目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第122話 琥珀の笑み【後】

 朝食が美味しかった。困ったことに、それ以外の言葉が思いつかない。

 野菜を細かくきざんだ蓮虎リェンフーの離乳食まで用意されていたのを見たときは、早梅はやめはどうしようかと思った。

 食後の杏仁豆腐やお茶まで、いたれりつくせり。


一心イーシンさまを警戒しろって、無理があるのでは?」


 早い話が、すっかり好感度という名の胃袋をつかまれてしまった早梅である。

 ちょろいとか言ってはいけない。どこぞの年下上司ならともかく。


「食べ物に感謝するくらいならいいよね、べつに求婚を受け入れたわけじゃないんだし!」

「なんですって?」

「独り言だよー! おーよしよし小蓮シャオリェン、おなかいっぱいだねぇ、おねむだねぇ」

「あぅ、んぅぅ……」


 壁に耳あり障子に目あり、ふり返った庭に黒皇ヘイファンありだ。

 とっさに笑顔をつくろった早梅は、ボロが出ないうちに黒皇へあずけていたわが子を引き取って、あやす。


「かわいいですねぇ。僕まで笑顔になっちゃいます」

「わっ……」


 早梅は油断していた。いつの間にか、一心が蓮虎をのぞき込んでいたのである。気配がなかったのだが。


「だ・か・ら! てめぇはいちいち近ぇんだよ、にゃん小僧! あっちこっちからニョキニョキ生えてきやがって、たけのこか!」

フォンおじいさま、小蓮が起きてしまいます……!」

「うぐっ……」


 すかさず晴風チンフォンが威嚇するも、早梅の抗議に口をつぐむしかない。


「お祖父さまは、面白いことをおっしゃる方ですねぇ。ふふっ」


 かたや、声をひそめてほほ笑む一心。

 晴風のほうが何百倍もながく生きているはずだが、精神年齢は一心のほうが上のようだ。


梅雪メイシェお嬢さまとおぼっちゃまにご用でしょうか、一心さま」


 ちなみに黒皇はというと、早梅も見たことのない真顔だった。

 間違いない、あれは悟りをひらいている顔だ。


「用がないと、話しかけちゃだめかな?」

「内容によるかと」

「手厳しくなったねぇ、黒皇?」


 眉を八の字に下げて肩をすくめてみせる一心も、次の瞬間にははにかんで、朗々と告げる。


「梅雪さん方はこちらがはじめてだし、みんなに紹介したいなと思って」

マオ族のみなさまに、ですか?」

「えぇ。みんな梅雪さんにごあいさつしたくて、うずうずしているんですよ。おいで、八藍バーラン九詩ジゥシー


 おもむろにふり返った一心が声をかける。

 すると、ちょうど屋敷の軒下の物陰から顔を出していた『彼ら』と、ぱっちり目があう。黒とキジトラ。二匹の子猫だ。


「おやまぁ、かわいい猫ちゃんだこと」


 早梅はほぼ無意識のつぶやきだったのだが、それを聞いたとたん、まんまるな瞳を輝かせた子猫たちが、たっと短い前足で地面を蹴った。


 とててて、と軽快に駆ける子猫があと一歩のところまでやってきたとき、微風が吹いて、またたく間におさない少年たちがすがたを現した。


「一心さま、お客さまですね」

「じょせいのかたです、お姫さまです」

「そうだよ。前に話していた梅雪さんだ。ほら、ごあいさつして?」

「はい、ごあいさつします。はじめまして、お姫さま。おれは八藍です」

「お姫さま、お姫さま、ぼくは九詩です、よろしくおねがいします!」


 黒髪の少年が八藍、茶髪に黒毛の混じった少年が九詩というらしい。一心に言われたとおり、ふたりそろってぺこりとお辞儀をしている。

 見たところ、七、八歳くらいだろうか。なんともほほ笑ましい。


「はじめまして、私は梅雪。この子は蓮虎。よろしくね?」


 早梅が蓮虎を抱き直してひざを折り、小柄な少年たちと目線をあわせたなら、わぁ、と歓声があがる。


「お姫さまだぁ……」

「お姫さまだねぇ……」

「うん?」


 心なしか、八藍と九詩の薄緑の瞳が、潤んでいるような気が。

 それに先ほどから『お姫さま』としきりにくり返しているのは、なぜだろうか。


「梅雪さん、よろしければ、この子たちと遊んであげてくださいませんか?」

「えぇ、もちろん、よろこんで」

「きゃあ!」

「ばか九詩! 赤ちゃんおきちゃう!」

「八藍も声おっきいよ!」


 きゃいきゃいと、少年たちがはしゃいでいる。


「まぁ、こどもだしなぁ」


 一心はさておき、さすがの晴風も、無邪気な幼子を前にして警戒心をといたようだ。


「お姫さま、川におさかなをみにいきましょう!」

「ぼく、お姫さまにお花をあげたいです!」

「おやおや。はは、順番にねぇ。それと私はお姫さまじゃなくて、梅雪だよ」


 天真爛漫な少年たちに袖をひかれるかたちで、歩きだす早梅。そのあとに続こうとした黒皇だったが──


「おっと、君はこっちだよ」

「……一心さま」

「そんなにこわい顔をしないで。ちょっと頼みごとをされてくれないかな?」


 言うまでもなく、引きとめたのは一心である。彼のいう『頼みごと』がたいていろくなものではないことを、黒皇は身をもって知っている。

 じとりと黄金のまなざしをよこす黒皇へ、一心はあくまではにかみを返す。


「離れのほうに、お茶を届けてほしくて」

「どなたがいらっしゃるのですか?」

「行けばわかると思うよ」


 のらりくらり。それは、答えていないこととおなじではないだろうか。

 黒皇がちらとふり返れば、晴風と目があう。「ま・か・せ・と・け」と唇を読むことができた。


「かしこまりました。すぐに済ませてまいります」

「ふふっ、すぐに帰ってこれるかなぁ」

「……どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ」


 疑念をつのらせる黒皇をよそに、琥珀色の双眸をほそめた一心が、わらう。


「善は急げ、だ。行ってらっしゃい、黒皇」

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?