができますが、本来の姿は獣です。弱れば弱るほど、人の姿を保てなくなります」


 つまり半獣の姿である虎族の少女は、すくなからず衰弱しているということだ。

 一心の言葉を受け、暗珠は息を飲む。

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