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第47話 よみがえる記憶【後】

 黙りこくった男が、放るように憂炎ユーエンを突き飛ばす。


「はぁっ……! けほっ、けほっ……!」

「憂炎!」


 ハヤメは小刀を投げ捨て、倒れ込んでくる憂炎を抱きとめようと手をめいっぱい伸ばした。


「愚かな」


 そんなハヤメの目前で、細かな血しぶきが上がる。

 非情な刃が、憂炎の背を斜めに斬りつけたのだ。


「うぁああっ!」

「わが師弟おとうとたちの仇、この程度ではとうてい済まされぬ」


 どさりとひざからくずれ落ちた憂炎を、ハヤメは呆然と受けとめる。


「ゆう、えん……」

「おねえ、ちゃ……にげ、て……」


 憂炎の藍染のきものが、みる間にどす黒く染まりゆく。

 あれもいい、これもいいと、ハヤメが胸をおどらせて服を買ってあげたのは、ついきのうのこと。

 そんな思い出さえも、引き裂かれてしまうのか。


(……こいつらには、人としてのこころがないんだ)


 だから簡単に、罪のない人々のいのちを踏みにじってしまえる。

 そして主人公にもなれないちっぽけなキャラクターは、ただ踏みにじられるのを受け入れることしかできない。


 ──だれも、すくえないの……おくびょうで、やくたたずの、わたし、なんかじゃ……


 明林ミンリンのように。

 いまの、自分のように。


「貴様はいのちさえあればいい。小僧もろとも手足を切り刻んでやる」

「おれはいいから! はやくにげてっ、梅姐姐メイおねえちゃんッ!」


 憂炎がなにかを叫んでいる。

 ハヤメは見上げた先で、すらりと刃をかまえ直す男を目の当たりにし。


 ──そう、あなたが悪いんだ。


 ふいに、ハヤメの脳裏にひびく声があった。若い男の声だ。


 ──あなたが、そんなだから。


 聞き慣れないはずなのに、知っている。

 忘れるはずがないと、ハヤメの本能が叫んでいる。


 ──こんなにも、忌まわしい。


(……嗚呼……)


 これは、幻覚などではない。

 ハヤメがそう確信した瞬間、鮮烈な光景がひろがる。


 黒の詰襟に身を包み、覆いかぶさる男。

 そこには明確な殺意があった。

 男は手にした刃で、『ハヤメ』の腹部を刺し貫いていた。

 男とおなじ黒の洋服が、またたく間に鉄錆のにおいをまとう。


 ──あなたが、悪いんです。


 男はうわ言のようにくり返す。

 その表情はもやがかかったかのごとくうかがえないが、たしかなことがある。


 これは自分だ。

 ある日突然未来を奪われた、『生前』の記憶。


「こい! 利用できるまで利用しつくしたあと、たっぷりとなぶり殺してやる!」

「だめッ! 梅姐姐ッ!」


 くり返すのか? 今回も?

 ──冗談じゃない。


 がなり立てた男が、剣をふり上げる。

 まだなにかを叫んでいる憂炎が、ハヤメに覆いかぶさってきた。


「遅い」


 だが、ハヤメはわらった。

 手首の返しひとつで憂炎のからだを退かし、ふり上げた足で、男のおとがいを一蹴する。


「がっ……!」


 思いもよらぬ反撃を食らった男は、予想外の衝撃に視界を明滅させた。


「なぜだ、ザオ梅雪メイシェ外功がいこうの才には恵まれなかったはず……!」


 体内に秘められし『気』の力が内功ないこう

 そして外功とは、体術をきわめ、剣や弓などを使いこなす能力のことをいう。


 ゆえに男は、慢心をしたのだ。

 武器を扱えない非力な小娘に、なにもできはしないのだと。


「屈服させられるとでも? この私を? ──莫迦ばかを言いたまえ」


 空気が、変わった。

 少女の鈴の声音が、一変した。


 なんだ、これは。どういうことだ。

 焦燥が、にわかに男の背すじをせり上がる。


 冷たい地面へと放られた男の剣を、ハヤメの華奢な指先がひろい上げた。

 男は息を飲む。

 ひと振りの刃をかまえたそのたたずまいは、只者ではない。


「あいにくと、剣術は私の得意分野だ」


 ハヤメが生きていたのは、激動の時代。

 そうだ、取り戻した。なにもかも。


「き、貴様は一体……」

「私は、雪平ゆきひら早梅はやめと申す者」


 後ずさる男。

 ハヤメが放つ気迫──ふれれば切れる刃のようなそれは、十五、六の乙女がまとってもよいものではない。


 それもそのはず。

 雪平早梅は、明治の日本に生きていた。

 唯一の女軍人として、大日本帝国陸軍にてその圧倒的実力を発揮していた。

 そしてある日、もっとも信頼していた部下によって、そのいのちを絶たれたのである。


(そう、私は……殺されたのだ)


 死してなおハヤメが現世うつしよにとどまり続けていたのは、無念を晴らすため。

 を見つけ出し、復讐を果たすためだったのだ。

 本懐を遂げずして散るなど、そんな馬鹿げた話があってはならない。


刮目かつもくせよ。かつて陸の剣客けんかくと謳われた、わが絶技を」


 この身の糧となるならば、憎悪でもなんでもいい。

 踏みにじられてなど、やるものか。

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