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第172話 恋は罪か【前】

「いいか、そのままじっとしてろよ──」

「ギュッ! ギュウウッ!」

「だと思ったー! いててててっ!」


 屋敷の西側に位置する、とある一室にて。

 卓にのせた子烏へ右手を伸ばそうとした晴風チンフォンだったが、すかさずくちばしで甲をつつかれ、悶絶する。


「こいつぁ強敵だなぁ。あっちのチビは大人しいんだが」

「ギュウウ……!」

「なぁ、ちょっとでいいからさわらせてくれって。火傷に俺特製の軟膏塗るだけだから……いててて!」


 晴風が格闘すること早四半刻。子烏の片割れは警戒心が強く、一向にさわらせてはくれない。

 烏は賢い。たとえこどもであっても、『人間から酷いあつかいを受けたこと』を忘れない。

 それが恐怖心、引いてはこのような抵抗につながっているのだ。


「俺に、任せてもらえませんか」


 ハラハラとなりゆきを見守っていたシアンも、たまりかねて声をあげる。

 火傷は軽症だが、治療せずに傷口から雑菌などが侵入したら、たいへんなことになる。


「なんか名案でもあるのかい」

「名案……というほどでは、ないですが」


 晴風へ控えめに返答しつつ、爽は卓上へ夜色の視線を落とす。

 さきに治療をすませたもう一羽の子烏を、慎重に、そっと抱き上げた。

 その際「ギュウッ!」とくだんの暴れん坊からひとつつきを食らったが、抱き上げられた当の子烏は、黒曜石のように艶のある瞳で、じっと爽を見上げてくるだけだ。


 確信した爽は、ついで大騒ぎをしている子烏へ手を伸ばし、つつかれながらもなんとか抱き上げることに成功する。

 それから、二羽の子烏をくっつけるように抱き直すと、暴れていた子烏も、嘘のように静かになった。


「ほう……これはこれは」

「兄弟、みたいなんです。こっちの子は、家族に酷いことをされたとかん違いしていて……だから、わるいことはしないよ、離ればなれにはしないよってわかってもらえたら、安心するんじゃないかって思ったんです」

「なるほどな。そいじゃ、ちょいと失礼して」


 爽の腕の中で落ち着いたのだろう。暴れていた子烏は晴風にさわられても、こんどは抵抗しなかった。

 てきぱきと火傷に軟膏を塗り、包帯を巻いた晴風は、「よしっ!」と胸を張る。


「これで火傷のほうは問題ねぇな。栄養失調が心配だが、まぁそれもどうにかなんだろ」

「失礼いたします。只今戻りました」


 晴風が言葉を終えるころ、ちょうどへやの入り口でひびく低音がある。

 黒皇ヘイファンだ。静かに歩み寄ってくると、右手に持っていた竹編みの籠を、爽へ差し出す。


「桑の実だよ。庭に成っていたものを、一心イーシンさまにおねがいして、いただいてきた。その子たちに食べさせるといい」

「こんなにたくさん……ありがとうございます」


 桑の実は栄養価が高い。なにより実がちいさいのでついばみやすく、鳥たちも好物とするものだ。

 爽はころりとした艶のある黒い実をひとつかみすると、子烏たちの目の前へ持っていく。

 最初こそ怪訝そうにつついていたが、食べ物だとわかると、そろって口のなかへ放り込みはじめる。

 その勢いやすさまじく、よほど空腹だったのだろうと容易に想像がついてしまう。


「おーおー、いい食いっぷりだな。あんま慌てんなよ、チビども。汁が飛ぶとたいへんなことになるぞー」


 染料の原材料ともされる桑の実だ。果汁が衣服に飛んでしまうと、洗ってもなかなか落ちないことで有名だ。

 だが冗談めかす晴風の言葉など、一心不乱に桑の実をむさぼる子烏たちが理解するはずもなく。

 籠の半分をたいらげたところで、二羽とも満足したように丸まった。次はおねむの時間だ。


「ちびっこは気ままでいいなぁ」

「そうですね」


 晴風に差し出された手ぬぐいを受け取った爽は、右手に飛び散った紫の果汁をぬぐうと、すやすや寝入る子烏たちのくちばしもきれいにぬぐってやる。

 黒の羽毛をひとなでし、ふ……と和らぐ爽の横顔を見つめていた黒皇が、おだやかに問う。


「その子たちは、これからどうするの」

「……ひとのにおいがついてますし、野生に返しても虐められるだけでしょう。俺がお世話をします。梅雪メイシェさまが助けてくださるまで、なにもできなかったから……それくらいは、してあげたいです」

「変わらないね……黒俊ヘイジュン

「っ……!」


 過剰なほど肩を跳ねさせる爽。その名を口にすれば、こうなることはわかりきっていた。

 だが、たとえ瞳の色が影をおびても、黒皇にとっては弟。愛してやまない家族なのだ。

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