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第130話 氷風はすさぶ【中】

 燈角とうかくの街へやってきて数日。

 最近わかったことなのだが、どうやらマオ族は、朝のあいさつが独特なようだ。


「おはようございます、五音ウーオンさま」

「あぁ、梅雪メイシェさま!」


 朝食の帰りのこと。茶に黒のまじったキジトラ髪の青年と、回廊でばったり。

 つねに笑っているような糸目の五音は、早梅はやめにならって軽く頭を下げる。そこまではいい。


 五音は早梅とおなじ目線までかがむと、おもむろに早梅のほほをつつみ込み、前髪を掻きあげてひたいとひたいをくっつける。


 次に顔を離すと、今度は早梅の右手を取る。指先で手首のあたりをなぞり、最後は手のひらの付け根へ唇をふれあわせてから、


「おはようございます。よい朝ですね」


 と笑いかけてくる。

 ひたいをくっつけてくるのも、手首に口づけをするのも、五音だけではない。


(六夜《リゥイ》さま、一心《イーシン》さま、それに藍藍《ランラン》や詩詩《シーシー》も毎朝おなじことをするから、猫族独自のあいさつなのかもしれないな)


 早梅はそう解釈して、深くは考えなかった。


 とくに一心、六夜、五音が『あいさつ』をしてくると真顔になる黒皇ヘイファン、威嚇し始める晴風チンフォンを、「ちょっとしたスキンシップだろうに、大げさだなぁ」とながめていたほどだ。


 それが大きな間違いだったことを、唐突に思い知ることになろうとは。


「梅雪さま、へやのなかにばっかいると、退屈しません? 俺とちょっと運動でもしましょうよ」


 事の発端は、ある昼下がりに六夜が客室をたずねてきたことによる。


「わぁ、鍛錬ですか? もちろん、ぜひごいっしょさせてください!」


 刺繍より、剣を振っているほうが好きな早梅である。要するに、脳のつくりが文系ではなく体育会系。


 子育てに追われていた早梅にとって、六夜の提案はじつに魅力的なものであり、ふたつ返事で了承する。

 晴風は蓮虎リェンフーとお昼寝中だから、声をかけなくてもいいだろう。


「それじゃ軽功けいこうの練習がてら、かけっこでもしますかね。最初は俺が逃げるんで、つかまえてください。行きますよっ!」


 爽やかに笑みを炸裂させた瞬間、六夜のすがたがかき消えた。これは、アレである。


(いにしえの、5G回線──!)


 こうなってくると、わくわくが止まらない早梅。


「ちょっとだけ小蓮シャオリェンをお願いします! 行ってきまーす!」


 近所の友だちから遊びにさそわれたノリで、颯爽と青い空に向かって駆け出すのだった。


「まったく、あの子はいつまでもお転婆だな。──黒皇」

「はい、旦那さま」

「私が同行するから、蓮虎とお祖父様をたのむ」

「……かしこまりました」



  *  *  *



 木から木へ。

 それは、難しいことはなにも考えずに、雪山を駆け回っていたあのころの感覚と似ている。

 違うのは、むかしよりはやく、風とならべること。


 ──ザザッ。


 木の葉がざわめく音を、背後にきく。

 ヒュルリと変わった風の流れを読み、早梅はふみ込んだ枝をバネにして、落とし込んだからだを宙高くへ跳ね上げた。


「みぃつけ……あれっ?」

「残念でしたっ!」


 一拍遅れで、六夜の手が早梅の残像を引っかく。

 六夜がすぐさまあおいだ頭上で、翡翠の髪がたなびいた。


「そーれっ!」


 早梅は落下の重力に身をまかせながら、袖をふる。

 白魚のごとき指先からはじけた氷の結晶が、木もれ陽を反射し、六夜へと降りそそぐ。


「うわっ、つめてっ!」

「ふふ、おまけです」


 六夜を避けるばかりか、氷功ひょうこうをあびせ、見事してやったり。

 着地まで決めるつもりの早梅だったが、六夜もやられたままではいられないたちのようで。


「こんの、おりゃっ!」

「んっ? あら~っ?」


 六夜は足底に力をこめ、ぐん、と跳躍すると、空中で体勢を立て直そうとした早梅の腕をかっさらい、危うげなく着地した。

 あまりに一瞬のことで、米俵のごとく六夜の肩に担がれた早梅は、瑠璃の瞳をぱちくりさせる。


「お米さまだっこをされてしまった」

「そんじゃ、お米さまをお姫さまにしてやりましょうかね」


 六夜はそういって、担いだ早梅を両腕で横抱きにする。そこは地面へおろしてほしいところだ。


「六夜さま、私の足が『土が恋しい』といっています」

「ふーん。却下」

「なんでですか! 歩けますよ!」

「つかまったお姫さまは、おとなしくしてないとね」

「ぐぬぬ……!」


 遊ばれている。

 六夜をつかまえ、今度は早梅が逃げる側となったが、どちらにしろ六夜に『手加減されていた』とわかり、悔しいのなんの。


「もしかして、お姫さまだっこのままお屋敷にもどります?」

「そうだけど?」

「六夜さま、ちょっとお話をしましょう」

「なんで? やなの?」

「とてもお屋敷にもどりたくない気分です」


 この体勢のままでは。

 なぜなら、公開処刑も甚だしいからである。


「へぇ……いいよ、お話しよっか」

「ありがとうございます……?」


 どうやら最悪の事態は免れたらしい。

 が、にぃっと口もとをもち上げた六夜の笑みに、早梅はぶるりと身がふるえてしまう。どうしたというのだろう。

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