「……
「うん?」
「しまりのないお顔をした
「あぁ、私が呼んだ。ちょっとおねがいしたいことがあって」
「
「枕まで持参する必要があるのか、甚だ疑問なのですが」
「あはは〜」
なにも知らない過保護な愛烏に、早梅は笑ってごまかす。
髪に櫛は通したし、あとは寝支度をして、床につくだけだ。
「ん? ……あっ、やば!」
ところが、髪飾りを仕舞おうとしたところで、気づくことがある。
化粧台には、牡丹に黄梅、菫、鈴蘭、花翡翠と、色とりどりの花簪をおさめた花梨と紫檀の小物入れがある。そのとなりには、一輪挿しを模した梅の花簪。
そして──装飾品のなかで異彩をはなつ、黒染めの布を紐でたばねた包みが。
深く考えるまでもなく、布製の包みを引っつかんだ早梅は、
「よっ梅梅! ご所望どおり添い寝に来たぞ──」
「ちょっと用事を思い出しました! さきにお休みになっていてください、
「って、んえぇっ!?」
「黒皇も、あとよろしくねっ! じゃっ!」
「お嬢さま、どちらへ」
べつにやましいことをするわけでもないので、早梅は溌溂と声をあげる。
「預かってたものを返しに!」
* * *
事の発端は、皇子殿下こと
「
「は、はぁ……?」
世間話でも振るような感覚で、
おどろくべきことに、それを皮切りにして、似たような出来事が立て続けに起こる。
「五音のやつに抜け駆けはさせねぇよ」
「お父さんだけずるい! 僕も!」
「俺だって負けてないしー!」
「おっと。出遅れてしまったかなぁ」
五音に対抗したのか、
「あら〜! うふふ、『それ』はね、
いったい何事かとしばらく頭を悩ませていた早梅ではあったが、
それから数日のあいだ、怒涛の出来事ですっかりさっぱり機会を見失っていた。
それを、ついさっき思い出した。いまここ。
「そういえば、猫って夜行性だったっけ……」
意気揚々とくり出した早梅は、早々に気力をうばわれ、燭台の灯る回廊をぐったりと歩いていた。
理由は単純。双子をたずねたところ、ふだんとは桁ちがいのハイテンションで『すりすり』されてしまったためだ。
ちなみに成人した八藍、九詩は父親によく似た長身の美男子であるため、引き剥がすのに相当な労力を要した。
それに次ぐ六夜からは真顔で「抱くぞ?」といわゆる壁ドンなるものを頂戴したが、「六夜さまのばか!」と鳩尾に一発かまさせていただいた。
ダブルコンボでクリティカルがキマッたことを、当の早梅が知らない。
そして現在。
「あとは一心さまと……」
「おや? こんばんは、梅雪さま。すてきな月夜ですね」
「……五音さま!」
ちょうど庭に出たところで、キジトラを思わせる茶黒の髪に、にこやかな糸目の青年を発見した。
今宵は雲がない。澄んだ夜空に、無数の星と望月がかがやいている。
庭へおりる石段に腰かけた五音の右手には筆。ひざの上には短冊。
どうやら月見をしながら、一句したためているようだ。風流を重んじる五音らしい。
「こんばんは。五音さまにお会いしたいと思っていたところだったんです」
「うれしいお言葉ですね。こちらへいらっしゃいませんか?
「それじゃあ、失礼して……」
となりへ腰をおろすと、五音が羽織を脱ぎ、そっと肩へかけてくれる。
香でも焚きつけていたのだろうか。ふわりと鼻腔をくすぐられる感覚が、なんとも心地よい。
ついうとうとしそうになる早梅だが、はっと踏みとどまる。いけない、本来の目的を忘れては。
「夜分にごめんなさい。五音さまにおわたししたいものがあって」
「私に?」
「はい。明日はそれどころじゃないと思ったので、お預かりしていたものを、お返ししますね」
懐から取り出した黒染めの布を紐解くと、中には筆が二本。そのうちの一本を差し出す。五音を思わせる、茶と黒の毛筆だ。
とたん、五音が笑みをひそめる。筆を目にして表情を一変させるのは、八藍も九詩も六夜もおなじだった。
右手を伸ばした五音が、筆の柄をするりとなで、ひと言。
「梅雪さま、この筆を、お使いになりましたね?」
「……使ってないです」
「うそはいけませんね」
早梅の照れ隠しが一瞬にして看破されるのも、毎度のこと。
「あなたがこの筆でなんと書いたか、当ててみせましょうか」
ゆるりと、五音の口もとが三日月を描く。
そして筆を取り、さらさらと宙へ走らせた。
「──『
言霊が発された刹那、筆先がまばゆい光をはなつ。
宙に浮かび上がった白い光のふた文字。五音がおもむろに指先でふれると、ぱっとはじけた光の粒が、彼の胸もとへ溶けていった。