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第56話 芒のごとく【中】

「さぁ、これからどうしようかなぁ」

憂炎ユーエンどのを、お探しにはゆかれないのですか」


 おっと、早速痛いところを突かれてしまった。


「あの子は私がいなくても、大丈夫だよ」


 そんなのは早梅はやめの建前で、合わせる顔がないというのが正しい。

 ひとの機微に敏い黒皇ヘイファンのことだ。早梅の本心に気づいているかもしれない。

 ただ、黒皇からの言葉はなかった。


 ようやく黒皇の腕から解放され、早梅は気恥ずかしさも相まって、そそくさと腰を上げる。

 がしかし、すぐに続くだろうと思っていた黒皇が、片ひざを立ててから立ち上がろうとしない。


梅雪メイシェお嬢さまに、お伝えすることがございます」


 早梅が何事かを問う前に、黒皇が胡座を完全にとき、両手と両ひざを地面につけた。

 早梅の足もとで、ひざまずいている状態だ。


「急にどうしたのさ!」

「お伝えせねばならぬことがあるのです。紫月ズーユェさまからおおせつかった、みっつめの言伝ことづてです」


 ──『灼毒しゃくどく』の中和のために、黒皇へ預けた『千年翠玉せんねんすいぎょく』を服用すること。


 ──身に危険がせまっているため、だれにも見られぬよう、ただちに『福音楼ふくいんろう』を去ること。


 たしかに、まだこのふたつしか聞かされていなかった。


 紫月から、自分へ。

 にわかに、早梅は気を引きしめる。

 紫月が伝えたかった、最後の言葉とは。


「『俺にもしものことがあっても、ぜったいに自分を責めるな』」

「っ、それは!」


 それはつまり、紫月はおのれの未来を予期していたと、そういうことなのか。


「紫月さまは『死ぬつもりだった』のではありません。『死にもの狂いで』お嬢さまを守ろうとなさったのです」


 はっと息を飲む。

 そのふたつは似ているようで、意味合いがまったく違う。

 紫月がいだいていたのは、諦めではなく希望だったからだ。


「『もしさびしい思いをさせても、ほんのすこしの間だけだ。忘れないでくれ。おまえは独りじゃない』」

「……私は、独りじゃない?」

「えぇ。お独りにはさせませぬと、拙が紫月さまにお約束いたしました」


 梅雪お嬢さま、と。

 黒皇かな名を呼ばれ、早梅は我に返る。

 黄金の隻眼せきがんが、まっすぐに早梅を見上げていた。


「この六年、おそばを離れておりましたが、風の涼やかな秋の日にお誓い申し上げましたことを、たがえるつもりはございません」


 そうだ。すすきが頭を垂れる夕焼けの日に、黒皇は言った。


 ──あなた方はわが命の恩人。


 ──慈悲深きおぼっちゃまとお嬢さまに、誠心誠意お仕えしとうございます。


 去りし日に見た黄金の輝きは、みじんも衰えない。


「いのち尽きるまで、わが主をお守りいたします。もう二度と、黒皇は梅雪お嬢さまのおそばを離れません」


 黒皇は深々と垂れた頭を、ゆっくりと三度、地面へふれあわせる。


「黒皇!」


 三跪九叩頭さんききゅうこうとう。臣下が行う最敬礼だ。


 放っておくとみなまでやるだろう。

 感極まった早梅は、再度ひざまずこうとした黒皇の腕を引きとどめた。

 これ以上は、まずい。


「私、黒皇がいないとだめになっちゃうよ……」


 語尾がふるえた。

 うつむいた早梅の頭へ、手を添えられて、


「望むところです」


 と、とどめの一撃。


「迷ったならば、お手を引きましょう。梅雪お嬢さまが歩む道を、黒皇もこの足で歩みます」


 その宣言どおり、黒皇は立ち上がる。

 早梅の手を取り、力強くにぎる。


 早梅はどうにもたまらなくなって、気づいたら黒皇の胸へ飛び込んでいた。


「黒皇、黒皇っ……!」

「はい、梅雪お嬢さま。黒皇はここにおります」


 何度でも抱きしめ返してくれるひとがいる。

 いのちといのちがふれあって、ぬくもりになる。


 ──ほらな、俺の言うとおりだろ?


 いたずらっぽいささやきが聞こえたような気がしたのは、風のしわざだろうか。


 空が白んでいる。

 見上げた薄紫色の空に、あかい陽が昇る。

 夜明けがやってきた。


「梅雪お嬢さま、金玲山こんれいざんにまいりませんか」

「金玲山……」


 提案は突然。

 どこにあるのか、どのような場所なのか、早梅はすぐには思いいたらない。

 だが、それも無理のないことであった。


 旭月あかつきの光をあびて、黒皇が、黄金の瞳でふいに笑む。


「この世のだれも所在を知らぬ、まぼろしの霊山──黒皇の、生まれ故郷でございます」


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