黙りこくった男が、放るように
「はぁっ……! けほっ、けほっ……!」
「憂炎!」
ハヤメは小刀を投げ捨て、倒れ込んでくる憂炎を抱きとめようと手をめいっぱい伸ばした。
「愚かな」
そんなハヤメの目前で、細かな血しぶきが上がる。
非情な刃が、憂炎の背を斜めに斬りつけたのだ。
「うぁああっ!」
「わが
どさりとひざからくずれ落ちた憂炎を、ハヤメは呆然と受けとめる。
「ゆう、えん……」
「おねえ、ちゃ……にげ、て……」
憂炎の藍染の
あれもいい、これもいいと、ハヤメが胸をおどらせて服を買ってあげたのは、ついきのうのこと。
そんな思い出さえも、引き裂かれてしまうのか。
(……こいつらには、人としてのこころがないんだ)
だから簡単に、罪のない人々のいのちを踏みにじってしまえる。
そして主人公にもなれないちっぽけなキャラクターは、ただ踏みにじられるのを受け入れることしかできない。
──だれも、すくえないの……おくびょうで、やくたたずの、わたし、なんかじゃ……
いまの、自分のように。
「貴様はいのちさえあればいい。小僧もろとも手足を切り刻んでやる」
「おれはいいから! はやくにげてっ、
憂炎がなにかを叫んでいる。
ハヤメは見上げた先で、すらりと刃をかまえ直す男を目の当たりにし。
──そう、あなたが悪いんだ。
ふいに、ハヤメの脳裏にひびく声があった。若い男の声だ。
──あなたが、そんなだから。
聞き慣れないはずなのに、知っている。
忘れるはずがないと、ハヤメの本能が叫んでいる。
──こんなにも、忌まわしい。
(……嗚呼……)
これは、幻覚などではない。
ハヤメがそう確信した瞬間、鮮烈な光景がひろがる。
黒の詰襟に身を包み、覆いかぶさる男。
そこには明確な殺意があった。
男は手にした刃で、『ハヤメ』の腹部を刺し貫いていた。
男とおなじ黒の洋服が、またたく間に鉄錆のにおいをまとう。
──あなたが、悪いんです。
男はうわ言のようにくり返す。
その表情はもやがかかったかのごとくうかがえないが、たしかなことがある。
これは自分だ。
ある日突然未来を奪われた、『生前』の記憶。
「こい! 利用できるまで利用しつくしたあと、たっぷりとなぶり殺してやる!」
「だめッ! 梅姐姐ッ!」
くり返すのか? 今回も?
──冗談じゃない。
がなり立てた男が、剣をふり上げる。
まだなにかを叫んでいる憂炎が、ハヤメに覆いかぶさってきた。
「遅い」
だが、ハヤメはわらった。
手首の返しひとつで憂炎のからだを退かし、ふり上げた足で、男のおとがいを一蹴する。
「がっ……!」
思いもよらぬ反撃を食らった男は、予想外の衝撃に視界を明滅させた。
「なぜだ、
体内に秘められし『気』の力が
そして外功とは、体術をきわめ、剣や弓などを使いこなす能力のことをいう。
ゆえに男は、慢心をしたのだ。
武器を扱えない非力な小娘に、なにもできはしないのだと。
「屈服させられるとでも? この私を? ──
空気が、変わった。
少女の鈴の声音が、一変した。
なんだ、これは。どういうことだ。
焦燥が、にわかに男の背すじをせり上がる。
冷たい地面へと放られた男の剣を、ハヤメの華奢な指先がひろい上げた。
男は息を飲む。
ひと振りの刃をかまえたそのたたずまいは、只者ではない。
「あいにくと、剣術は私の得意分野だ」
ハヤメが生きていたのは、激動の時代。
そうだ、取り戻した。なにもかも。
「き、貴様は一体……」
「私は、
後ずさる男。
ハヤメが放つ気迫──ふれれば切れる刃のようなそれは、十五、六の乙女がまとってもよいものではない。
それもそのはず。
雪平早梅は、明治の日本に生きていた。
唯一の女軍人として、大日本帝国陸軍にてその圧倒的実力を発揮していた。
そしてある日、もっとも信頼していた部下によって、そのいのちを絶たれたのである。
(そう、私は……殺されたのだ)
死してなおハヤメが
本懐を遂げずして散るなど、そんな馬鹿げた話があってはならない。
「
この身の糧となるならば、憎悪でもなんでもいい。
踏みにじられてなど、やるものか。