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第201話 闘いの角笛【後】

 反射的に、回廊の柱の影へ身を滑り込ませる早梅はやめ暗珠アンジュも同様にし、柱から周囲の様子をうかがえば、『その光景』が目に入った。


「おい、仕事中だろうが。呑みすぎだぞ」

「ケッ! 呑まずにやってられっか! 外門のほうに行きゃ、めかし込んだ女が掃いて捨てるほどいるだろうに、なにが悲しくてこっちの警備なんかしなくちゃならねぇんだよ!」


 どうやら、ふたり組で巡回していた警備兵のうち、ひとりが酒瓶を手にし、出来上がっているようだった。


黒皇ヘイファンに失礼なことを言ってきた男といい、ここの警備兵は、困ったひとしかいないのかい?」

「ですね。一応俺の部下みたいなもんですし、代わって謝罪します。ごめんなさい。さて……どう教育してやろうか、あの野郎」

「クラマくん!? ちょっとその殺気仕舞おうか!?」


 事あるごとに暗珠が犯行をほのめかすので、早梅もたまったものではない。あわてて暗珠の腕を引き、押しとどめる。


「ったく……あの男は、なんであんなに不機嫌なんですか」

「どうやら、お祭りを楽しめなくてご機嫌ナナメなようだけど……」


 夜闇に目をこらした早梅は、はたと呼吸を止める。


「……申し訳、ございません」


 ふたりの男たちの前に、みずぼらしい格好の人物が、ひれ伏していた。きものの裾はほつれ、あまりに粗末な身なりだ。白髪の後頭が見えたので、老人だろうか。


「あぁ? なんだ、聞こえねぇなぁ!?」

「おい、もうよせ」

「うるせぇな! こんな爺に生きてる価値なんてねぇだろが! 獣どもの餌にしたほうがよっぽど有意義だろうよ、なぁ!」

「おい!」

「ぐぅっ……」


 どっと鈍い音を立て、男が老人の横腹を蹴り上げる。


「喜べ爺、いいところに連れてってやる。まず下ごしらえをしてからな」


 ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべた男は、腰に提げた剣へ手を伸ばす。

 男がなにをするつもりか理解した早梅の反応は、素早いものだった。 


「黒皇」

「かしこまりまして」


 早梅に呼ばれ、濡れ羽の翼で風を巻き起こした黒皇が、瞬時に飛び立つ。

 そしてあっという間に距離を詰めると、頭上から男に攻撃をしかけた。


「んなっ、なんだこの烏は! くそっ、このっ、どけぇっ、糞烏がっ!」


 黒皇の翼に打ちひしがれ、三本足で足蹴にされた男が、がむしゃらにこぶしを振りまわす。

 が、ひらりとかわす黒皇に、男のこぶしが当たることはない。


「貴様ら、そこで一体なにをしている」

「なにをだって!? そりゃあ……」


 聞くに耐えない罵詈雑言を吐き散らしていた男が、悠然と歩み寄ってきた暗珠をふり返るなり、硬直する。

 それもそうだろう。この離宮にいて、暗珠が何者かを知らぬ者など、存在しないのだから。


「でっ、殿下……!」

「おい馬鹿野郎! なにぼさっとしてる! 殿下の御前だぞ!」


 血相を変えた同僚に引きずられるかたちで、男は地面に平伏する。


「まぁ……弱い者いじめだなんて、すてきなご趣味ですのね」

「まったくだ。綱紀をあらためねばならぬ」

「ぜひおねがいしたいものですわ。黒皇も、ありがとうございますね」


 右手を伸ばした早梅の前腕に、黒皇が降り立つ。

 そのまま肩のほうへ移動した黒皇の羽毛をひとなでした早梅は、ひざを折り、倒れ込む老人を抱き起こした。


「お、皇子殿下におかれましては、なにとぞご寛恕かんじょいただきたく……」

「黙れ。職務怠慢の上、かくも図々しいことをほざくとは」

「お許しを……っ!」

「追って沙汰をくだす。短い祭りの夜を、せいぜい楽しむがいい。──消えろ」

「殿下ぁっ!」

「やめんか! 行くぞ馬鹿っ! たいへん申し訳ございませんでした、皇子殿下!」


 みっともなく暗珠にすがりつく男は、同僚に襟首をつかまれ、暗い暗い闇夜の向こうへ引きずられていった。


「泣いて謝る相手は俺じゃないだろうが、阿呆が」


 こうも立て続けに不愉快な光景を見せつけられたのだ。暗珠が腹立たしげに吐き捨てるのも当然であった。


「お祭りが楽しめない腹いせに、やつあたりだなんて……酷いものですね。立てますか?」

「お助けいただき、ありがとうございます…………うっ」


 早梅に支えられ、立ち上がろうとする老人だが、大きくふらついてしまった。

 とっさに抱きとめた早梅は、素早く老人の容態を確認する。


(横腹の打撲が原因……というよりは、足だ。右足を引きずっている)


 一目でわかるほどに、老人の重心の取り方は、不自然だった。


「右足にお怪我をなさっているのですか?」

「なに、この歳ですから、足腰が多少弱くなっているだけのこと。取るに足りぬ下男のことなど、お気になさいますな」


 老人はそう言って、気丈に笑い返してくれた気がする。


(……あ、れ?)


 そのときだ。早梅が『違和感』をおぼえたのは。

 それがなんなのかはわからない。ただ、漠然とした『違和感』だけが、そこにある。


「心優しき姫君、そして、皇子殿下。お礼申し上げます。……では、仕事がございますので、これにて」


 最後に深々と頭を垂れた老人は、右足を引きずりながら、ゆっくりと、闇にすがたを消した。

 しばしのあいだ、沈黙が流れる。

 口火を切ったのは、暗珠だ。


「なんだったんですかね、あのご老人。もっとこう、助けを求めてくるかと思ったら……肩すかし食らったな」

「えぇ。不思議な雰囲気の方でしたが……早梅さま?」


 ここで、黒皇は異変に気づく。早梅が黙りこくったまま、微動だにしないのだ。


「早梅さま、いかがなされましたか?」

「ねぇ、ふたりとも。あのおじいさんのことなんだけど……、わかる?」

「どんな顔って、それは──」


 そこまで言って、はっと息を飲む暗珠。おなじく、黒皇も気づいたらしい。

 それこそが、早梅がおぼえた『違和感』の正体だ。


(最後に、笑いかけられた気がする)


 それなのに、そのときの老人の顔が、うまく思い出せないのだ。まるで、もやがかかったかのように。


「これは一体…………あっつ!」


 思案にふける最中、カッと燃え上がるような熱をふところに感じ、早梅は思わず声を上げる。

 とっさに探ると、ふところからあるものが出てきた。


 鏡だ。五色の宝玉の欠片が散りばめられた、満月型の手鏡が、熱をもっている。

 言うまでもなく、これはただの手鏡ではない。


 この鏡の送り主は。

 この状況が意味することは。


「あのおじいさんは、何者なの……? 私に、なにを教えてくれようとしてるの……黒慧ヘイフゥイ?」


 天を仰ぐも、その先は漆黒の空。

 早梅に応えるものは、ない。


 ──ブォオオオ!


 つかの間の静寂を引き裂くように、突如として爆音が響きわたった。


「これは……!」

「早梅さま、あちらを」


 黒皇にうながされるまま、首を巡らせる早梅。

 池を挟んだ向こう側で、目のくらむような橙の灯篭が一ヶ所に殺到する光景を目の当たりにする。


「警笛の角笛だ!」

「侵入者があらわれた! みな、急行せよ!」


 灯篭を手にした警備兵たちが、口々に叫びながら奔走している。


梅雪メイシェさま、ファン兄上!」

「お父さんが、やってくれました~!」

「あぁ!」


 すぐさま、早梅たちのもとへシアン、次いで九詩ジゥシーが駆けつける。

 多くを訊かずとも現状を把握した早梅は、淡色の衣の裾をはらい、颯爽と身をひるがえした。


「みんな行こう! 作戦開始だ!」


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