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第150話 再会【後】

(なんで……なんでなんでなんで)


 早梅はやめはひたすらに、回廊を疾走していた。


 ──皇子が、梅雪メイシェさまをさがしてるよ!


 いましがた、早梅の寝室へ飛び込んできた双子の猫が、知らせてくれた。

 一心イーシン六夜リゥイ五音ウーオンに客人の監視を担わせるとともに、八藍バーラン九詩ジゥシーに現状の報告をまかせていたのだ。

 はやく身を隠せるところに、と訴える二匹を押しのけ、早梅は寝室を飛び出した。


(街で出会ったあの子が、皇子だった? そんな……)


 そんな偶然があってたまるか。

 そんなことで、皇室に所在を知られるなど、この平穏を壊されるなど、あってはならない。


 だから早梅は走っていた。

 悪い夢なのだと、この目でたしかめたかった。


「すがたを見せろ、早梅雪ザオメイシェ!」


 そして後悔する。

 あぁ、これが夢ならよかったのに、と。


「……お呼びでしょうか」


 つんざく雷鳴のごとく、おのれの名を叫んでいた少年と、回廊の中心で邂逅する。

 念には念をとまげを結い、さらしを巻いて胸をつぶしていたが、それも無駄なあがきであった。

 いまさら男装をしたところで、なんの意味もない。


「わたくしが早梅雪でございます。皇子殿下」


 早梅はつとめて冷静をよそおい、瑠璃の瞳で相手を見据える。


 漆黒の髪に、鮮やかな緋色の瞳。

 あぁ、その面影を知っている。

 この世でもっとも憎い男のそれを、よく受け継いだものだ。


 早梅を前にした少年──暗珠アンジュは、しばし押し黙り、言葉を発さない。


(彼はこの物語の主人公。憎き|飛龍《フェイロン》のひとり息子)


 彼は仇の息子だと叫ぶじぶんと、彼自身にはなんの罪もないと叫ぶじぶんが、早梅の胸中で衝突している。


(私は、どうすれば……!)


 早梅はもどかしさに、頬肉を噛む。

 将来婚約を拒絶される運命にあるじぶんへ、皇子が褒められた感情をいだいていないことは、明白だろう。

 決定的な判断を決めあぐねる早梅のために、時は待ってなどくれない。


「──早梅雪」


 一歩、二歩と距離を縮める暗珠を、早梅はただ、唇を噛みしめて見据えることしかできない。


 ふいに伸ばされた右手。ぞわりと肌が粟立つ。

 皇室にあだなすと判断された、早一族の生き残りだ。この先なにが起ころうと、不思議ではない。


「──梅雪」


 また、呼ばれた。

 今度は、吐息のような発語だった。

 はたと、早梅の思考が停止する。


 そもそも、ほとんど面識のない彼が、なぜおのれをさがしていたのか。

 その真相を、まさか。


「単刀直入に申し上げる。私の妃になってもらいたい」

「は…………え?」


 まさか、こんなに唐突に、脈流もなく、思い知ることになるだなんて。


「申し訳ありません殿下。いま、なんと?」

「あなたを妃にしたい、と申し上げている」

「えっ、そんな、えっ……」

「私は、このような冗談は言わない!」


 あっけに取られていると、堪らんとばかりに暗珠に腕をさらわれてしまう。


「あなたに焦がれていた……会いたかった」


 間近にせまった、ふるえる声音。これは暗珠のものだろうか。

 先ほどまでこちらを睨みつけていた皇子のものだとするなら、どうしてこんなにも熱っぽく、恋人へ向けるような切ないひびきを孕んでいるのか。


「会いたかった、会いたかった……!」


 全身を締めつける苦しさと痛みを受け、早梅は抱きしめられているのだと遅れて理解する。


「ちょっと、離して……!」

「嫌だ、離さない! ぜったいぜったい、離しませんからっ……!」


 梅雪を拒絶するはずの暗珠が、その梅雪を求めている。


(どういうこと? なにが起きてるの?)


 一体どうしたことだ。まるでほんとうに恋でもされているようではないか。

 たかだか街でひと言ふた言かわした梅雪に、暗珠が、恋?


「なんで頼ってくれないんですか、やっと見つけたのに、なんで逃げるんですか……俺のためだって言いながら、俺の気持ちは無視じゃないですか……ひどいですよ、ばか、ハヤメさんのばか……っ!」

「えっ……んなっ……」


 早梅の背へ腕をまわし、首筋に顔をうずめた暗珠が、嗚咽をこらえながら吐露する。

 いよいよもって、わけがわからなくなってきた早梅は、思わず素になって問う。


「待ってくれ、君は一体……」

「あぁもう! こんだけ言ってまだわかんないんですか! ほんっと鈍いひとですね!」


 わぁっと声を上げた暗珠は、一変。


「あなたのことをハヤメさんって呼ぶのは、俺しかいないじゃないですか」


 ささやくような声音で、早梅の耳朶に吐息を吹き込む。


「……クラマ、くん?」


 早梅がこわごわと問うた刹那、暗珠が、わらった。


「やっと気づいてくれました? そうですよ、クラマです。散々手こずらせてくれましたね」


 憎まれ口を叩く一方で、早梅を抱く腕はやさしい。

 ほほをつつみ込む手のひらはあたたかく、こつりとひたいをくっつけられたなら、たがいの吐息がふれあうほどまでに近づく。


「なんで、君が……」

「追ってきちゃいました」

「どうして……」

「ハヤメさんをほっとけない以外に、理由なんてないでしょうが」

「っ……離してくれ! 私は君に、酷いことを……!」

「そう思うなら、おとなしく抱きしめられてください」

「……ごめんっ……」

「謝るくらいなら、最初から俺を置き去りにしないでくださいよ。一生根に持ちますからね」

「クラマくん、わたし……っ」

「──ハヤメさん」


 なにを言うにも、ことごとく論破され。


「無事でよかった。俺が来るまで、心細くて泣いてましたよね。遅くなってごめんなさい」


 よく知ったクラマの口調で、聞いたこともないようなやさしい言葉をかけられる。


「クラマ、く……!」

「もういいです、わかってます。俺がそばにいます。守りますから……俺が前に言ったこと、なかったことにしないでくださいね……?」


 いまいちど暗珠にきつく抱きすくめられ、熱い吐息をこぼす唇が、耳もとへ寄せられる。


「すきです、ハヤメさん……ずっと、好きです」

「やっ……」

「ハヤメさん、ハヤメさん、好き」


 くすぐったさに身をよじるほどに、逃すまいと腕を絡められ。

 飽くことなく名を呼び続ける声は、熱に浮かされ。


「ねぇ、ハヤメさん……ひとの体温って、こんなにあたたかいんですね」


 暗珠を、ふりほどくことができない。

 密着したからだの境界線までも、わからなくなる。


「ずっとあなたを見てました……ずっとあなたにふれたくて、ふれられなくて、どうにかなりそうだったっ……!」


 すがるような言葉は、早梅のこころをひどく揺さぶる。


「好きなんです。あなたが好き、大好き……もう二度と離さないから……っ!」


 否定の言葉をつむぐことも、胸を押し返すこともできない早梅は、暗珠クラマに抱かれながら、こみ上げる嗚咽に、身をふるわせるしかなかった。

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