「
──
あの黒皇が、これほどの気迫をまとってだれかを牽制するすがたを、早梅ははじめて目の当たりにする。
烏になってまで、空から必死にさがしてくれていたのだ。必死だったからこそ、こんなにも激情をたぎらせているのだ。
「あぁ、見つかっちゃったか。さすがに
「──」
「うん、僕が悪いのはわかってるから、真顔でつつくのはやめてくれないかな……いたたた!」
さらに雑踏のあいだを縫って、
早梅を連れ去った一心に、心底反感があると見えた。
「へいふぁ~ん! 待ってたよ~!」
早梅がピンチのときに颯爽と駆けつけるのは、決まって黒皇である。
その信頼に今回も見事応えてくれた
ばさりとひとつ羽ばたいた烏が、早梅の腕の中へすっぽりとおさまった。
ふわりと手ざわりがよく、太陽の香りがする羽毛をなでるひとときは、早梅にとって至福の時間である。
「心配させちゃったよね。ごめんねぇ」
──いいえ。一心さまのせいなので、早梅さまは悪くありません。それより、旦那さま方が心配しておられます。
「それはたいへんだ! はやく帰ろうね!
──それがよろしいかと。黒皇がついておりますので、まいりましょうか。
「ありがとう!」
黄金の瞳と見つめ合ったなら、言葉を交わさずとも意思疎通ができる。これぞ以心伝心である。
「そういうわけなので、このへんで!」
「ちょっと待っ──」
少年がなおも引きとめようとすることは、想定済みだった。
「──ッ!」
しかしながら、少年の手がとどくことはない。
びくりと肩を跳ねさせて硬直した異変を横目にとらえながらも、早梅は足をとめない。
「おだいじに〜!」
──なんだかよくない予感がする。
そう警鐘を鳴らす胸中とは裏腹に、天真爛漫に雑踏へ飛び込む早梅であった。
* * *
独り取り残された往来で虚空を睨みつけ、どれほどたったか。
「こちらにいらっしゃいましたか、殿下!」
背後から駆け寄る人の気配がある。これに少年は、嘆息を返した。
「だれが聞き耳を立てているとも知れぬ場で、その呼び方はやめろと言ったはずだ」
「は……たいへん失礼いたしました、
つと視線だけで後ろを見やれば、丁寧に髭を切りそろえた壮年の男が、深々と頭を垂れている。
『お忍び』のため、こちらも外套をまとって詳細な容貌を隠している。
自身よりはるかな若輩者に追従するこの男こそ、
「
「……よりいっそう警備を強化いたします」
到着早々、悲鳴を聞きつけ、単独行動に走ったのはじぶんだ。
陳太守がここへ至るまでに時間を要したのも、窃盗事件の対応に追われていたため。
わかっているのだ。じぶんが『困った人間』であることは。
だが、甘ったるい嘘と欲にまみれた後宮しか知らないじぶんにとって、他人にこころを許すという行為は容易なものではない。
そう、少年──
「今日はもう、やすむ」
「では、船をご用意しましょうか」
「
「かしこまりまして。離宮へご案内いたします」
船を使わないとなれば、これから十数分は歩くことになるだろうが、それでもかまわない。
『たしかめたいこと』もある。
(──どこだ)
暗珠は陳太守のあとに続きつつ、注意深く往来へ視線を走らせる。
先ほど『彼女』を引きとめようとしたとき、尋常でない殺気を感じた。
突然割り込んできた烏ではない。『彼女』へ馴れ馴れしくふれていた男のものともちがう。
(明確な意志をもって、俺を殺そうとしていた何者かがいる)
少なくともいまは、すがたをあらわすつもりがないらしい。実態のさだかでない存在を追うなど、煙をつかむようなものだ。
だが、火のない場所に煙は立たない。
(殺したいなら好きにすればいいさ。その代わり、俺も容赦はしない。おまえのせいで……彼女を逃がしてしまった)
そのことが、暗珠はなによりも腹立たしかった。
(男装までして、そんなに後宮と……皇室と関わりたくなかったんですか、ハヤメさん)
うまく変装していても、暗珠の目はごまかせなかった。
(いっしょにいた男はだれですか。俺のいないところで、なんであんなに楽しそうにわらってたんですか……俺にはあなただけだったのに、あなたはちがったんですね)
──俺がどんな気持ちでさがしていたのか、あなたは知らないだろう。
──あなたと再会を果たしたとき、俺のこころがどんなにふるえたのか、あなたは知らないだろう。
やるせなさ。憤り。愛しさ。
さまざまな感情でないまぜになって、暗珠は唇を噛む。
「ぜったいに、むかえに行きます」
この街にいるのだから。
「目を覚まさせてやりますよ。あなたの味方は、俺だけだって」
手を伸ばせばとどく距離に、いるのだから。
つつみ紙のなかの飴玉を手のひらでにぎしりめるうちに、吐き気など、とうに失せていた。