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第155話 闇を爪弾く【後】

 橙に藍が入りまじる、黄昏の刻。


「……やってくれましたね」


 燈角とうかく有数の老舗が軒をつらねる繁華街にて、華やかな往来から一歩ふみ込んだ路地裏に、憂炎ユーエンのすがたはあった。

 片ひざをついて注視する石畳は、飛散した赤黒い液体で汚れている。


「教主さま、ご報告を申し上げます」


 そこへ足音ひとつなく、背後から呼び声があり。憂炎は顔を上げることなく、静かに問うた。


「どうでしたか、シアン

「今朝方、始発の船で燈角入りをした一行は、やはり替え玉でした。本物の貴泉きせん郡太守は、昼すぎに一般観光客にまぎれ、こちらに」

「だと思いましたよ。太守が皇子殿下のお世話係に任命されたという話は、ほんとうのようですね」

「現在太守一行は、数名の護衛のみをつれ、離宮へ向かっているもようです。……殺しますか?」

「おやめ。急いては事を仕損じます。ただでさえ、予想外のお客さまもいらっしゃるのですから」


 憂炎が立ち上がる。紺青の裾がひるがえされたことで、ようやく爽も気づく光景がある。暗視に長けた夜色の双眸が、闇に散る鮮烈な紅をとらえた。


 ──アレはおそらく、鷹だ。

 おそらくというのは、ソレが鳥類らしい構造をとどめておらず、翼にくちばしと、あちらこちらに散らばった部位を、かろうじて視認したためだ。


「太守が飛ばした伝書鷹でしょう。見事なまでにバラバラですね。いっそ清々しいくらいです」


 貴泉郡太守──チェン仙海シェンハイが、怪しい動きをみせている。

 その動向には憂炎も細心の注意をはらっており、ゆえにこうして駆けつけたわけなのだが、一足遅かった。


「皇子が、幻の花を見つけたようですね。もっとも、それを皇帝陛下が知る術はありませんが」


 赤黒い飛沫の滲む紙きれへ目をとおした憂炎は、柘榴色の双眸を細め、散り散りに破り捨てる。


「憂うべきか、喜ぶべきか……なんとも複雑な心境ですねぇ」


 やれやれ、と肩をすくめる憂炎の胸中には、疑問がうまれる。


(鋭利な刃で切断されたものとはちがう。あれは、細く強靭な『なにか』に、ねじ切られたものだ)


 たとえるなら、網にかかったえものをくびり殺す末に、こま切れになってしまったかのように。


(まさか……ね。いや、そんなはずはない)


『これ』をやってのける存在に、憂炎は心当たりがあった。けれど、すぐに否定する。『彼』であるはずがないのだから。


「さて、行きますか。アレは放っておいても、野良犬の餌になるでしょう」


 憂炎がきびすを返すさなか、ぼう、と蒼い炎がともる。

 まばゆい月白げっぱくの髪を夜闇に浮かび上がらせたそれは、散り散りの紙きれを一片残らず燃やしつくし、音もなく消え入った。


「どうやら、わたしたちのほかにも、皇室を心底恨んでいる方がいらっしゃるようですね」

「敵でしょうか。それとも」

「わかりません。でも、これだけはおぼえておきなさい、爽」


 颯爽ときらびやかな往来へふみ出す憂炎は、連れ立つ黒髪の青年を視線だけでふり返り、告ぐ。


「気をつけなさい。巻き込まれますよ」


 にわかに笑みをひそめた憂炎のひと言は、雑踏の喧騒に余韻をかき消される。


 ──ベン。


 どこぞの妓楼からもれ聞こえるものだろうか。流麗な音色が耳にとどく。

 それは、琵琶を爪弾く音にも似て。

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