「
あのとき、なにが起きたのか。
そのすべてを、
「そう……だったのですね」
安堵したようで、いまにも泣きそうで。
「………なにがあったのか、俺も、お話しします」
長い長い沈黙をへて、息を吐出すように爽は告げる。
黒皇はうなずき、
「翼を貫かれたあと、俺は地上に墜ちました。記憶を失くし、じぶんがだれなのかもわからないまま、ひたすらに永い時を、無為にすごしてきました。ですが、いつしか奴隷となり、捕らえられていたところを、教主さま──
淡々と話す爽の言葉に、黒皇も晴風も、しばし絶句する。爽が送ってきた人生は、壮絶、そのひと言に尽きるだろう。
「記憶を取り戻したのは、街での騒動があった、つい先ほどのことなんです。……俺は
「……
「賭博奴隷、でした。賭け事のために、奴隷同士を殺し合わせる。……じぶんが生きるために、罪のない獣人を、何人も何人も、殺しました……この手は、血に濡れています。ですから、あなたの弟を名乗る資格など、もう……」
「もういい、黒俊」
うつむく爽の語尾を、黒皇がさえぎる。
清浄な神気に満たされる天界に生まれた神仙らは、血などの穢れに敏感だ。
神と仙女の血を引く黒皇らも例外ではなく、殺生をおこなうと、穢れから病んでしまうことがある。
記憶を失っていたとはいえ、幾度となく血を浴びたとなれば、そのたびに想像を絶する苦痛をともなったはずだ。
そしてそれは、これからもおなじ。
「もうがんばらなくていい。辛いときは泣いていい。逃げてもいいんだ。私が、だれにも文句は言わせないから」
『皇族殺し』を掲げる魔教に身を置いている以上、さらに熾烈な運命が待ち受けているだろう。
そんなものに翻弄されず、心おだやかに暮らしてほしい。
弟を、もう喪いたくない。
黒皇の胸中は、ただそれだけだった。
たまらず、腕を伸ばし、爽を抱きしめる。
待ってましたとばかりに便乗したのは、晴風だ。
「なぁ
「なっ……」
「見てるこっちがこそばゆいくらいに、バレバレなんだよ。焦れってぇったらありゃしねぇ」
「私たちといっしょにおいで。
「……そう、ですね……あの方はきっと、俺みたいな者でも、えがおで受け入れてくださる……でも、それはいけないと、思います……」
「黒俊、どうして」
「俺はここへやってくるまでに……梅雪さまを、さらおうとしたんですよ」
「……!」
「教主さまに止められて、我に返りました……彼女を想うと、歯止めがきかなくなるんです……こんな俺が、おそばにいてよいものでしょうか。いつ暴走して、浅ましい欲望をぶつけてしまうともしれない、俺のような男が……恋をして、いいのでしょうか……兄上っ……」
のどの奥から絞り出すような悲痛な訴えが、黒皇の胸をも引き裂くほどの痛みをあたえる。
唇を噛みしめた黒皇は、嗚咽をもらす爽を、いまいちどきつく抱きしめた。
「私も……いっしょだったよ。はじめての感情に戸惑って、一歩を踏みだせずにいた」
まぶたを閉じ、思い出されるは、かつて身が焼き切れるほどに絶望した記憶。
「でも、臆病風に吹かれていても、答えなんかわからない。『あのとき想いをつたえていれば』『なにもしてあげられなかったじぶんが許せない』……手遅れになってやっと、後悔するんだ。私は、おなじ思いを、おまえにしてほしくない」
二度と悲劇がくり返されぬよう、黒皇は言葉をつむぐのだ。
「黒俊きいて。梅雪お嬢さまは、黒俊が思うほど弱くはないよ。千年ごしの私の想いだって、ちっぽけなわがままだって、『もう仕方ないな』っておどけながら、ぜんぶ受け止めてくださるんだ」
「兄、上……」
「だれかをたいせつに想い、恋い焦がれる気持ちは、決して罪なんかじゃない。つたえて、ぶつけて。黒俊がかかえているものを、ぜんぶ。そうしたら、黒俊の迷いもきっと晴れるはずだ」
「っ……あにう、ぅあ、うああっ……!」
わっと声をあげ、幼子のように泣きじゃくる爽の背をなで、頭をなでながら、黒皇もじんと目頭が熱くなる感覚をおぼえる。
「私もすこし、気が急いてしまったかもしれないね……だれといたいか、どうしたいか。黒俊のやりたいようにやっていい。ただひとつ、後悔がないようにすること。いいね?」
「は、い……っ!」
たとえ時に引き裂かれようと、兄弟の絆が絶たれることはない。
兄の腕の中で、爽は何度も何度も、うなずき返したのだった。