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第159話 光に手を伸ばす【中】

 ところ変わって、にぎやかな燈角とうかくの街中にある、とある甘味処。


「これは、まずいなぁ……」

「マジか。ここのオススメってきいたんですけど、お口に合いませんでした?」

「あぁいや、このお菓子は美味しいよ、とっても!」

「そう? ならよかった」


 皇子殿下の仮面を脱ぎ捨てた暗珠アンジュことクラマが、見るからに上機嫌だ。


 心太ところてんに黒蜜をかけ、角氷でキンキンに冷やした氷菓は、この店の名物だという。

 つるっとしたのど越しで、夏にぴったりなスイーツだ。


「ハヤメさんって、案外積極的ですよね。ほめ言葉ですよ」

「ははは……」


 氷菓は美味しい。ただ、卓で向かい合う暗珠の悪気のない言葉が、早梅はやめに追い討ちをかける。


(まずい、ついやってしまった……いやでも、あのままだと|風《フォン》おじいさまたちから袋だたきにされてしまったかもしれないから……)


 仕方なかった。暗珠の身の安全を思えば、やむを得なかったのだ。


 かくして腕を引っつかみ、「殿下とちょっとお出かけしてきますっ!」と屋敷を飛び出してきたというのが、現状だ。もうすでに、帰るのが怖い。

 ちなみに事の発端である暗珠はというと、「デートのお誘いに来たんです」と、悪びれもなく言い放つ始末。なんたる鋼のメンタル。


「それより、意外ですね。てっきり物凄い形相で追っかけてくると思ったんですけど、あのおっかない人たち」

「それはないかなぁ。『そういう約束』だからね」

「あれ、そうなんですか?」


 ──皇子殿下がたずねてきたとき、必要に応じてふたりきりになることを許してほしい。


 これは暗珠がはじめて屋敷を訪れた日、なんとか説得をしてお帰りいただいた後に、早梅が晴風チンフォンらに『おねがい』したことだ。

 むろん一筋縄ではいかなかった。『もしも』のときは暗珠をぶん殴る、等々の条件をつけ、やっとの思いで了承を得た。


 表向きは『皇室に関する情報を手に入れるため』と理由づけているので、晴風たちも完全に納得はしていないが、邪魔もできないのだ。

 ほんとうに、過保護なことだ。相手は暗珠といえど、中身は別人なのだから、『もしも』のことなんてないのに。


「クラマくんこそ、ひとりで来たの? チェン太守は?」

「置いてきました」

「いや、そんなサラッと言わないで、もうすこし申し訳なさそうにしよう?」

「いちいち世話を焼かれるほどこどもじゃないですし、ぶっちゃけ護衛より俺のほうが強いです。無駄なことに人員を割くくらいなら、ほかの仕事をしてもらったほうが効率がいいと思いませんか」

「それはそうだけど、うーん……」


 血も涙もない鬼と恐れられた年下上司の片鱗を、こんなところでかいま見ることになるとは。 

 プライドが高い暗珠を論破するのは、至難の業だ。


「っていうか、せっかくふたりっきりなのに、そういう話題は野暮でしょ」


 そうこうしていれば、むす、と唇をとがらせた暗珠が左手を伸ばしてきて、卓の上でぎゅっと手をにぎってくる。

 指と指をからめるこれは、俗にいう『恋人つなぎ』か。これには早梅も苦笑い。


「君の積極性にはかなわないよ」

「だれかさんが離宮に来てくれないからでしょ。だから『いっしょにいたい』って言わせるために、俺だって躍起なんです」


 その手始めが、この『デート』なのだろうか。


「ねぇ、さっさと俺にしといたほうがいいですよ、ハヤメさん」

「思いのほかグイグイ来るねぇ」

「好きですから」

「……ごめんね」

「いいですよ、ゆるします。俺は『まて』ができる男なので」


 ああ言えばこう言う暗珠が、ふと声音をやわらげる。


「無理やり連れて行ったりはしません。その分、猛アタックしますから」


 口ではなんと言おうが、暗珠の行動の根幹には、早梅への尊重がある。

 たいせつに、されている。

 それがわかるからこそ、早梅は暗珠を突き放せないのだ。


「必ず、オトします。ハヤメさんもそのつもりで」

「たいへんなことになったぞ」

「自業自得なので諦めてください」


 急かさないと告げたその口で、逃がすつもりもないという。

 まっすぐに向けられた薔薇輝石の双眸を目のあたりにして、胸がぎゅ、と締めつけられるように痛んだのは、このからだのもち主が暗珠に恋をする梅雪メイシェだからなのか、それとも。


「ま、夕方までには帰してあげますよ。今日のところは、ね」


 いたずらっぽい笑みを浮かべた暗珠が、するりと早梅の髪を一房手に取り、その翡翠色へ口づけを落とす。

 おうじさまみたいだなぁ、なんてぼんやり思って、おうじさまだった、と早梅は思い出す。

 やたらほほが熱をもつのは、きっと夏のせいだろう。

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