「
口火を切ったのは、
思案の海底から引きあげられる一心。
熟れた柘榴のような瞳が、こちらを見据えていた。
「書簡でおつたえしましたように、
──にわかに、緊張が走る。
それは間違っても、にこにこと、ほほ笑みながら口にすることではない。
「お言葉ですが……『獬幇』を抜ければ、狼族は余計に孤立するのでは?」
「ちがいますね。わたしたちは、独立するのです」
一心が慎重に選んだ言葉さえも、軽く一蹴される。
「わたしたちが掲げている目的は、善のおこないを絶対とする『獬幇』の妨げとなりましょう」
「それは、悪の道に進むと聞こえますが?」
「皇族を
「──っ!」
一心は確信した。彼は、憂炎は異常者だ。
都からほど近いこの街で、世間話でもするように『皇族殺し』を語るなど。
「みなさまにご迷惑をかけるのも心苦しいですし、『獬幇』からの脱退を決めました」
整った眉を下げ、そううそぶく憂炎ではあるが、一心には聞こえる。
──足手まといなんですよ。
──あなた方に助力を乞うほど、落ちぶれてはいません。
爽やかな笑みに秘められた、その真意が。
『獬幇』を脱退する。
獣人同士の助け合いという大義名分がなくなる。
それは、邪魔をすればおまえも殺すと宣告されていることと同義。
「さようでございますか。狼族のことですから、憂炎さまのご意向でしたら、わたくしどもから申し上げることはございません」
若輩者だからと、あなどってはいけない。
いたずらに一族を危険にさらしてはならない。
このときの一心の笑みと発言は、
「ご理解いただけたようで、なによりです」
憂炎の笑みとともに、ふっと、呼吸が楽になるような感覚。
そこでようやく、一心は完全に主導権をにぎられていたことを自覚した。
「この街にも、いろんなひとがいますねぇ」
ふと視線を横へやった憂炎の意図を、すぐには理解できない。
「実をいうと、こちらには出会いを求めてやってきた節もあるんです」
「出会い、ですか」
「えぇ、そうです。素敵なお嫁さんをさがしに」
しばし思案した一心は、そもそも論点がちがうことに気づかない。
「わたしの理想は、翡翠の髪に瑠璃の瞳をした、天女のように麗しい女性なのですが、そうした方にお心当たりはございませんか?」
──戦慄。
(梅雪《メイシェ》さんをさがしている?)
めったなことでは人里におりることすらない狼族が、人間だった彼女と、どのような接点があったというのか。
わからない。けれど。
「それはそれは。そんなにお美しい女性がいらっしゃるなら、ぜひお目にかかりたいものです。が、広大な砂浜から、ひとつぶの真珠を見つけるようなものでしょうねぇ」
──彼と引き合わせてはいけない。
本能のままに、一心は笑みを浮かべる。
「そうですか」
憂炎は口もとをゆるりと持ち上げていた。
柘榴の双眸を、うっそりと細めて。
「では、真面目に
一心さま、と、やわらかな声音に名を呼ばれる。
「お忙しいところ、ご案内していただき、ありがとうございました」
首をかたむけて笑む憂炎の耳もとで、赤い珠玉が音色を奏でる。
しゃらん、と。
澄んだその音が、やけに一心の耳について、離れなかった。
* * *
「遠回りにはなりますが、のんびりお散歩をしながら帰ることにします。それでは憂炎さま、よい一日を」
街中に点在する頃合いな桟橋へ小船をつけ、そういって別れを告げた一心を見送る。
遠ざかる背を、いつまでもいつまでも、憂炎は見つめていた。
「教主さま」
沈黙の果てに、
次なる指示をあおぐためだ。
「……ふはっ!」
そして爽は、首をかしげる。
憂炎が可笑しげに肩をふるわせる原因が、わからない。
「爽聞いた? 『そんな方がいるなら、お目にかかりたい』だって。どの口がいうのだろう!」
くく、とわらいをこらえる憂炎を前にして、爽は「あぁ」と数拍後に理解する。
「梅雪のにおいをさせておいて『知らない』だなんて、大嘘を吐いて! とんだ猫かぶりだ! あはははっ!」
猫族が『翡翠の髪に瑠璃の瞳の人間』を保護したことは、とうに知れている。
「ふふっ、隠したいなら、それでもいいですよ。わたしは機嫌がいいんです。だって、そこに梅雪がいるんですものね。すこしくらいは、あそびに付き合ってあげます」
しっぽはつかんだ。
ならば、あとはこちらのもの。
「──もうすぐ、むかえにいくからね。
うっとりとつぶやいた美青年は、するどい牙をのぞかせながら、舌なめずりをするのだった。