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第135話 赤き珠玉の音色【後】

一心イーシンさま、先日おしらせした件ですが」


 口火を切ったのは、憂炎ユーエンだ。

 思案の海底から引きあげられる一心。

 熟れた柘榴のような瞳が、こちらを見据えていた。


「書簡でおつたえしましたように、ラン族は、『獬幇かいほう』を脱退させていただきます」


 ──にわかに、緊張が走る。


 それは間違っても、にこにこと、ほほ笑みながら口にすることではない。


「お言葉ですが……『獬幇』を抜ければ、狼族は余計に孤立するのでは?」

「ちがいますね。わたしたちは、独立するのです」


 一心が慎重に選んだ言葉さえも、軽く一蹴される。


「わたしたちが掲げている目的は、善のおこないを絶対とする『獬幇』の妨げとなりましょう」

「それは、悪の道に進むと聞こえますが?」

「皇族をしいするのです、逆賊にはちがいないでしょう?」

「──っ!」


 一心は確信した。彼は、憂炎は異常者だ。

 都からほど近いこの街で、世間話でもするように『皇族殺し』を語るなど。


「みなさまにご迷惑をかけるのも心苦しいですし、『獬幇』からの脱退を決めました」


 整った眉を下げ、そううそぶく憂炎ではあるが、一心には聞こえる。


 ──足手まといなんですよ。

 ──あなた方に助力を乞うほど、落ちぶれてはいません。


 爽やかな笑みに秘められた、その真意が。


『獬幇』を脱退する。

 獣人同士の助け合いという大義名分がなくなる。

 それは、邪魔をすればおまえも殺すと宣告されていることと同義。


「さようでございますか。狼族のことですから、憂炎さまのご意向でしたら、わたくしどもから申し上げることはございません」


 若輩者だからと、あなどってはいけない。

 いたずらに一族を危険にさらしてはならない。

 このときの一心の笑みと発言は、マオ族の未来のためだけにあった。


「ご理解いただけたようで、なによりです」


 憂炎の笑みとともに、ふっと、呼吸が楽になるような感覚。

 そこでようやく、一心は完全に主導権をにぎられていたことを自覚した。


「この街にも、いろんなひとがいますねぇ」


 ふと視線を横へやった憂炎の意図を、すぐには理解できない。


「実をいうと、こちらには出会いを求めてやってきた節もあるんです」

「出会い、ですか」

「えぇ、そうです。素敵なお嫁さんをさがしに」


 燈角とうかくには、狼族の女性はいなかったはずだが。

 しばし思案した一心は、そもそも論点がちがうことに気づかない。


「わたしの理想は、翡翠の髪に瑠璃の瞳をした、天女のように麗しい女性なのですが、そうした方にお心当たりはございませんか?」


 ──戦慄。


(梅雪《メイシェ》さんをさがしている?)


 めったなことでは人里におりることすらない狼族が、人間だった彼女と、どのような接点があったというのか。

 わからない。けれど。


「それはそれは。そんなにお美しい女性がいらっしゃるなら、ぜひお目にかかりたいものです。が、広大な砂浜から、ひとつぶの真珠を見つけるようなものでしょうねぇ」


 ──彼と引き合わせてはいけない。


 本能のままに、一心は笑みを浮かべる。


「そうですか」


 憂炎は口もとをゆるりと持ち上げていた。

 柘榴の双眸を、うっそりと細めて。


「では、真面目にへ専念することにします」


 一心さま、と、やわらかな声音に名を呼ばれる。


「お忙しいところ、ご案内していただき、ありがとうございました」


 首をかたむけて笑む憂炎の耳もとで、赤い珠玉が音色を奏でる。


 しゃらん、と。


 澄んだその音が、やけに一心の耳について、離れなかった。



  *  *  *



「遠回りにはなりますが、のんびりお散歩をしながら帰ることにします。それでは憂炎さま、よい一日を」


 街中に点在する頃合いな桟橋へ小船をつけ、そういって別れを告げた一心を見送る。

 遠ざかる背を、いつまでもいつまでも、憂炎は見つめていた。


「教主さま」


 沈黙の果てに、シアンはあるじを呼ぶ。

 次なる指示をあおぐためだ。


「……ふはっ!」


 そして爽は、首をかしげる。

 憂炎が可笑しげに肩をふるわせる原因が、わからない。


「爽聞いた? 『そんな方がいるなら、お目にかかりたい』だって。どの口がいうのだろう!」


 くく、とわらいをこらえる憂炎を前にして、爽は「あぁ」と数拍後に理解する。


「梅雪のにおいをさせておいて『知らない』だなんて、大嘘を吐いて! とんだ猫かぶりだ! あはははっ!」


 猫族が『翡翠の髪に瑠璃の瞳の人間』を保護したことは、とうに知れている。

 、なんともおめでたいことだ。


「ふふっ、隠したいなら、それでもいいですよ。わたしは機嫌がいいんです。だって、そこに梅雪がいるんですものね。すこしくらいは、あそびに付き合ってあげます」


 しっぽはつかんだ。

 ならば、あとはこちらのもの。


「──もうすぐ、むかえにいくからね。梅姐姐メイおねえちゃん?」


 うっとりとつぶやいた美青年は、するどい牙をのぞかせながら、舌なめずりをするのだった。

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