目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第160話 光に手を伸ばす【後】

 甘味処を後にし、街をぶらぶらと見て回ること小一時間。


「わぁ、この紅梅と一輪挿し、華やかできれいだねぇ。あれ? よく見ると硝子細工だ」

「簪とその入れ物になってますね。使わないときはインテリアにもなると」

「素敵な発想だぁ」

「ですね。すみません、これください」

「お土産かい? いいねぇいいねぇ~」

「なに言ってんですか、ハヤメさんへのプレゼントですよ」

「へっ?」


 何気なく足をとめた露店の前、何気ない談笑の文脈で、突然に爆弾は投下された。


「あぁいや、そういうつもりで言ったんじゃなくてね!?」

「わかってますよ。これは俺からの押しつけです」


 おねだりしたつもりはない、と早梅はやめは慌てて弁明するも、軽くあしらわれてしまった。

 年上だからと甘味処での勘定を済ませようとしたときも、暗珠アンジュに先手を打たれた。いわく「デートなんですから、男にまかせとけばいいんです」だそう。

 失礼だが、男女共同参画社会という言葉をご存知だろうか。


「すくなくとも、この簪があれば、ハヤメさんは俺ときょう過ごしたことを忘れないでしょ。わかったらつべこべ言わずに受け取れや」

「ぐぅ……」


 なんだろう。半ば脅し口調なのに、この満点回答は。


「……念のためきいておくけど、クラマくん、男性から女性に簪を贈る意味って、知ってる?」

「好きだからですよね」

「ほかには?」

「は? それ以外に理由なんてあるんですか」

「いやぁ、変なことをきいたね。純粋なままの君でいて……」

「なんなんですか、もう」


 近頃置かれている環境が環境だったためか、暗珠の率直な返答に、早梅はひどく安堵した。某マオ族のせいである。


「よくわかりませんけど、俺と外出するときは、その簪を挿してきてくださいね」

「えー、どうしよっかなぁ」

「そこは『うん』って言っとけばいいんだよ!」

「あはははっ!」


 絶え間なく続く会話も、カッとなると口が悪くなる暗珠も、懐かしいなぁ、と感じる。


(簪なんてなくたって、君のことを忘れたりしないのに)


 そうは思えど、いざ言葉にするのはなんだか気恥ずかしい。


「クラマくん、ありがとね」

「……お、おう」


 本音は露店の店主に包んでもらった簪と小ぶりな一輪挿しの入れ物とともに、懐へしまう。

 はにかむ早梅に肩すかしを食らった暗珠は、サッと顔をそむけるや、足早に歩き出す。そのほほが紅潮していたことは、見なかったことにしようか。


「調子狂うな……いいですよ。ついでにお土産も買っときましょう」

「お土産?」

「ハヤメさんのところの人たちに。必要でしょ?」

「……クラマくんって、しっかりしてるねぇ」

「あんたは俺をなんだと思ってんですか。ったく……」


 眉間にしわを寄せ、嘆息した暗珠だが、ふと立ち止まると、薔薇輝石のまなざしを伏せ、独り言のようにこぼす。


「べつに好きで喧嘩売りたいわけじゃないんですよ。逆に、ちょっと話をさせてもらいたいって、思ってるくらいですし……」

「話? フォンおじい……お兄さまたちと?」


 晴風チンフォンのことは『双子の兄』と説明してある。これもザオ一族について、原作ではあまりふれられていなかったためになせる業なのだが。


「父上が……陛下の体調が優れないって話、前にしたでしょう」


 首をかしげていた早梅は、続く言葉にぴんと気を張りつめた。


「うん、それで?」

「宮廷医官たちもお手上げで……早家に、力を貸してもらいたいんです。独自の医術が伝わる名家だそうですから、原因をつきとめてくれるんじゃないかと思って」


 つきとめるもなにも、原因そのものなのだが。


「クラマくんは、陛下のことを心配してるんだね」


 思わず口走りそうになるのをこらえ、早梅は平然をよそおい、続きをうながす。

 暗珠がそう切り出した真意を、たしかめたくて。


「そりゃあ……ね。俺がこの貴泉きせん地方に来られたのも、陛下のご配慮があってのことなんです。あのまま後宮にいたら、俺はいまごろ、どうにかなってました」

「……君から見て、陛下ってどんな方?」

「完璧超人すぎて近寄りがたいですけど、やさしいひとですよ。俺が寝込んだら、わざわざお見舞いに来てくれるんです」


 暗珠の話をききながら、そのあざやかな瞳に尊敬の念が灯っているのを目にした。

 そして思い知る。あぁ、彼はなにも知らないのだ、と。


「原作でも、皇帝陛下は崩御なさる運命にあるよ」

「──ッ!」


 気づいたら、淡々と、事実のみをつたえていた。

 とたん雷に撃たれたかのように肩を跳ねさせた暗珠が、早梅の腕をつかむ。


「……俺、は」

「クラマくん。私は後宮入りしなかったけど、『そのとき』なんじゃないかな」

「ハヤメさんッ!」


 梅雪メイシェが後宮に召し上げられてからしばらくして、謎の病によって死ぬ運命にあるルオ飛龍フェイロン

 それが原作の、『氷花君子伝ひょうかくんしでん』のエピソードのひとつである。それなのに。


「俺はっ、父上に死んでほしくないです!」


 暗珠。いや、クラマ。

 よりにもよって、君がそれを言うのか。


「……父上からききました。父上も俺とおなじで、おさないころは病弱だったそうです」

「……!」

「おからだが弱く、その上、前皇帝陛下の側室の子である十三番目の皇子だった父上は、本来ならば皇位継承とはほど遠い存在ですが……血なまぐさい皇位あらそいによって、ほかの皇子はみな、共倒れしたそうです」


 ほどなくして前皇帝陛下が病により亡くなり、皇室を存続させるためには、病弱で年若い皇子が次期皇帝の座を継ぐほかなかった。

 飛龍が十九の年だそうだ。


「病と闘いながらご立派に皇帝をつとめられてきた父上を、見捨てることなんてできるはずがないでしょう! だって俺は、未来を知ってるのに!」


 飛龍の過去。

 気にしたことがなかった。知りたいとも思わなかった。

 それを、思わぬかたちで知ることになって。


 ──踏みにじられてなど、やるものか。


 ただその思いだけで、ここまでやってきたのに。


 正室の子でもない。しかも病弱。

 ゆえに、皇位争いからも外された。

 はなから期待などされていなかった皇子。


 ──私は『愛』を知らないのではない。

 ──『愛』にはいたらぬ些末なものしか、私の周りにはなかった。


 ……羅飛龍という人間の『孤独』を、かいま見てしまうなんて。


「俺は未来を変えたい、助けたいんです! おねがいします、力を貸してください、ハヤメさん!」

「……ちがう……」

「ハヤメさ──」

「ちがう! 私は陛下を助けられない!」


 助けては、ならない。

 飛龍が犯した非道の数々を、ゆるすようなことがあってはならない。


 断罪のために、その首へ刃を突き立てる。

 ためらってはいけない、はずなのに。


(飛龍……私は、ほんとうのあなたが、わからなくなってしまった……)


 滑稽なことだ。事あるごとに、じぶんは弱くはないのだと主張してきたくせに。


(私は、腰抜けだ……ごめん、みんな……ごめん……|紫月《ズーユェ》……)


 進むべき道を、見失ってしまった。


「ハヤメさん、血が……」


 噛みしめた唇に赤くにじむものを認め、早梅へ手を伸ばす暗珠だが、それより早く、とん、と胸で受け止める体重がある。


「……陛下と、会えるかな」

「ハヤメさん……?」

「会って、話をしたら……なにか、わかるのかな」


 ふるえる声音で、絞り出すようにつむぐ早梅。

 暗珠へすがりつくその華奢な肩も、小刻みにふるえていた。


「ハヤメさん……っ!」


 なにを言われたのか、わからない暗珠ではない。

 腹の奥底からこみ上げてくるものをこらえながら、両腕で早梅をきつく抱きしめる。


「会ってくれますよ。だから俺といっしょに行きましょう、都へ……天陽てんようへ!」

「みやこ、に…………っあ」


 しばしうわ言をこぼしていた早梅は、抱擁の痛みで、ハッと我に返る。


「ごめん、クラマくんっ、私……っ!」


 すぐさま撤回をこころみるが、暗珠の胸を押し返すことは叶わない。

 それどころか、より強く抱きしめられるのみ。


「これからはずっとハヤメさんといられるんですね、うれしいっ……!」

「おねがいクラマくん、きいて……っ!」

「ずっといっしょですからね、もう離さないからっ!」

「クラマくん……!」


 だめだ。いくら呼びかけようとも、舞い上がってしまった暗珠には届かない。


「やっと、やっと俺のねがいが叶うんだ……」


 失言だった。早梅の完全なる失態だ。

 そしてここがどこであるのかを、失念していた。


「好きです、ハヤメさん、俺のハヤメさん──愛してる」

「待っ……!」


 薔薇輝石の瞳を甘く蕩けさせ、熱に浮かされた表情の暗珠が、かたちのいい唇で早梅のそれを食む寸前。


 ──わぁっ!


 燈角とうかくの往来で、どこからともなく歓声が沸き起こった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?