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第131話 氷風はすさぶ【後】

 ザッ、ザッと若葉をふみしめた六夜リゥイは、ひときわ立派な木のもとへやってくると、その幹へ背をあずけるように座り込む。早梅はやめを抱いたまま、だ。

 これにて胡座をかいた六夜のひざの上に、早梅は座ったかたちとなる。


「六夜さま? これは一体?」

「お姫さまを地面に座らせるわけにはいかないだろ?」

「それはありがたいのですが、六夜さまを見下ろすという、たいへん恐縮な体勢でもございまして」

「うん? もっと近くで見下ろしなよ。じぶんで言うのもなんだけど、けっこう男前だろ? 俺」


 まじりけのないサラサラの黒髪に、くっきりとした二重、長いまつげに縁どられた青玉せいぎょくの瞳。

 嫌味でなく、六夜はほんとうに整った顔だちをしている。


 早梅とそう変わらない十代の外見で、マオ族らしい繊細な輪郭はしているものの、ふだんから鍛えている六夜だ。

 黒皇ヘイファンとおなじくらい背が高いし、まったく無駄のない、引き締まったからだつきだ。


「顔がいいですね……ありがたや」

「俺は縁起物か何かか?」


 美青年イケメンは総じて眼福だと思うのだが、ちがったかなぁと、早梅は首をかしげる。

 両手を合わせて拝まれ、なんだか肩すかしを食らった六夜だったが、すぐに笑みを取り戻した。


「武功を使うときは隙がないくせに、根は天然か。っはは、いいね。でも、だめだぞ?」


 からからと六夜が笑い声を上げたかと思えば、一変。

 まばたきのうちに、早梅の天地がひっくり返り。


「──無自覚でそれとか、燃えてきちゃうだろ」


 いつの間にか、からだを幹へ押しつけられており、六夜が覆いかぶさってくる。


「六夜さま……?」

「なぁ梅雪メイシェさま。黒皇のやつに、『猫族の男とふたりきりになっちゃいけない』って言われなかったか?」

「っ……それは!」

「だぁめ。いまさら気づいても、逃がしてやんないぞ?」


 胸を押し返そうとしたが、六夜はびくともしない。

 それどころか、これみよがしに距離を詰められ、密着してしまう。

 とたん、混乱に陥る。早梅は、頭上から冷水をかぶったような心地だった。


「……いけません、六夜さ……んっ!」


 拒絶の意を込め、顔をそむける。

 が、耳を食まれた。

 ぬろり、と熱いものが入り込んできて、ぴちゃぴちゃと水音を立てながら、軟骨のかたちをなぞられる。


「んぅ……や、ぁ……!」

「涙目になって、ビクビクして、かわいいね」


 耳を犯すさなかに、吐息が鼓膜へ吹き込まれる。

 否定しようがない。それは熱を煽り、色を誘う行為。


「だめ、です……奥さまに、藍藍ランランが、いるのに……」


 六夜は妻帯者であり、息子もいる。これはあきらかな不貞だ。


「藍藍が、かなしみます……泣かせたく、ないです……っ!」


 罪悪感。それ以上に、じぶんを慕ってくれる無垢な少年から父親を奪いたくないという想いが、あふれ出す。

 早梅を映した青玉の瞳が、極限まで丸みをおびた。


「ちょっ……待って待って、泣かせるつもりじゃ……あぁくそっ! ごめんって! 俺が悪かった! 説明不足!」

「……ふぇ?」

「ごめん! 女に泣かれたら弱いの俺! 泣きやんで、おねがい!」


 先ほどまでの余裕はどこへやら。

 あたふたと慌てはじめる六夜を前にして、早梅は目を点にするしかない。


「ほんとないわ、俺……余裕なさすぎか、童貞かよ……てか、本気で嫌がってるのに襲うとか、それ強姦だから……ないないない、ほんっとに」

「あの……」

「こわがらせて、ごめんね?」


 抱きよせられ、ぽんぽん、と背をたたかれ。

 眉をさげて謝罪する表情は、早梅もよく知った六夜のものだ。


「言い訳がましく聞こえるかもしんないけどさ、俺、冗談でもこんなことしないからね?」

「えっと、お話がよく……」

「猫族はさ、認められてんの、重婚」

「へっ」

「だから不倫じゃない」

「り、六夜さま、ということは、あのっ……!」

「きょう誘ったのだって、本気でふたりきりになりたかったからだし、は遊びじゃないからね」


 もう大パニックである。


(猫族、重婚、オッケー。六夜さま、遊びちがう、ほんき……?)


 つっかえながら、それが意味することを理解し。


「う……うわぁああぁあああ!」


 絶叫。顔が熱くて熱くてたまらないのだが。


「六夜さま、私のことが好きなんですか!?」

「そうだけど? もちろん異性的な意味で」

「好きになる要素とかどこにありました!?」

「悪いけど、ありまくりなんだわ」

「あぅっ」


 とんっと、早梅は軽くひたいを指ではじかれる。

 とりあえず、俺の話をきいてくれ。

 六夜はそう言いたいらしい。


「正直さ、『可愛いなぁ、美人だなぁ』って、最初はそれくらいの気持ちだった。だんだん好きになってくれればって思ってた。けどさ、その前に俺が落ちちゃったわけ。愛を育むヒマもなかったのよ」

「へ、へぇ……?」

「可愛いし美人だし、俺が本気ださないとだめなくらい強いし。なにより、うちの嫁さんとか、八藍バーランのことを想って泣いてくれただろ? アレがとどめだったよ。もう反則だよな」


 なんだろうか。おのれがいかに早梅を好いているか六夜は熱弁している上に、気のせいでなければ、抱きしめる腕の力が強まっているような。


「迫ったのは、『そういうこと』をしたいって、本気で思ったから」


 ぎくり、としてしまう。

 間近でこちらを見つめる六夜の青い瞳が、甘い熱をやどしていて。


「あ、えと、その…………んっ」


 意味のない音しかつむげない唇を、ふいにふさがれる。


「ちゃんと『好き』だよ、のこと」

「六夜、さま」

「どうしたらつたわるかなぁ」

「わ、わかりましたから」

「だめ、俺が満足できない」

「もう、そのへんで……」

「好き。俺のこと見てほしい……好きだ」

「ひゃあっ……」


 ちゅ、ちゅ、ちゅ、と。顔中にふる口づけの雨。

 六夜から逃げようと身をよじるほど、腕が絡みつき、抱き込まれてゆく。


「やめてあげたいけど……そんな可愛い反応するから、止まらなくなるだろ。これでも我慢してるんだ。俺があと十年若かったら、もう抱いてるとこだぞ」


 しまいには、すこしスネたような口調で、そんな反論じみたことまで言われてしまい。


「はぁ……あわよくば夜這いしてやろうかと思ったけど、今晩はだめだなぁ。もうすぐ排卵日だろ? 妊娠させる気しかない」

「ちょっと六夜さま、なんで私の月のもの事情を知ってるんですか!」

「え? ふつうにわかるし。だって──」


 六夜の言葉が、最後までつむがれることはない。なぜなら。


「『だって』──なんだ?」


 地底を這うような低音がひびきわたり、人の気配を、背後に感じ取ったために。


「とても興味深い話だ。私にもお聞かせねがいたいものだな」


 ヒュオオオ……


 比喩ではなく、凍てつく風が吹きすさぶ。


「──私の娘を離してもらおうか、六夜殿」


 桃英タオインが、そこにいた。

 腕を組み、たたずむその足もとでは、ピシリピシリと、草花が凍りついていて。

 なんなら、ぱらぱらとひょうがふり始めたような。


(|殺《や》る気に満ちあふれていらっしゃる──!)


 燈角とうかくの街はずれにある森奥にて、局地的な大寒波が襲う。

 いわゆる、六夜終了のお知らせ、というやつである。

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