「……静かだな」
一番星のまたたく紺青色の空を見上げ、
ふいに庭を吹き抜けた夜風が、翡翠の髪を、ふわりと舞い上げた。
「おからだを冷やされます」
「ふふっ、
早梅は黒皇に抱きしめられるのが好きだが、抱きしめるのも好きだ。
「私に
大好きなぬくもりとおひさまの香りを胸に抱き、至福を感じる早梅は、ふと人の気配に気づく。
ふり返れば、早梅のほうへ右手を伸ばした
ぱちりと視線が合うやいなや、暗珠はむっと唇をとがらせ、大股で早梅へ詰め寄った。
「またですか。いい加減烏贔屓はやめてくれません? あなたは! 俺の! 恋人でしょう!?」
「おやおや、まぁまぁ」
これは困った。早梅がほかの男と接しているとすぐさま嫉妬してしまう、厄介な『発作』が起きてしまった。
「恋人なのは、そういう『設定』だから……」
「ならそれらしく振る舞ってくださいよ! 猫とか烏とか烏とか烏にばっか構って、俺のあつかいは雑じゃないですか!」
「ご、ごめんよぉ〜!」
ふだんは憎まれ口を叩いている暗珠だが、彼の本質はツンデレ。そう、本当は早梅に構ってほしくてたまらないのだ。
プライドが高いであろう彼が涙目で猛抗議してくるのは、『暗珠』というまだ十五の少年に憑依したがために、精神まで引っ張られているからなのか。
いずれにせよ、幽霊時代の『クラマ』からは想像もつかない言動で好意を示され、戸惑っているというのが、早梅の現状だ。
「雑にあつかってたわけじゃないの。機嫌直して? ねっ?」
早梅があたふたと背をなでてやると、暗珠がうつむく。
「……俺が信じられるのは、ハヤメさんだけなんです」
ぽつりとこぼされた独り言。
そのたったひと言で、暗珠がなにを言いたいか、早梅にはわかってしまった。
そして今回。
(陳太守は、もとより皇帝派のお役人。まさか、こんなひざもとでおこなわれていた闇市の件を知らないなんてことはないだろう)
母である皇妃は早くに他界しており、後宮での暮らしを嫌う暗珠は、ほかに後ろだてもない。
この状況下で、だれひとり、暗珠の味方はいないのだ。
(いまだに、陛下の犯した非道の数々が信じられないだろう。だれを信じていいかわからず……クラマくんが不安がるのも当然だ)
暗珠を不憫に思うと同時に、早梅の胸中で、怒りがこみ上げる。
(飛龍……『暗珠』は、あなたの血を分けた息子だろう。なにを思って、彼を独り、この燈角《とうかく》へ向かわせたのだ……?)
正義感の強い暗珠が、獣人奴隷の売買などという悲惨な光景を目の当たりすれば、傷つくことはわかりきっていただろうに。
(あなたは、『暗珠』を愛していないのか……?)
考えたところで、わからない。結局、飛龍本人へ問い詰める以外に、知るすべはないのだ。
「大丈夫だ。だれがなんと言おうと、私は君の味方だよ、クラマくん」
「ハヤメさん……」
とんとん、と背を叩けば、暗珠の肩のふるえが止まる。
「ほんっと……俺の気も知らないで、ずるいこと言いますよね」
「えっ、そうかな? 私だけじゃ頼りないかな? なんなら黒皇もいるよ?」
「だからっ、そういうとこが、鈍感だってのっ!」
「あたぁっ!」
ごちんっと景気のいい音を立てて、早梅の視界に星が散る。
どうやら、暗珠に頭突きを食らわされたらしかった。
「いったぁい! なになにっ、どうしたの? 殿下がご乱心〜っ!」
「やかましいわ! 黙っとれ!」
「ぐぇぇっ……なにこれ、どういう状況……?」
くわっと瞳をかっ開いた暗珠に叱責されたかと思えば、次の瞬間にはぎゅううっと抱きしめられていたので、早梅はぽかんと間抜けな顔をさらした。
「早梅さまらしいといいますか」
「え、黒皇なに? なんだって?」
「なんでもございません。お部屋に戻りましょうか。あまりお外に長居しますと、こんどは
うっかり本音が出かけた黒皇だったが、すまし顔でやり過ごす。
「そうだよね、
「ちょっ、ハヤメさんっ……そういうとこだぞ! そういうとこだぞ!」
パタパタとあわただしく駆け出す際に暗珠の手を取った早梅は、暗珠が暗闇でもわかるほど顔を真っ赤にして怒っている理由に気づかない。
さすがの黒皇も、暗珠に同情しつつ、後を追うように飛び立つ。
「──またてめぇか、薄汚い老いぼれが! 興ざめだ、失せろ!」
が、なんとも耳障りながなり声が響きわたり、早梅は足を止める。