こんなつもりじゃなかった、とは、得てして手遅れのときにこぼす言葉である。
「あぁ、もうこんな時間です。お部屋までお送りしましょうか。それとも……私の寝室へいらっしゃいますか?」
「あああ帰りたいです、ひとりで帰れますからぁ!」
「さようでございますか。
「ひぇぇ近い近い近い……!」
どうしよう、
『
ごく自然に肩を抱かれる。夜風も受けつけない密着度は、「私たち夫婦ですから」という五音による言外の主張にほかならなかった。
「あれ、五音じゃない。梅雪さんもいっしょでしたか。見せつけてくれますねぇ。妬けちゃうなぁ」
「はうっ!?」
そんなとき、ほわほわとお花を飛ばしながらのんびり声をかけてきた、通りすがりの三毛の青年は、もしかしなくとも
なぜだ、なぜこのタイミングなんだ。待ってくれ。
しかし悲しいかな、早梅の懇願に、神はそっぽを向いた。
「女性をあまり引きとめてもいけませんから、お先に失礼しますね、一心さま」
「そうだよね。今夜のところは五音に譲って──おや? なにか落としましたよ、梅雪さん」
「へっ? なにかってなに……いやーっ!」
見てはいけないものを見てしまった。
いつの間にか懐からこぼれていた黒染めの包みを、ご親切にも一心が拾い上げてくれる光景だ。
発狂する早梅をよそに、「これはこれは」と笑みを浮かべる五音は、どこか楽しそうだ。
「一心さま! まだ間に合います、それを私に……ってもう手遅れでしたね!」
とっさに弁明を試みた早梅だが、包みを拾い上げた中腰の姿勢で固まる一心を目にし、悪あがきだったことを悟る。
包みの中身は栗毛に白と黒まじりの毛筆。残る『名筆』のもち主こそ、一心なのである。
(終わったな……いろんな意味で)
ちょっとした呼吸困難くらいで済むだろうか。
襲い来るであろう襲撃にそなえ、身構える早梅ではあったが、その予想は思わぬかたちで裏切られる。
「あぁ、梅雪さん……」
黒染めの包みごと筆を抱きしめた一心が、小刻みに肩をふるわせる。
その琥珀の双眸からは、ぽろぽろと、大粒の雫がとめどなくこぼれていた。
「えっ、一心さま泣いて……うそでしょ!? 一心さまっ!?」
「これで泣くなだなんて、無理です……僕、君だけを想って、これまでだれとも結婚しなかったんですから……」
「それはたいへん恐縮なお話なのですが、えっと」
「やっと……やっとこの想いがむくわれる」
「あのう、お話をきいて……」
「あぁ、この生涯で、いまこのときが最高にしあわせです、愛しています、僕の花嫁さん……っ!」
「ぐぇぇっ」
かくして感極まった一心による圧迫攻撃が、時間差で襲いかかる。
「こどもの名前はなんにしますか? 結婚式はいつにしましょう?」
「順序! 順序がおかしくないですか!」
「おかしくはないですね。
「ご丁寧にありがとうございます五音さま!」
できればききたくなかった解説である。
詩でも詠むような知的な声音で、赤裸々なことを暴露しないでほしい。
「ご安心を。すでに房中術は叩き込んでありますから、
「えっ、これからする? みんな呼んでこようか?」
「しませんっ! 呼ばなくていいですっ!」
もはや情緒もへったくれもない。
ここははっきり「否」と断言しなければ、あれよあれよと流され、猫族の男衆総出で『あんなことやこんなこと』をされてしまいかねない。
「それじゃあ明日ですか? 明後日?」
「しませんからっ!」
「そんなぁ……あんまりお預けをされると、さびしいです……添い寝、させてください……」
「ぐっ……いやいやいや! 流されませんから!」
「すこしはがまんできますが、その分激しくなります……」
「さらっとえげつないこと言いますね!?」
まだ涙の残る琥珀の瞳でうるうると『おねがい』されるが、すんでのところで踏んばった。
一心のそれは無自覚なのかそうでないのか。どちらにせよ。
──猫族の貞操観念、こっわ……
添い