目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第193話 まばゆい日々に【後】

「し、失礼しました! 柄にもないことを……その、距離感が、わからなくて……」


 平然とハグをしてきたかと思えば、手にキスで真っ赤になって。たしかに、異性に対するふれあいが、シアンは不慣れなようだ。

 褒めたのに、顔を茹でダコにさせて謝られる。現代風にいえば『テンパっている』だ。その初々しさったら。


「ははっ。こっちきて、爽。頭なでたいなぁ」

「え? あ、かしこまり……う、うぅん……」


 早梅はやめを拒否することがはばかられたのか、言われるがまま目の前ですこし腰を折る爽ではあるけども、いざなでられると、複雑そうな表情でうなりはじめた。


「うれしい……うれしいんですけど、ちょっと、不本意でもあるような……」

「あらら」


 どうやら予想以上に、爽は感性がするどいようだ。早梅がほほ笑ましく頭をなでる理由が明確にはわからずとも、直感的に理解したのだろう。

 馬鹿正直に、男女の情より母性が勝っているとは、白状しないでおく。この様子だと、拗ねられてしまいそうなので。

 なんて、脳天気な考えだった。

 早梅がごめんねの意味を込めてハグをしようとすれば、むっと唇を尖らせた爽の腕が伸びてきて、あっという間に胸の中。


「わっと! いじけたのかい? ごめんよ。ちょっとくるし……あっはは! くすぐったい!」


 なだめるように爽の背を軽くたたく早梅だけれども、ぎゅうう、と腕の力が強まり、息苦しさに顔をしかめるひまもなく、笑ってしまう。

 すりすりとほほをこすりつけられ、爽の濡れ羽色の髪が、首すじをくすぐってたまらないのだ。

 一連の抗議を無言でしかけてくるあたり、さすが黒皇ヘイファンとよく似ているなぁと、早梅はまた笑ってしまった。


「……マオ族の方々みたいに、がまんをやめていっそ手篭めにしたら、俺も男として見てもらえるのかな……」

「うん? ……えっ、ちょっ」


 ぼそりともらされた独り言。

 遅れてその意味を理解した早梅が、今度はかぁあっと顔を発火させる番だった。


一心イーシンさまたちが梅雪メイシェさまとつがえるなら、俺だって……」

「ちょっと、まってまってまって! え、爽、なんで知って……」

「俺は、梅雪さまが思うより純情じゃないです。『そういうこと』をしたいって願望くらいあります。男なんですから……!」

「うわぁあああ!」


 最後の最後で爆弾を投下された気分だ。

 爽は純情じゃないと否定するが、真っ赤になりながらそれは説得力がない。

 驚きやら羞恥やらで訳がわからなくなるが、男女のアレソレを自慢げに言いふらしたであろう一心たちには、あとで一発入れよう。そうしよう。


「ね、ねやの経験はないですけど、知識くらいならあります。俺だって、梅雪さまのためにがんばれます……!」

「間違ってる! がんばる方向が間違ってるよ!」

「あ……でも、ただでさえあれだけ濃厚な気交きこうをおこなって、もう俺と梅雪さまの内功ないこうが交わってる状態なのに、男女のま、まぐわいまでしたら……こどもが、こどもができてしまう……一夜でこどもができたら、ごめんなさい、兄上……」

「間違ってる! 心配する方向も間違ってるよ、爽!」


 兄に抜け駆けを詫びる爽には、こちらの言葉が届かない。

 抱くことは決定なのだろうか。この純情青年、何気にグイグイくる。


「……ギュウ」

「ギュッ!」


 救世主ともいえる鳴き声がきこえてきたのは、早梅がとほうに暮れていた、まさにそのときである。


「うん? この鳴き声は……わわっ!」


 何事か思い当たるころ、思わぬ場所からあらわれた『彼ら』に、早梅はまんまと驚かされる。

 兄に似て生真面目な爽が、いつもより緩めな装いだなと思ってはいたが。くつろげた襟もとから、もぞもぞと黒い物体がふたつ、顔を出したのだ。

 烏のこどもだ。きょろきょろとあたりを見まわして首をかしげたり、濡れ羽の翼をひろげたりと、各々のやりたいようにやっている。


シャオチェン!」

「おや、その子たちは昨日の」

「えぇ……おとなしいほうが兄の暁、元気なほうが弟の茜です。ごはんを食べさせてひとしきり遊んだら、眠いのか愚図ってたんですけど、なぜか俺のふところに入りたがって」

「すっかりなつかれてるね。やぁ、私は梅雪だよ。怪我はよくなったかい? 暁、茜」

「ギュー」

「ギュ!」

「あ、こら、おまえたち!」


 にこやかにのぞき込むと、爽のきものからのそのそ抜け出してきた二羽の子烏たちが、ばさりと羽ばたいて、早梅の胸へ飛び込んできた。


「おやおや。甘えたさんかい」

「申し訳ありません、梅雪さま……」

「かまわないさ。こういうのはこどもの特権だよ。ふふっ、かわいいねぇ。よしよし」

「キュウ……」

「クゥ……」


 袖でつつみ込み、ちいさな頭を指の腹でなでてやると、暁も茜も目を細め、胸へすり寄ってくる。

 あれだけ警戒心の強かった子烏たちがこうも甘えるのは、じぶんたちを助けてくれたのが早梅だと、理解しているからなのだろう。おさないながらに賢い子たちだ、と爽は思う。


「あなたは、人のみならず、動物までもことごとく魅了してしまうのだな」


 ほほ笑ましい日常のひとときに、子烏とたわむれていた早梅は、はたと顔を上げる。

 ゆったりとした足取りで歩み寄る少年のすがたを、向かい合った爽の肩越しに認めた。


「殿下……!」


 鈴の声音に呼ばれた暗珠アンジュは、薔薇輝石の双眸を細め、くしゃりと笑んだ。

 長らく離別していた想いびとを前にしたように。ともすれば、泣き出してしまいそうに。


「私の姫……梅雪。あなたはどうして、そんなにもまぶしいのか」


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?